第33話 解消
「裕ちゃん」
その声は懐かしくて優しくて温かかった。もう一度、呼ばれたくて目を開かないでいると、
「眠ってしまったのね」
そう言って俺の髪を撫でてくれた。誰だっけ?この感じ・・・知っている。
目を開けて確認しようとするけど、なぜか、目が開かない。どうしてだ?
その手を握りたいのに、体も動かない。苦しい。苦しい。苦しい。
気が付くと、目が開いた。そこは、俺の部屋。母親と弟が心配そうに俺を覗き込んでいた。
「よかったー。気絶なんかするから母さんが慌てて救急車呼ぼうとしてたんだぞ」
弟が小さくため息をつく。母さんは涙をためて、
「もう、心配したんだから!!」
俺は体を起こし
「ちょっと疲れてただけだよ。急に眠くなった。気絶じゃねーし、大げさ。」
そう言って二人を部屋から追い出した。
汗びっしょり。
シャワー浴びようかな?
時計を見たら、たった数分しかたっていない事に気が付く。どんだけ心配性なんだよ。母の過保護にまた嫌気がさす。
クローゼットから着替えを出していると奥にしまった箱に目をやった。
手を伸ばそうとしたけど、やめた。
それは開けてはいけないんだ。捨てることができない大切なものだけど、簡単に振り返ることはできないもの。
急いでクローゼットを閉めた。
さっきの俊輔の話は気になった。だけど、今は深く考えたくなかった。頭の中が壊れてしまいそうで怖かったから。
スマホを見た。
メールだ。
”今日はごめんなさい
少し自分の気持ちを考えたいから
距離を置きましょう”
菜穂ちゃんからだった。距離って・・・今だってかなりの距離感で恋愛中だけど・・・。戸惑う。
”今以上に離れてしまうのは
正直、不安
これ以上に距離をとるってどんな風にしたらいいの?”
返した文面は菜穂ちゃんにとってどんな思いを抱かせるだろうか?
嫌な気持ちになるかな?
追いかけてくる男なんて情けなくて気持ち悪く感じてしまうかな?
返信はなかなか来ない。
いつもの事ではあるけど、この状況では辛いな。
”交際関係を解消してください”
その固く短い言葉は、かなり破壊力がある。
”電話してもいい?”
直ぐにそうメールしたけど、返信を待てなくて電話する。
手元にスマホを持っているはずなのに、出ない。20コール以上して、自分の情けない状況に呆れるようにして電話を切ろうとすると、出た。
「もしもし」
「もしもし、菜穂ちゃん」
「ごめんなさい。勝手なこと言って。」
「いや・・・どうしてかな?って思って。
俺の事、嫌いになっちゃった?」
”明るく”を心掛けた。
だけど電話の向こうから、菜穂ちゃんの神妙な心模様が伝わってくる。
「嫌いになんてなれない。裕翔くんは王子様みたいに格好いいし。人気者だし。私なんかには勿体ない。っていつも思ってる。」
「・・・ごめん、よくわからない。」
「ごめんなさい。」
菜穂ちゃんは、そこから黙り込む。困らせてしまったのかも・・・でも、本当にわからないんだ。嫌いになんてなれないって言いながら、別れ話を切り出している。この状況は意味不明だろ?
「何か思うことがあるのなら話してほしい。何も理由なく、別れ話なんてならないでしょ?」
”優しく”を心掛けたけど、口調は焦りからか?強めになったかもしれない。だって、この状況って、心晴が関係してるでしょ?今日の涙がそういう意味だってことでしょ?気持ちが先走る。だけど、詮索するよりも彼女の言葉で聴くべきだと思う。
そうでなきゃ、納得しようがない。
「自分の気持ちが自分のものではない様な状況に戸惑ってる。」
菜穂ちゃんは苦しそうに言葉を出した。
「もっと話して。ゆっくりでいいから。」
俺だって苦しいよ。
「裕翔くんの事はとても格好いいと思う。」
そんな言葉、この状況で説得力無いよ・・・客観的な誉め言葉なんて嬉しくない。今は菜穂ちゃんの気持ちだけが知りたい。
「さっきも言ってたね。でも、振るつもりなんでしょ?」
ちょっと意地悪におちゃらけて言う。ごめん。
「振るなんて・・・私に選択権なんて無い。そんな立場じゃない。私なんて、全然、学校でも誰にも気が付かれる存在でもなくって、魅力だって無くって・・・何もない人間なのに、どうして裕翔くんが私なんかに気が付いてくれたのか分からない。不釣り合いがすぎるから、誰にも言えない。知られたくない。”どうしてあの子が?”って皆に言われるのが怖いの。」
「それが理由?」
「8割は・・・それが理由。」
「後は何?」
怖い・・・心晴の事を言うんじゃないかって。菜穂ちゃんは素直で正直だから。
「後は・・・言いたくない。」
どうしてだろう・・・ホッとした。ストレートに”心晴の事が好きになった”なんて言われてしまったら、返す言葉が見つからなかった。
「そっか・・・じゃ、言わないで。」
「いいの?」
「言いたいの?」
また少し意地悪する。
「言えない。」
だよな。困った声、可愛いな。
「じゃ、言わないでいいよ。菜穂ちゃんの事が知りたい気持ちはあるけど。菜穂ちゃんの気持ちに無理強いして入り込むのは違うと思うし。今日、心晴から言われて少し反省したんだ。」
わざとらしく心晴の名前を出した。俺って本当に意地悪かも。
「・・・」
やはり黙り込んだ。やっぱ心晴か・・・。自分でカマかけておきながら、へこむ。ま、切り替えて。
「じゃ、条件だしていい?」
「条件?」
「菜穂ちゃんが言う通り、恋人関係解消する。だけど、俺の事が嫌いじゃないなら・・・友達になって。」
俺、何言ってんだ?
「友達って?」
「俺の一方的な気持ちで押し付けた恋愛関係だったと思う。俺の事、何にも知らないのに”好きになって”なんて横暴だよね。だから、友達からお願いします!!俺の気持ちは変わらないからさ。俺だけ片思いに戻るだけ。」
情けないかな?こんなこと言うなんて。すがるみたいで・・・。
しばらく菜穂ちゃんは黙っていた。
「分かりました」
よかった。気持ちが緩んでその場に座り込んだ。
「じゃ今からそうしよ。友達として始めよう。」
振出しに戻った。
いや、振出しではない。いい意味に考えよう。恋人だから苦しいなら、友達として俺は全力で菜穂ちゃんを振り向かせる。
絶対に彼女に選んでもらう!俺を好きだって言わせて見せる!!
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