凶兆

 アイレナが家を空けて間もなく、地を鳴らして駆ける馬車の一群がアイロン伯爵家に到着した。

 グリフィル神聖国第五王女を筆頭にした一団は、神聖国の紋を掲げ、伯爵家の門を潜る。


 現代日本では見ることの無い西洋屋敷に目を輝かせる面々を連れて、アーシャは門番が空けた屋敷の扉を通り抜けた。


「グリフィル王女殿下、遠路遥々御当家までお越しいただき感謝申し上げます」


 彼女たちを出迎えるのは、アイロン伯爵家の筆頭使用人。

 礼に徹する立ち振る舞いに目を奪われる勇者達とは対照的に、アーシャは慣れた様子でその礼を受ける。


「こちらこそ、当主や領内の不振を支え尽力いただき、国領を預かる身として感謝の意に堪えませんわ」


 社交辞令のやり取りを終えると、早速と言うようにアーシャは切り出した。


「今回アイロン家へ足を運んだのは他でもありません。ガギウルに名高い鍛冶神グルバの試しの剣を御家のご令嬢が抜いたとの報を聞き、訪問させていただいた次第です」


 かしこまったアーシャの姿に、勇者たちは面食らいながら話の成り行きを見守る。

 自分たちの前では12歳相応の姿を見せることもある少女の負った責務を肌で体感していると、アイロン家の使用人は「なるほど」と頷き返した。


「王女殿下には大変な失礼になってしまいますが、お嬢様は現在、不在にございます。あまり長くはならないと仰せつかっておりますので、面会をご希望でしたら少々のお時間を取らせてしまうことになります」


「不在……ですか。間が悪いですね」


「面目ございません」


 頭を下げた使用人は、アーシャの後ろで手持無沙汰な勇者たちを一瞥した。


 その視線に答えるように、アーシャが彼らを手で指す。


「こちら、グリフィル神聖国の秘術により、ヘルヘイム討伐を掲げ尽力してくださっている異界の勇者様たちです」


「……ほう、異界の」


 目を細めた使用人は、すぐさま侍女たちに指示を出し、忙しなく行動を開始する。

 慌ただしくなった館に動揺する勇者たちだが、使用人は優し気に微笑んだ。


「いえ、礼を失していたと思いましてな。わけあって本日、ご当主様の対応が難しくなっていますのでささやかなご歓待を用意させていただきます」


「あら」


 予想外の言葉に驚くアーシャ。

 しかし勇者たちはその言葉に喜色一色に色めく。


「歓待!?」


「ゆ、勇者ってやっぱすげえんだな!」


「異世界の歓待とか、めっちゃアガるっ!」


 数人の生徒以外浮足立った様子でざわめきが伝播する。


「……騒ぎすぎだろ」


「は? 沢村、異世界に来てからも空気読めな……」


「一言で空気壊せるの才能でしょ、逆に」


「陽キャと一緒に騒ぐことが空気を読むってことなら、俺は空気読めなくて結構だ」


「うわだっさ。陽キャとか気にしてんのってホンモノだけだわ」


「……ちっ」


 使用人たちの案内に従って移動を始める面々。

 ギスギスと嫌な空気が流れる一角に、日崎氷華も溜息を吐く。


 賑やかな生徒を見ながら、沢村は氷華に近づいた。


「あいつら……自分が頭悪いことに気付いてないんだろうな。騒ぐことだけしか能がないのか。なあ日崎」


「……私、ですか」


「ああ。お前はあいつらと違って頭は悪くないだろ?」


「はあ……」


 自分に向けられる視線に気づかないまま、沢村は続ける。


「この世界では、もう前のヒエラルキーは関係ない。学内カーストも無に帰した。異能が物を言う世界だ。そうだろ?」


「……そう、ですね」


「日崎も俺も、強力な力を手に入れた。だから―――――」


 続く言葉が口から零れる……その時だった。




「あぁ゛……よんじゅう、ろく…………46……」


「――――え?」



 扉から目の前の中央階段。

 ロビーの注目を一気に浴びるその踊り場に、その姿はあった。


 幽鬼のような足取りで、一歩間違えば階段を転げ落ちるてしまう程ふらついている。

 だが、確実に、意思を持ってそこにいた。


「だ――――旦那様……!」


 アイロン家当主、メタル・ウィル・アイロン。

 正気を保つことができなくなって久しい彼が、不眠者のように目を虚ろに窪ませ、勇者たちの前に降り立った。


「―――――んす……」


 足取りだけではない。

 ブツブツと呟きながら、だらしないほど長い髪にその双眸を隠しながら。

 明らかに、人間の尋常の姿ではない。

 

 異様な雰囲気に、誰もが足を止め、呼吸を忘れる。


「だ、旦那様……お身体は……っ」


 心配そうに窺う使用人も気にせず、彼が向かうのは。


「……あ……あぁ」


「お、俺……ですか……?」


 移動が遅れていた沢村だ。


 手を伸ばし。


「えっと……」


 首にかけ―――――





「――――――ホホホホホホ。成就セリ」



「あ゛え゛……ッ」




 その首を手折った。



 その光景に、声は出ない。



 代わりに、館の外からの爆音。

 

 その音と共に――――当主は、幽鬼のような顔のまま、口を開いた。




「46六番目、『ビフロンス』――――コレヨリ、冒涜ヲ開始スル」




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