3 埠頭

 深夜の港には街の明かりが輝いていた。埠頭にぶつかって消える波の音を静かに聞いている。三角座りしてると「あのー」と声をかけられた。

 ふり向くとおじさんがいた。顔は良く分からないが、声はまだ働き盛り。でも声が怯えている。いいにくそうにしている。


「シャークファイトの集合場所ってココでいいんですよね」

「そうです」


 涼太は答えた。荷物を置いて立ちあがると周囲を見渡した。時間になったらしい。続々と人が集まってきている。


「もうきてんじゃん」


 女の声が聞こえた。


「げっ、こんなにいるんだ」

「みんなお金目当てかよ」

「露骨にいわないでください」


 闇から種々雑多な声が聞こえてくる。


「これってシャークファイトでいいんですよね」


 おじさんが問いかけた。

 みんな押し黙る。


「えっ、そうなんですか?」


 場の空気を読まない女の子の声が聞こえた。ひどく若い。


「え、いや。どう考えてもそうでしょ」


 男の声がする。

 そのとき、ライトがこちらを照らした。濃紺の制服を着ている。思考が瞬時に停止した。

 警察だった。


「ここで何なさってるんですか」


 涼太はなにもいえず口を開け閉めした。手にじわりと汗がにじむ。ここでバレてしまえば危うい。


「わたしたち夜釣りのサークルなんです!」


 気を利かせた女が溌剌といった。警察がライトをくるりとみんなに向ける。その時、集った顔を初めて見た。

 陰鬱な顔をしたのやら、普段定食屋で働いてそうなのやら、OL、ビジネスマン、学生だろうか。みんなとりどりに揃っている。たぶん自分が一番若かった。


「キミは? 大学生?」

「○×大の2年です」


 涼太は答えた。


「そう、未成年はいないね」


 そういって警察はライトを下げた。


「近頃シャークファイトの件で、注意喚起してるんです。不審な船がきても近づかないように。それでは気をつけて楽しんできてくださいね」


 そういうと警察は去っていった。

 ライトが向こうに消えるとみんなほっと一息つく。


「危なかったあ」


 声を漏らしたのは女だった。


「お前どう見ても未成年だろ」


 30過ぎの男が涼太を小突いた。無礼な扱いをするやつだと思った。


「歳は関係ないでしょう。募集要項にありませんよ」

「っ前、生意気だなあ」


 がっと足を蹴られそうになったので避けた。


「ちっ」


 男は悔しそうに唾を吐いた。

 遠くからボートの近づく音が聞こえてきた。自分たちの前に横づけする。中型艇だった。

 中から降りた男が笑う。目の覚める純白を着ていた。


「ようこそシャークファイトへ」




 中型艇に乗りこむとすぐに出港した。漁港を出たところでみんな集められて、荷ほどきさせられる。男は携帯電話を探していたようだ。提出させると男は1つ1つ夜の海に投げていく。遠くで飛沫があがった。ああ、という声が聞こえた。


「では朝までお休みください」


 男がふり返ろうとしたので、それを女が引っ張った。化粧を厚く塗った夜の店で働いてそうな女だ。歳はたぶん二十歳そこそこ。露出の多い服で男に近づく。


「ねえ、これってシャークファイトでしょう。おかしくない?」

「おかしいといいますと」

「予選でもすんのか、って聞いてんの」


 みんなが息を飲んだのが聞こえた。その可能性を涼太も思っていた。トライする人数がこんなにもいること自体おかしすぎる。10人、これまでのシャークファイトには類を見ない数だった。


「森山夫婦みたいなタイムアタックってのもあるよな」


 たしかに、と誰かの声が聞こえる。

 矢代が笑った。


「予選はありません」


 ほっとしたのもつかの間。


「今回は新しいルールを適用します。いつもですが。そのご説明はのちほど」

「新しいルール?」


 訝る声が聞こえた。


「あんた、名前は?」

「矢代です。今回の水先案内人をします。お見知りおきを」



       ◇



 狭い船室には入り切れず、涼太は屋根で寝た。晩夏なので寝袋はいらない。ビニールシートの上に雑魚寝だ。隣にはあの声を一番にかけたおじさんもいて、眠れないのだろう。小さく啜る音が聞こえている。


「大丈夫ですか」


 涼太は溜まらず声をかけた。


「ごめ……大丈……じゃな」


 洟が邪魔して聞きとりにくい。


「参加しといて泣くのやめましょうよ」


 そのセリフは一番は自分に向けた。真実を知る、そのための覚悟だった。


「そうだね、ごめん」


 そういって涙をごしごしとぬぐうとおじさんは身返りをうった。


「僕は西村っていうんだよ」

「オレは永山です」


 イヤな名前だね、と西村は笑った。


「ギャンブルで借金作っちゃってね。それを支払うために参加したんだけど。やっぱり怖くなっちゃって。割のいいバイトだって、ひどい話だよね」


 その笑顔もどこか虚しかった。


「キミはなんで参加したんだい」

「父の行方を知りたいんですよ」


 隠すつもりはなかった。バレたところで、むしろリベンジ野郎というのはシャークファイトの運営にとって美味しい話だろう。


「そうだったんだね……」


 西村は口を噤んだ。気まずいのだろう、話題を変えるように西村が切りだす。


「僕にはキミくらいの娘がいるんだ。ちょうどこの間彼氏を連れきて」


 涼太はすぐに首をふった。


「止めましょう、仲良くするの。縋りつきたくなる」


 西村は息を飲んだようにした。


「そうだね、ごめん」


 そういうと身を反対にひっくり返して沈黙した。


 夜空を見ていた。曇天だ。今どこを走っているんだろう。乗ってどのくらいにいる。スマホもなくなった。

 今、矢代の寝込みを襲えば。そこまで考えて諦めた。沖合いのど真ん中で停止することほど、怖いことはない。船には船頭が必要だ。


 それに父のもとへたどり着かねば無駄足になる。エンジンの稼働音を耳にしながら眠っていた。




 翌朝、目覚めると半数以上が起きていた。興奮で眠れなかったらしい。朝陽がかんかん照りで暑かった。

 眠っているものも起こすと携帯食をとった。味気ない。腹が減っているはずなのに美味くない。涼太は矢代を横目で探した。


 矢代はスーツの上着を脱いで、早くも軽装に着替えている。推測するに、おそらく向かう先は今より暑い場所だ。赤道を跨ぐのだろうか。中型艇を走らせてたどり着ける距離。おそらくアフリカほどには遠くない。

 ただ、ほとんどのシャークファイトはアフリカで行われていたとのうわさがある。となると、父の元へはいきつけない。

 いや。父がまだアフリカに留まっているとの確証も。


「おい!」


 意表を突かれてふり向いた。声をかけてきたのは昨日足を蹴ろうとした男だった。君島という。


「そのチーズいらねえならくれよ」


 涼太はそれを聞いて、口に放りこんだ。限られた食料は無駄に失いたくない。


「気に入らねえガキだな」

「馬鹿でしょ、ライバルになるかもしれないんですよ」


 なに、と君島が目を剥いた。なにがいいてえんだ、とがなり立てる。


「鋭い勘ですよ」


 声にふり仰ぐと矢代だった。


「どういう意味です、それ」


 夜の仕事をしてそうな女が問いかける。とても興味を引かれた様子だった。


「ゲームの詳細を話していませんでしたね」


 船に散らばっていた他のものたちも寄ってきた。


「このゲームの賞金は5億円。この中で持ち帰るのは1人だけです」


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