第18話 停電の夜に



これは、賭けだった。


ある意味自分という存在を過信した大きな賭け。







・幕間:ハルという少年


①母親


頭は良いんだけどねぇ、根の暗い子よォ~。

まあ、それも小学校の…3年生くらいまでだったかしら。

それまで何しても感情の動かないような子だったんだけど。

春休みに本屋に行って、好きな人ができたんだって。

そっからねぇ、勉強は頑張るわ運動は頑張るわ私生活もちゃんとするわで感心してねぇ……その年上の好きな人とやらに感謝したものよ。

ただ、中学生にもなると素行不良が目立ってしまって……。

矛盾してるでしょ?

品行方正でいながら素行不良なのよ?

それもまた今年の春休みにぱったりとなくなったわねー……。

やっぱりあのトーマくんのおかげかしら。

……まあね、世間体を気にしないといったらまあ、嘘にはならないわね。

そんなもん気にしてないわ。

だって、自分の息子が一途に8年も好きだったのよ?

そりゃあねぇ……やっぱり信じたいじゃない?

がんばれ!って……思うしかないのよ。

それにいい子だしね、トーマくん。



②同級生


ハルくんですか?怖い人です。

目の奥が怖かったです、死ぬほど。

見た目はかっこいいんですよ、頭いいし、なんでもできるし。

ただ、学校でも……誰とも仲良くしないってワケじゃないんですけど。

こう、学校にいる間しか仲良くしない、みたいな。

誰もハルくんの私生活なんか何一つ知らないんですよ。

自分の話もしないから、何が好きで何が嫌いかすら知らない。

怖いですよね?

そんな人が放課後知らない人と仲睦まじく歩いてたら、噂にならないワケがないじゃないですか。

その人といる時のハルくんが普通に見えれば見えるほど、学校でのハルくんが異質なものに映るんです。

正直怖すぎてもう関わりたくないです。



③匿名希望・1


僕を地獄に堕とした諸悪の根源。

あいつさえいなければトーマは僕のものだった。

あいつが逮捕されないのが不思議なもんだね。

トーマを捕まえた時も、適当な部屋に放り込んだ時も、全く動揺しなかった。

ただたまに薄ら笑いを浮かべて、ただじっと座ってるだけ。

トーマの行動以外で何か反応することはないんだろう。

それこそ殺しておけばよかった、と思わなくもない。

トーマは騙されてるんだ。

だから僕はここにいるべきじゃない。

本当に捕まるべきなのはあいつだったんだ。



④匿名希望・2


ん?はる?

……あー、あれかな。Halu。

一時期トーマのフォロワーにいた気がする。

トーマだけをフォローしてて。いいねもトーマだけ。

たまにフォロワーがついて、でもすぐ0になってるの。

フィンランド人だっけ?あれ、違う?あっそ。

まあ、なんかたまに数字?みたいなのを呟いてるだけで、他は特に。

それが変だったから憶えてるだけで、特別な印象はないなぁ。

トーマに危害を加えたやつしかメモってないからさ。

リストに載ってないってことは、悪いやつではないんでしょ。



④トーマ


ハル?いい子だよ。

礼儀正しいし、賢いし、優しいし。

一緒にいるだけで心が和らいで、安心できる。

オムライスが好きなんだけど、卵が半熟なのはあんまり好きじゃないみたい。

……あ、違う違う。味は半熟の方が好きらしいけど、ケチャップで描いた絵が崩れて落ちちゃうのが嫌なんだって。絵といえるほどのものは描いてないんだけど。

うん、そうそう。うちによく来るんだ。簡単だし、よく作って食べさせてて。

髪の毛は明るめの色で、いつもぴょんぴょんつんつんしてる。

あれ、セットしてる訳じゃなくて、自然とああなるんだって。

目じりがきゅっと吊り上がって、でも、きつい印象は与えないんだ。

あと、大抵のことは飲み込みも早いし素直だよね。

かわいげもある。こどもっぽいというより、年相応って感じかな。

なんでも前向きにとらえるし、感情表現も豊かだし、笑顔のレパートリーが多い。

ふざけて見えて根が真面目なのもハルのいいところだと思う。

甘やかしてるつもりで、実は僕の方が甘やかされてる気がするよね。

悪意だらけの世界で、唯一きらきらしてる気がしたんだ。

誰も好きになったことのない僕が、初めて好きになった人。

ハルさえよければ、僕はこれからもずっと、一緒にいたいと思ってる。









「わぁ……」

「トーマさん家に比べたらちょっと小さいけど、ふたりで住むには悪くないと思う」


後は家具を運び込むだけの、トーマさんのための楽園。

すべてをトーマさんの好みに合わせた、悪いものは存在してはいけない箱庭。


「……うん、ハルっぽい」

「え、うそ、俺?好きじゃなかった?」

「ううん、好きだからそう思ったんだ……いつの間にこんなに素敵なものを作っていたんだろうって」

「家具はまだだけど、鍵は持ってるから入れるよ」


貝殻をモチーフに、真珠をあしらった古い見た目の鍵。

まあ、ほとんど飾りなんだけど。


定期的に掃除を頼んでるだけあって、埃ひとつない。

窓を開けて、真新しい家に、真夏の風を取り込む。


「暖炉!僕の好みそのままだね」

「あのー……なんというかですね?」

「なに、改まって」

「まあ、その……嫌われたくなくて黙ってたんですけど……」

「え、なに」

「俺……ちいさい頃、トーマさんのSNSを探して眺めてたんです……!」


トーマさんは、眉間に寄っていた皺を解放し、呆れたように肩を落とした。


「そんなことぉ~?」

「そんなこと!?だって俺、自分でもストーカーみたいでキモいなって思ったし!」

「ふふっ、かわいいとこあるね、ハルは」

「だって嫌かと思って!!」

「ハルならいいよ」


唯一置いてあるテーブルと椅子。明るく、丈夫で軽い木からできたものだ。

ふたりで腰かけると、すぐ横の窓から風が入ってくるのがわかる。

庭の木に実ったシトラスの、自然の香りが混じって。

その気持ちの良い風に目を細めるトーマさんの横顔が綺麗で、綺麗で。


「ハルは、勝手に理想を押し付けないから……」

「え、そう?」

「そうだよ……みんな僕が好きなものじゃなくて、好きであってほしいものを押し付けてきたから……好きなものをそのまま受け取ってくれるの、ハルだけだ」


俺だけ……。なんて甘美な響きだろうか。

手を取ってみる。トーマさんは嫌がらない。

そのままぐるぐると回してみる。嫌がらない。

最初の頃のように冷たくなることも減ってきた。良い兆候だ。


でも、根本的な解決はしていない。

これはただ、全力で気を逸らしているだけに過ぎないのだから。

トーマさんが再び絵を描きたいと願う以上、これは気休め。

いつか本当に悪いものと向き合わなければならない。


だけど今だけは。


「ここに住んだら、幸せだろうな……あ、住むのか」

「よかったね、幸せが確定して」

「うん、素直に嬉しい……」

「家具、一緒に選ぼ」

「もちろん」


この人の身も心も、幸せで満たすことを許してほしい。








・幕間:トーマという存在



①家族

ぼんやりちゃん。

トーマは内向的なんだよ。

お兄ちゃんは頭の中がうるさいタイプだと思うわ。

大事な息子ではある。

ネガティブでもある。

幸せを掴めるなら、なんだっていいわ。

いや、パパはハルくんなんか認めません。

誰もハルくんだとは言ってないわよ?

認めません!!

絵ばっかり描いてた。

才能は確かだと思うわ。

今は幸せそうでよかった。

認めません、断固!

はいはい。



②旧友


絵の上手いやつ!

日本に行っちゃったけど、面白いやつだったよ。

ちょっとぼーっとしすぎなのがおしいところだけど。

みんな試しに画材をなんでも与えてみるんだけど、全部使いこなしてた。

でもちょっと自分では納得いかなかったりするみたい。

やたらと自分に対する評価が厳しいやつだったなあ。

まあ、それがトーマだから仕方ないさ。

いまどうしてるんだろ?

幸せに暮らしてるならそれが一番だよな。



③近所の人


お人形さんとか美術品みたいよねぇ。

透き通ってるというか。声も透き通ってるのよ。

礼儀正しいし、ご近所トラブルも特にないの。いい子よ。

一時期すごく落ち込んでたみたいだけど、最近はまた笑ってることが多くなったわ。

あんまりにも細いからやたらと食べ物差し入れたくなるのよね。

最近、お友達ができたみたいで、楽しそうにしてるわ。

ハルくんっていうんですって。

ハルくんも礼儀正しくてね、会うと必ず挨拶してくれるわ。

顔色も良くなってきてるし、よかったわねぇ、ほんと。




④匿名希望・1


神。

本物の天才ってこういう人のことを言うんだろうなって思った。

ストイックなんだけど、他人への物腰はやわらかい優しい人。

欠陥のない生き物。神様の最高傑作。瑕のない玉。

芸術という分野のぜんぶに神が宿ってる奇跡の塊。

とにかく、この世すべての誉め言葉を献上したくなる存在。

個展で会ったことあるけど、作り物かと思った。

完璧な人っているもんなんだよなぁ。

消えて数年経った今も、大勢の人が探してるくらい。

それほどまでに、消えるには惜しい天才。

本物を言葉で表すには足りなくて、言葉の方が陳腐になる。

でも誉め言葉を零さずにはいられないような人。

誰もがほしい、手に入れたいと思いながらも、手を触れることすらためらうような、汚すのが怖いくらいの美しいもの。

誰も触れることを恐れすぎたせいで、天に帰ってしまったんだろうね。




⑤戦神


僕の宝物。僕の運命。僕の愛。

彼は僕のために天から遣わされたんだ。

誰もが羨むものを持ちながら、自身では納得しない可哀想なトーマ。

誰もが遠巻きに憧れるせいで、いつでも孤独だと思い込んだ。

トーマは誰にでも優しく、誰のことでも理解した。

でも、トーマ自身が誰かに理解されることはなかった。

トーマは、人よりずっと、理解されたい欲求があったのに。

僕だけがトーマを理解できるのに。

寂しさのあまり、悪魔の声に耳を貸してしまったんだ。

誰にでも優しく、誰も傷つけたくなかったトーマ。

誰にも優しくされず、傷だらけのトーマ。

僕だけがその傷を癒してあげられる。

僕だけが真にきみの才能を理解してあげられる。

誰かのために生きなくてもいい。

僕だけのために生きてほしい。

僕はきみをあきらめない。

トーマ。美しいトーマ。

トーマは枯れることのない花だ。

美しいまま、僕が閉じ込めてあげたかった。




⑥ハル


弱くて小さくて、怯えたかわいい人。

でも強くて寛大で寛容で、甘やかしてくれる優しい人。

触れると赤くなって、ちいさな心臓を必死に動かすのが好き。

海のような色で、波のような不思議なきらめきを持った瞳が好き。

長いまつげに縁どられて、ゆるく、なだらかな丘のように垂れた目じりが好き。

髪の毛が伸びるのが早いのかな。気付いたら長くなってる。

真っ黒で艶々で真っ直ぐだから、正直切るのがもったいないと思うくらい好き。

肌は日に当たってないからか元からか、青白くて赤くなりやすくてかわいい。

唇はちいさくてやわらかい。噛みしめる癖があるのか、よく赤くなっててかわいい。

指は細くて、いまは絵を描こうとすると冷たくなりやすい。

俺より頭ひとつ小さい身長が好き。

といっても普段が猫背だから、シャキッとしたらたぶん少し差が縮まるのも好き。

体格はとても細い。いくらか健康的になったとはいえ、まだまだ平均以下。

もっと食べてもらいたいけど、胃腸が強くないからムリに食べさせたら吐く。

小さくてカロリーの高いものをすこしずつ食べさせるのがベストだろうな。

あとはそうだな、曇りの日は体調を崩す。気圧の関係で。

雨が降ればだんだんスッキリしてくるらしい。

睡眠時間は人並み。睡眠不足がすぐ体調に出る。わかりやすくて好き。

絵に関して……そうだなぁ。

何でも描くけど、一番好きなのは風景画、得意なのは抽象画……なのかな。

考え事が多い分、そういうのを落とし込むのが特に上手いし好き。

透き通ってるけどか細いわけじゃない、耳に馴染みやすい声も好き。

掃除してる時たまに鼻歌を歌うけど、それもきれいで好き。

俺の名前を呼ぶ時に少し震えるのが好き。

触れると小さく肩が跳ねるのが好き。

暗さを秘めておきながらも、輝きを失わない魂が好き。

絵以外のことになると関心が薄かったり疎かったりするのが好き。

俺をみつけると少し笑みがこぼれるのが好き。

くっついてるのが好きなのか、いつも俺に背中を預けてくれるのが好き。

そのまま眠ってしまうのが好き。

目が覚めた時、無意識に俺を探すのが好き。

オムライスにケチャップで何か描いてくれるのが好き。

好きでいるのを許してくれるのが好き。

いまもこうして生きてくれているのが好き。

なにもかもが好き。存在が好き。

死が二人を別つまで、ずっと一緒にいたい人。

できることなら、来世もいっしょにいたい人。








「ライフライン、通ってるんだね」

「ん、掃除頼んだりするから」

「将来はこうして、ここで食事するんだ……」

「どう?中々いいでしょ」

「うん、夢みたいだ」


そんなことを話していると、ぶつんと暗くなった。

反対側の窓から街の方を見るが、そこも真っ暗だった。


「ここら一帯、停電してるみたいだ」

「真っ暗……これじゃ、帰れそうもないな」

「たしか非常用持ち出し袋があったはず」


ロウソクに火をつけると、部屋が仄かに明るくなった。

こんなことなら、薪を置いておくべきだったか?いや、暑いか。

ゆらゆらと揺らめく炎が、トーマさんの顔を照らしている。

ぼんやりと、何かを考え込んでいるような顔だった。


「どうしたの?」

「……海がさ、きらきらしてるんだよ」

「ほんとだ、今日は月が明るいのかな」


目が慣れると、庭の木々や遠くの街並みも視認できる。


「帰るの、明日にしようか」

「え、いいの?」

「あ、でも布団がないか……」

「寝袋ならあるよ、一個」


あ、あからさまにがっかりした顔した。

「1個かぁ……」って顔だ、あれは。


「いいじゃん、一緒に詰まって寝ようよ」

「さすがに狭いだろ……」

「じゃあ、こうしよう」


寝袋のジッパーを全部開けて、一枚の大きな布団にする。

羽織って手招くと、トーマさんは野良猫のようにおずおずと近寄って来た。


「つかまえた!」

「うわっ」


荷物を枕に寝転ぶと、窓の真ん中に月が見えた。

向こうじゃ見られないような星空も一面に広がっている。


「天の川見えるんだ、ここ」

「……すみれの花みたいだ」

「だからかな」

「なにが?」

「初めて会った時、雨が降ってた」


隣で、首を傾げている気配がする。


「空にすみれが咲いてるから、巡り巡って惚れ薬が降って来たのかもしれない」


くすくす、と空気を震わせるだけの笑い声が聞こえる。

妖精の笑い声って、こんな風なんだろうな。

我ながらロマンチックを極めている。

トーマさんといると、ロマンチックにならざるを得ない。

存在があまりに非現実的すぎて、幻想か何かじゃないかと思うことさえある。


「妖精の粋な取り計らいかぁ」

「妖精から見てもお似合いだったんでしょうね、俺達」


触れると確かにそこにいるとわかる。

ああ、ちゃんと存在してる。ここにいてくれてる。


「好きなだけ寝てさ、明日はびっくりするくらい遅く起きようぜ」

「寝すぎも体に悪いんだぞ」

「わかってるわかってる!けどさ、たまにはいいじゃん」


ほんの少し怠惰に生きるくらいじゃないと、疲れてしまうから。


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