レディ&ランデブー

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レディ&ランデブー

 私の人生は、今振り返るとなんて窮屈な人生なのだろうと思う時がある。

 生まれてから煌びやかな世界を見てきたものの、こうあれと言う者や、こうしなければならないという暗黙の了解がいつも私を縛り付けていた。そう、言ってしまえば私には自由がないのである。それをするだけのちからは豊富にあるのに、それを勿体ぶって手を出さないようにいつも言われてきた。

 結局大富豪やお嬢様なんてそんなものなのである。テレビや創作では好き勝手やって生きられるのに、現実ではそれが許されない。こうあるからにはこういう人間でなければならないというしがらみが、今日まで私の日常を形成していた。


 午前0時を回った頃、私のそんなしがらみだらけの日常は一変する。

 私は人目を警戒しながら、自分が住んでいる屋敷の秘密の通路を進んでいく。そして、その先にある外の世界へと抜け出していく。


「来たか……」


 絵里香からしたらあまり見たことがないような黒い服を着たその男は、こんなふうにいつも私を待ってくれている。そして、


「乗りな……」


私を機械仕掛けの馬に乗るように促してくる。そして、私がそれに乗ったのを確認すると、その人は私を見知らぬ世界へと連れて行ってくれるのである。

 それはまるで、夢のような一瞬であるかのように……。




 朝、一人の少女がその瞼を開いた。暖かな光がその部屋を照らしていた。


「ほんと一瞬……」


 そう呟いた少女は、寝間着を脱いで真っ白な学生服に身を包んだ。そして、赤い絨毯の廊下を歩いていき、大きな階段を降りては、おそらく三、四人では使い余してしまうほどの広々とした部屋へと入っていく。そのテーブルには既に朝食が置かれ、その近くに立つ使用人の人達が一斉に彼女に挨拶をする。彼女はその使用人達に挨拶を返すと、席に座り手を合わせた。


「ところで絵里香、例の件考えてくれたかしら?」


 少女、絵里香の手が止まった。


「はい、考えております……」


 絵里香はそう言いながらも、暗い表情を浮かべていた。そして朝食を早めに済ませ、絵里香は足早と屋敷から出ていった……。




 白いシャツを着た若く地味な少年が原付を押していた。かぶっていたヘルメットをバイクに引っ掛け、その少年は校舎へと歩きだした。

 少年の名は鈴木健すずきたける、高校二年生。それなりの偏差値の高校に通っている普通の学生だ。

 健は自分の席に座って授業が始まるのを待った。やがてホームルームが始まり、すぐに授業が始まった。彼は特にだるいという感じの態度も見せず、黙々と授業の内容を聞いてはそれをきれいにノートに記していた。その光景は一見すると優等生のようなものだった。とにかく、この健という少年は学校では非常におとなしい生徒なのである。


 時間は流れ、昼休みになる。

 健は昼食を食べるために食堂に向かって歩いていた。すると、


「おい……」


廊下にそんな声が響いた。健は一度その場に立ち止まるが、おそらく自分ではないだろうと再び歩きだした。


「おいって言ってんだろ!」


 先ほどと同じような声が今度は健の近くで聞こえた。健が振り返ると、そこには一人のガラの悪い男が立っていた。


「君は……」


 健はその男のことを知っていた。いや、正確にはこの高校の生徒で彼のことを知らない人間などいないが正しいだろうか。その男は、この高校では数少ない不良と言われた男だった。そんな男が、ほとんど接点のない健に声をかけてきたのである。そして、その男はさらに健に近づいた。


「ちょっとツラ貸せ」


 脅すような口調で男はそう語りかける。健は内心びくびくしながらも、おとなしく従って彼についていった……。




 屋上へと連れていかれた健は、その男に問いかけた。


「僕に何の用なんだ?隼斗はやと君……」


 男は健の問いかけに答える。


「最近、夜にバイクを飛ばしまくっているカップルをよく目にする……。それでこっそりどんな奴なんだろうかと思って追いかけていたんだが……」


 息を飲む健。隼斗はそんな健に顔を向ける。


「お前なんだろ?その男ってのは」


 健はそれを聞いて鼻で笑い、その問いに答える。


「そんなことを言うためだけに僕を読んだのか?悪いが帰るよ」


 そう言って足早と立ち去ろうとする健だったが、


「なんでそう中途半端に不良やってやがる?」


隼斗にそう言われるも、健は立ち止まらずに屋上から立ち去った。隼斗はその様子を見てため息を吐いた。


「学校だとこんな地味ななりしてるくせにな……」




 夕方、絵里香は学校から屋敷に帰宅した。すると、屋敷には許婚である男が上がっていた。


勇人ゆうとさん……」


「結婚式、もうすぐですね。僕も非常に楽しみですよ……」


 男はそう優しく語りかける。絵里香は、


「えぇ、私もとても楽しみです……」


と、微笑みかけて、すぐに自身の部屋のほうへと進んでいった。

 部屋に入った絵里香は、そのまま自室のベッドにしゃがみこんだ。


「あの人なら、私をこんな不自由から連れ出してくれるのかしら……」


 そして彼女は、夜になるのを待ち続けた……。




 午前0時になり、今日も二人は夜の暗闇の中を駆け抜けていた。


「今日はどうする?」


 男にそう言われ、絵里香は答えた。


「私と健さんが初めて会ったときみたいに、適当にいろいろな場所に行ってみたいわ……」


「そ、そうか……」


 そう言って、健は適当にバイクを走らせた。


「出会ったときか……。そういえば、あの時たまたま家出してたら、絵里香にばったり会ったんだったな……。あんまりにも美人な子がいたもんだから、思わず止まっちまったんだっけ……」


 健はそう言いながら、絵里香と出会った時のことを思い出す。

 それは今日のような暗い夜のことだった。親の目を盗んで時々家出していた健は、ただひたすらにバイクを乗り回していた。彼にとってこの夜の世界は、スリリングでありながらも普段の日常よりも生きているという実感を感じるものだった。

 健という少年は日常に退屈していた。中学の頃は、親からいい高校に行けと促されながら必死に勉強に励んだが、結局は今のそれなりの偏差値の高校に行くこととなり、以降彼は毎日のように冷たい視線を浴びながら生きていた。それでも成績はいいほうではあったから、せめて学校ではと真面目に勉学に励んでいたわけだったが、その真面目であろうとすることに対して彼はとうとう嫌気がさしてしまい、ついには今日のように家出をするようになったのである。

 そして、その家出の最中の道で絵里香に出会ったのだ。


「お願い!私をそれに乗せて!」


 危機が迫りくるかのような表情で、絵里香は健に語りかけてきた。健は最初こそは首を縦に振ろうか迷ったが、結局彼女の勢いに押されてしまいそのまま連れまわす羽目になってしまった。

 絵里香は分かれ道に行くたびにただ適当に行き先を指示していた。その光景は、一見すると好奇心旺盛な子供が親におもちゃをねだるような感じにも見える。それくらい絵里香という少女にとっては、今起きていることがよほど楽しかったのだろう。下手をすれば大事になるかもしれないのは重々承知だ、だが二人は、普段の生活よりも余程自由になれた気がしていたのだ。

 だからこそ、健は善性で抑え込んでいた衝動をこの夜にさらけ出せたし、絵里香も着飾ったお嬢様としてのベールを脱いで、年頃の少女のようになれるこの夜が好きになったのである。

 それから二人は何度もこの夜に密会してはバイクで夜を駆け抜けていた。そして、普段は行けないようなとこに行ったりしていく中で、健はその時に見る絵里香の笑顔に段々と惹かれていった……。




「あれからどんだけの日時が経ったんだろうな……」


 ふと、健はその時を思い出しながらそう口にした。


「えぇ……、とても長かったようにも感じる……」


 後ろから聞こえてきたその声は、どこか物悲し気だと健は感じた。

 しばらくして、二人は待ち合わせの場所に戻ってきた。絵里香は健のバイクから降りて、彼のほうへと顔を向けた。


「それじゃあ……、また」


 健がバイクを再び動かそうとしたときだった。


「あの……!」


 絵里香が急に声を出した。


「伝えなくちゃいけないことがあるの」


 それを聞いて、絵里香に振り向く健。絵里香は続けて話す。


「私、もうすぐ結婚することになるんです。昔から親同士が約束していた人と……」


「えっ……」


 健は、思わずそう声を漏らす。


「だから、いつかはもうこんな風に夜に出かけたりはできないかもです……」


 健は気持ちの整理が追い付かなかった。そんなのあるか……、惹かれ合っているのだと思ってしまっていた。正直に言えば叫びだしたい気分でいっぱいになりそうだ。そんな感情を押し殺し、健が口にした言葉は、


「よかったじゃねぇか……」


というものだった。


「正直この年齢でって思ったけどめでたいことじゃないか。俺なんかと遊んでるより、絶対その方が幸せさ……。おめでとう!」


 健は笑顔を作りながらそう言った。それを聞いた絵里香は思わず口にした。


「違う……」


「えっ……?」


「そんなこと、言ってほしかったんじゃない……!」


 そう言って絵里香は、その場から走り去ってしまった。健はそれを追うことをせず、ただその場で俯くだけだった……。




 翌日、学校の屋上で健は、昨日の絵里香の言葉に対してひどく落ち込んでいた。


「おい……」


 聞き覚えのある声に思わず反応する健。振り返れば予想通り隼斗の姿があった。


「ひどく落ち込んでんじゃねぇか……」


 近づいてくる隼斗に対し、健は話す。


「許婚だってさ……」


「あの嬢ちゃんがか?」


「あぁ……。終わっちまったよ、俺があの夜から自由でいられたのは、あの子のためでもあったってのにさ……」


「諦めんのかよ?」


 隼斗が健を睨みつける。


「あぁ……、だってもうどうしようもないだろ……」


 苦笑いを浮かべてそう言う健。それを横目に見て隼斗は一回ため息を吐いた。


「お前さ、本当に中途半端なんだな……」


「えっ……?」


 その直後、隼斗は健の胸元を掴んでフェンスに体を叩きつけた。


「いつまでそうやっていい子ぶってるつもりなんだてめぇは!終わっただぁ?まだ始まってすらいねぇだろ!中途半端に悪やっておいてくだらねぇことで終わらせやがって!」


 顔を強張らせる隼斗。健は俯いたまま何も言い返さなかった。


「情けねぇ野郎がよ……。愛した女一人のためにすべてを投げ出せないなんて、結局てめぇはただのおりこうさんじゃねぇか……」


 隼斗は健を押さえつけていた手を離し、その場から立ち去っていった。健は悔しさで思いっきり背中越しのフェンスに子物資を叩きつけた……。




 いつもの夜が来た。午前0時が過ぎたころ、絵里香はいつものように屋敷を抜け出していた。そしていつもの待ち合わせ場所に一人ポツンと立ち尽くし、彼を待った。


「……」


 しかし、いつもすぐに来るはずの彼が、今日に限ってなかなか現れなかった。この結果はわかっていたことだった。だが彼女はそれでも期待していた。きっと彼なら自分をどこかに連れ出してくれるのかもしれないと。

 そんな願いはむなしく、結局その夜に健が姿を現すことはなかった……。




 あれから少しだけ月日が流れた。

 今日も今日とて、健は真面目に授業を受ける日々に明け暮れていた。しかしながら、今日の彼はいつも以上にそわそわした気持ちでいっぱいだった。そう、今日というこの日は絵里香が何時ぞやに語っていた結婚式当日だったのだ。


「もう終わったと言っただろ……」


 と、小さく声を漏らす健。だが、その気持ちはそれを否定したがっていた。


(そういうことなんだな……)


 健は、もう理性ではどうしようもない気持ちでいっぱいになっていた。このまま真面目でいれば少なくとも大人や目上の存在から可愛がられるような人生は遅れるだろう。だが、きっと何かを失ったまま生きていくことになってしまう。その時に、僕は今の僕をきっと強く恨むだろう。だって今、こんなにもあの子のことで頭がいっぱいになっているじゃないか……。


「先生、少し熱っぽいので保健室に行ってきます……」


 そう言って、健は周りのクラスメイトががやがやするのを聞きながら教室から出ていった。もちろん保健室に行くわけではない。健はそのまま人目を気にしながら、校舎裏にある駐車場に駆け出した。すると、


「よっ……」


そこに誰かがいた。恐る恐る近づくと、その人影の正体が隼斗であると分かった。


「こんな時間にさぼってると先生に叱られるぜ?」


 健はそう言ってくる隼斗に向かって言う。


「それよりも後悔する方がよっぽど怖いんだよ……」


 それを聞いた隼斗はにたりと笑みを浮かべた。


「ようやくらしくなってきたじゃねぇか……。不良の世界にようこそ……なんてな!」


 そして隼斗は、ヘルメットを頭にかぶりだした。


「なんで君が……」


「お前がこんな悪行働いてでも奪いたい女のツラが見たくなった……、まぁそんなところだ」


 それを聞いた健は、少しだけ微笑んだ。そしてしばらくしたあと、二台のバイクがその高校から飛び出していった……。




 とある式場に多くの人々が集まっていた。そして、その人々の目の前には白いスーツの男と、白いドレスに身を包んだ絵里香の姿があった。


「……」


 暗い表情をなんとか真剣な表情にしようとする絵里香。周りはそんな絵里香の心情には気づかないまま祝福ムードになっていた。


「新郎、伊集院勇人、あなたは三綴絵里香を妻とし、病める時も健やかなる時も、愛を持って互いに支え合うことを誓いますか?」


「誓います……」


 神父の男に対し、新郎はそう答えた。そして、


「新婦、三綴絵里香、あなたは伊集院勇人を夫とし、病める時も健やかなる時も、愛を持って互いに支え合うことを誓いますか?」


 神父が絵里香にそう語りかける。だが、絵里香はなかなか口を開かないでいた。


(言わなきゃ……、今更もうどうにもできないってわかってるでしょ……!)


 心の中でそう訴えかける絵里香。周りが困惑しだす中、絵里香は震える口を動かした。


「誓い……」


「ちょっと待ったぁ!!」


 式場に荒々しい声と、二つのエンジンの音が鳴り響いた。そこに目をやると、逆光を背に受けて二人の男がバイクにまたがりながら新郎新婦の方を見つめていた。


「あなたは……!」


 絵里香はそのうちの一人の顔を見て思わずそう口にした。健はバイクから降り、絵里香に語りかけた。


「随分と待たせちまったな……、今更どう思っているかは知らないが、おまえを連れ出しに来たぜ……」


 それを聞いた絵里香は、目に涙を浮かべていた。そして自分でも気づかないまま、その足は彼のほうへと動き出していた。ざわつきだす周囲の視線を無視し、絵里香は健に抱き着いた。そして、


「私は、あなたを愛することを誓います!」


と言って、彼の唇にキスをした。


「おぉっと……」


 あまりに予想外の行動に思わず驚く隼斗。そして、絵里香はドレスのスカートを破り捨てて、健のバイクにまたがった。


「さっさと行っちまおうぜ!」


「あ、あぁ……!」


 隼斗に言われて急いでエンジンをかける健。そして、追ってくる数名の大人から逃げるように、健達はバイクを飛ばした……。




 あれからどれだけ走ったのだろうか。気が付けば太陽は真上にまで上がっていた。

 健達はというと、人通りの少ない海沿いの道を走っていた。


「やっちまったな……。あとでどう収拾つけようか……」


 そう語る健に対し、隼斗が語りかける。


「おいおい、お前から進んでやったんだろ?今更いい子ぶんじゃねぇよ!」


「大丈夫です!何かあったら私から説明してみせますから!」


 と、絵里香は言う。


「でもまぁ……、後悔はないか……」


 健がそう言った直後、隼斗が乗ったバイクは二人から徐々に離れだした。


「どうしたんだよ?」


「拝むもんは充分拝ませてもらった。あとは二人でゆっくりするなり仲良く叱られるなり好きにしやがれ!」


 そう言って、隼斗はその場から去っていった。


(ありがとう……。君がいなかったら、多分勇気は出せなかった……)


 健は後ろを振り返り、絵里香に語った。


「で?お嬢さん、これから何処へ行きたい?」


 絵里香はその問いに対し答える。


「どこでもいいわ……。あなたが近くにいるならば……」


 健はそれを聞いて微笑み、まっすぐに顔を向けながら言った。


「そっか、じゃあ行けるところまで行ってみますかね……」


 日差しがぎらぎらと照りつける。だけども二人は、なんだか少しだけ自由になれた気がしていた……。



[完]

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