次代の礎(二十七話〜四十八話)の登場人物・徳川軍(セリフのあった人)

徳川軍


奥平信昌(1555〜1615)

三河長篠城主。当初、今川家に仕えるも、桶狭間後は徳川にその後武田家に仕える。後に再び徳川に寝返った。長篠・設楽原の戦いでは長篠城を守り切った


井伊直政(1561〜1602)

井伊氏第20代当主で上野国高崎藩の初代藩主。後に近江国彦根藩の初代藩主となる。

徳川四天王の一人で井伊の赤鬼として恐れられた。関ヶ原の戦いでは、福島正則を出し抜き、先陣として戦うも、島津軍との戦いの最中で負傷。その傷が元で亡くなった。


木俣守勝(1555〜1610)

徳川家臣だったが、天正壬午の乱ののち、井伊家の赤備えに組み込まれる。小田原征伐後、直政が上野国箕輪に入ると、守勝は3000石を与えられた


酒井忠次(1527〜1596)


徳川四天王の筆頭。また、石川数正と共に初期の徳川家康を支えていた。家康の主な戦いにはほとんど参加している。織田信長との交渉も行なっていたが、瀬名姫・松平信康の件で十分に弁護できず、信康の切腹を防げなかったので、晩年は不遇だったと言われているが、異説も多い。


本多忠勝(1548〜1610)

上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主で徳川四天王の一人。日本三大名槍の一つである蜻蛉切の使い手。生涯58戦無傷であり、関ヶ原の戦い時は落馬したが、これまた無傷だった。


榊原康政(1548〜1606)

上野国館林藩の初代藩主で徳川四天王の一人。同年代の本多忠勝とは親友だった。小牧長久手の戦いの時では秀吉は懸賞金として100000石という触れまで出したという

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