アイロン伯爵令嬢

「……これはこれは……アイレナ嬢」


「どうかしら。御覧の通り、グルバの剣を抜いてきましたわ」


「……ふむ」


 アイレナ・ウィル・アイロン伯爵令嬢。

 彼女が伯爵家に持ち帰ったその剣は、正しくガギウルの大木に突き刺さっていた代物。

 文句のつけようもない成果に、アイレナの眼前で蓄えた髭を撫でつける男が不遜に唸る。


 男はゲーテル侯爵家当主、ヒゲイガイ・ハ・ゲーテル。

 壮年の身を豪奢な身なりで包むザ・貴族の容貌を惜しげもなく晒す、ガギウルに隣接する土地、レベト領の領主である。


「……約束通り、爵位返還や領主権剥奪の件、王への具申は待っていただきます」


「……いやはや、ですが」


「へえ、曲がりなりにも貴族同士の約束を反故にするのですか? この契約書を持って王都にでも行かせてもらいましょうか」


「…………ふぅ」


 アイレナの手には、彼と彼女との間で成された契約書。

 ほんの雀の涙ほどの温情。内容は、グルバの剣を抜いた場合、具申までの期限延長。


 彼が足繫くガギウルに足を運ぶのは、偏にこのガギウル周辺の領主権獲得のため。

 ここ最近でのアイロン伯爵家は政策や領内の不作を取り沙汰されていた経緯もあって、侯爵はそれらの交渉のためにここ数日はしつこいほどにガギウルを訪れていた。


「…………早まりましたかね。まさか、あの剣を抜く者がいるとは」


「約束は約束です。一週間待っていただきます。その間に、徴税の見直しや領内の不作について改善案を打診させてもらいます。…………お父様のことも」


「ええ、ええ。いいでしょう。今更、焼け石に水でしょうからな」


「っ……」


 拳を強く握るアイレナは、しかし反論はせずに立ち上がったゲーテル侯爵を見送る。

 すれ違いざまにアイレナに寄越されるゲーテルの視線は、下卑た欲望に塗れていた。


「美しくなられましたなぁ、アイレナ嬢。もちろん、内外共に」


「……お褒め頂き光栄ですわ」


「一週間後が楽しみですね」


 だらしない身体を引きずって部屋を去る侯爵に使用人に同行するように指示をしたアイレナは、傍に立っていた侍女に声をかける。


「……お父様は?」


「相変わらず、執務室に籠りきりで……」


「また独り言かしら」


「はい」


「そう……ったく、あのロリコンじじいと同じくらい、お父様も厄介だわ」


「お嬢様、お口が」


「わかってるわよ。ごめんなさい」


 会話を切り上げて部屋を出たアイレナは、執務室までの道行きを時間を掛けて歩く。持っているだけで気が遠くなるグルバの剣を引きずりながら歩くため、綺麗な絨毯が台無しだ。


 そしてその足が執務室の前に達した時、


「―――――大木が、そう言ってたんだ。そうさ、そうに違いない。大丈夫、大丈夫だ……大丈夫。ああ、そうだろう?」


 そんな声が、部屋の中から籠った音で伝わってくる。


「……お父様」


「ああああああ、もうすぐだ。もうすぐだよ……もう―――」


「……はぁ」


 会話もできないほどに錯乱した父親の声に、諦観の息を漏らす。

 医者に見せても打つ手なし、原因すら不明。お手上げだ。

 この狂ってしまったかの様子と比例するかのように、搾取まがいの政策の立案などを始めとした父の凶行は留まるところを知らない。


 部屋を出て執務を果たす時は正常を装っているが、プログラミングでもされた機械のように決まった動作しかできない。

 それを終えて部屋に戻れば、またこうなってしまう。


 アイロン伯爵がこうなってしまったのは、もう半年も前。

 ちょうどヘルヘイムという名が世界に広まりだした頃だろう。

 そこに因果関係を感じることは無いが、凶報というのは得てして立て続けに起こるものだと、アイレナは実感していた。


 そしてそれに呼応するかのように、領内での不作。

 まるで何かに養分を吸い取られるかのように、それらは今もなお起こり続けている。


 こんな土地、今すぐにでも手放してしまいたい。

 だがそれは、鍛冶神グルバが存在するガギウル領主という功績で伯爵にまで上り詰めた当家の失墜と同義。

 爵位返還と領主権剝奪。

 それらは、破滅を意味していた。


「……私が、なんとかしないと」


 原因の追求と解明。

 14歳のアイレナの双肩に、あまりにも重い責務がのしかかっていた。


「この剣、どうしようかしら……」


 踵を返しながら、剣の重さと今置かれた状況が彼女を追い詰める。

 幼き日に死別した母親の肖像画の前を通り過ぎる時、彼女は毅然と振る舞う。


「何とかしてみせます、お母様。心配ありませんから」


 不格好に剣を引きずりながら、やっとの思いでついた自室の扉を開ける。


 暗い室内に、音もない。

 まるで彼女の心情を現したような室内は、追うように心に暗い影を落とす。


「…………一週間」


 あまりにも少ない期限。

 政策案などはまだやりようはあるが、不作についてはどうしようもない。

 原因の一端すら掴めない現状は、一条の光を見出すことも許さない。


 できなければ、自らの全てはゲーテル侯爵の手に落ちる。

 領主権などその口実でしかないことをアイレナはわかっていた。

 こんな土地を欲しがる貴族など、他にいないのだから。


 伯爵家の存続。

 伯爵令嬢であるアイレナにとって義務のようなそれは、もうどうしようもないほどに遠くに落ちてしまった。




「―――――お父様……お母様っ……」



 ガンッ、と音を立てて乱雑に地面に転がったグルバの剣は、無機質に床を傷つける。

 床にへたり込んだアイレナは重責に全身を苛まれ、声を押し殺す。


 無駄な足掻きだとわかっている。

 もう、詰んでしまっていることも。


「…………っ……っ」


 双眸から流れる涙は止まることなく、14歳の少女が流すにはあまりにも重く頬を濡らす。


 もう、諦めて逃げてしまえれば。


「……ダメに……決まってんでしょうがっ!」


 無様に足搔いてでも、アイロン伯爵令嬢として。

 それが、自分に与えられた運命なのだから。


 痛々しく傷つけられた少女の心は、継ぎ接ぎだらけで綻び続ける。

 誰でもなく、少女の手によって。


「死ぬなら……アイロン伯爵の子として……死になさいよ、この役立たず……っ」


 止まらない嗚咽に蹲った。

 そして、光明すら見えないまま再び立ち上がろうと――――――




「なに泣いてんの? 手伝おうか?」




「―――――え?」


 部屋には誰もいないはずだった。

 だが、泣きはらした彼女の双眸が映すのは、あの時の灰色のフード。


 グルバの剣を抜いた、あの男だった。


「っ!?」


 バッ!と立ち上がり距離を取ったアイレナは、目前の人物を睥睨する。

 軽い口調と手振りで続ける男は、アイレナの悲壮な心情など知らないようだ。


「いや俺もさ、こんなに早く会うとは思わなくて恥ずかしい限りなんだけど……ちょっと君に用があって」


「あ、あんた! どっから入ってきたの!? ひ、人呼ぶわよ!」


「ちょ、待って待って! ホントに用があるだけ! なんもしないから!」


「もうしてんのよ! 不法侵入!」


「ああ、うん。いやごもっとも……でもさ」


 男は床に落ちた剣を指差して、フードの影から見える口元を笑みに歪めた。


「それ。鍛冶神グルバに会うために必要だったんでしょ? それを知らなくて渡しちゃってさ…………だから、君に便宜を図ってほしくて」


 彼は頭に手をやり、照れたように申し出る。

 意図を汲んだアイレナは、やはりとばかりに頭を振った。


「鍛冶神グルバに………………要は、口止め料の追加をご所望ってわけね……言われたくなかったら鍛冶神に会わせろってことか」


 当然と言えば当然だ。

 弱みを握った貴族から搾れるなら、搾り尽くすのが人間という生き物だ。

 

 アイレナには時間がない。こんなことに時間を費やしている場合でもない。

 早急に片付けるため、「わかったわ」と口を開こうとしたその時。


「―――違うよ、違う。その交渉は金貨50枚で成立したじゃんか。だからこれは、別件ね」


「べっ……けん……?」


「うん、別件。そうすれば貸し借り無しだ。有望な子から恨みとかも買いたくないし」


 フードを取って顔を晒した男は、やけに整ったそれで自信を覗かせる。


「泣いてたんだから、なんか困ってるんでしょ? だったら、それで行こう」


「な、何言って……」


「ギブアンドテイクだ。君が便宜を図ってくれるなら、俺も君に力を貸そう……俺ってか、俺達だけど。それなら公平だろ?」


 公平性を口にする男は、アイレナの前で膝を付き、見上げるようにアイレナに宣う。




「―――――君が泣いてる原因を解決する。そのために、俺を使えばいい。こう見えても俺、結構使えるよ?」


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