常陸侵攻(四十九話〜六十四話)の登場人物・豊臣軍&伊達家+毛利勢(セリフがあった人
留守政景(1549〜1607)
伊達家家臣。留守氏18代当主で、政宗の叔父。外から政宗や輝宗によく使え、関ヶ原の戦いでは伊達軍総大将として最上義光の救援に出向いている。
石川昭光(1550〜1622)
石川氏25代当主で政宗の叔父。留守政景とは違い、伊達家と敵対していたものの、摺上原の戦い後、白川義親と共に降参し、伊達家の軍門に入った。
鬼庭綱元(1549〜1640)
鬼庭良直の子。良直の最後から重用された。しかし、1595年、子に家督を譲るよう迫られ、出奔。1597年にその罪を赦されると、
伊達家に帰参した。その後は関ヶ原の戦いや大坂の陣などで活躍した。
伊達成実(1568〜1646)
伊達実元の子で伊達家家臣。武勇にとても優れ、人取橋の戦いなどで獅子奮迅の戦ぶりを見せた。しかし1595年、突如出奔するも、1600年、赦しを得て帰参した。その後も
大坂の陣に参陣するなど様々な手柄を挙げた。
豊臣秀長(1540〜1591)
天下人・豊臣秀吉の弟で権大納言。秀吉を支え、様々な戦に出陣し、九州征伐では総大将を務めた。温厚な人物で、秀吉と武将達の仲を取り持っていた長生きすれば豊臣政権は続いていたかもしれないと言われている。
堀直政(1547〜1608)
堀秀政の従兄弟。秀政の元で活躍し、賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家の馬印を奪い、それを取り返そうとしたものを返り討ちにしている。
秀政亡き後は幼い秀治を支えた。
堀秀治(1576〜1608)
堀秀政の子で越後福嶋藩初代藩主。秀政の跡を継ぎ、堀家を繁栄させた。関ヶ原の戦いでは東軍につき、所領を安堵されるも、父同様、若くして病死した
穂井田元清(1551〜1597)
毛利元就の四男。朝鮮にて虎を二頭生け捕るなど武勇に優れていた。また、兄の小早川隆景と仲がとても良く、死期を悟った元清は同じく病床にあった隆景とどちらが先に死ぬかと話し合ったとされる。
蒲生郷舎(生没年不詳)
石田家家臣。当初、蒲生氏郷に使え、その項により【郷】の字と蒲生姓を与えられた。しかし氏郷の跡をついた秀行の代に出奔。石田三成に仕えた。関ヶ原の戦いで青眼につき、敗北するも、秀行がその跡すぐ病死。蒲生家に引き戻された。
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