3 デンジャーバトル
契約を済ませた次の日から漁を止めて、酸素ボンベをつけて潜る練習をした。事情を話すとホセ老人は怪訝そうにしていたが、確実な話だからといい聞かせた。
集落には漁が上手なのが他にもいて、だから数日は彼らに頼ることにした。
機材一式の用意を願い出ると矢代はお安い御用だといって容易く構えてくれた。
普段は素潜り漁だ。やはりダイビングスーツは慣れない。分厚いゴム素材に縛られて手脚が自分のものじゃないみたいだった。
だが、それも数時間後には慣れてくる。適応力は案外ある方だ。
自在に泳げるようになるとスピアを持った。普段は先端の小さな銛だが、それでは仕留められないと刃先の大きな得物を貸してくれた。使い慣れているものが良かったが、たぶん見栄えなどもあるのだろう。
それで魚を突いてみる。最初は中サイズのタイを。作りが甘いのだろう、スナップが利かない。普段より力いっぱい打ってみると加速した。今度は背に当たった。
段々感覚がつかめてきた。一匹まともに突けるようになると、次はあえて小さな獲物を探した。微細なコントロールを磨くためだ。そうでなければ、いざというときに役に立たない。
静かに野性的に構えた。父から銛を学んだときに教えられた訓練だ。
スピアが突き立つ。
空にかざすと魚が身を曲げた。狙いは十分。小魚1匹たりとて逃がさない。
スピアの感覚を身につかむと1人乗ってきた船に戻って、酸素ボンベを背負う。
運んできたときも思ったが、背負うと見た目以上に重たい。これでは枷になる。
呆れるように吐息してマスクをはめると海へと飛びこんだ。
呼吸の感覚がつかめず四苦八苦した。酸素のこぽこぽという音が聴覚を邪魔して、集中して泳げない。
酸素を吸わないときよりも、吸っているときの方がまるで苦しい。ふつふつとしたものを感じて浮かびあがった。
「ぷはっ」
口元からマウスピースを外して、荒く呼吸した。
「畜生!」
これじゃ、つけていない方がマシだ。だが、ジョセフは諦めない。ここからさらに努力しなければ。
「みんなやってるんだ、方法はあるはずだ」
再び装着すると海へ。その後、夕陽の射すまで何度も繰り返し練習した。
◇
シャークファイトがいよいよ行われる日、ジョセフは父の墓参りにいった。
古傷をえぐられるようで素直にこられた日はあまりない。自分のせいで死んでしまったと思っていたから。
でも、違う。命をかけた今だとそう思う。
父は海に生きて海に死んだ。家族を守り死んだ。
だから、自分も。
「ジョセフ。気持ちは決まったか」
ふり返ると矢代が神妙な顔をしていた。真剣身を帯びた表情に得もいわれぬ感覚が浮かびあがる。彼にとっても大事な一戦となるのだろう。
「見張ってなくても逃げないよ。だからあんたも逃げるな」
「勝って家族に楽させてやりたいんだろう」
「それはあんたの口上だ。だから気にしない」
矢代は英語圏特有のジェスチャーをした。
矢代が手をまっすぐふり上げると遠くにいた2隻のタンカーが姿を光らせた。小型艇が湾内に走りこんでくる。天を指した指先に焼きつけるような太陽が重なった。
タンカーとタンカーの間に不気味な鉄の牢獄が浮いている。極太の鎖で係留して、海面すれすれに見え隠れしている。
活きのいいサメがすでに何頭もいて、獲物を探すように回遊している。
いつもならば確実に獲物だと思える。でも、今日は見え方が違った。
「天井をつけたんですね」
動画のなかではなかったはずの天井のパイプが新たに設置されていた。
強張った背に矢代の腕が回される。
「先を見こんでんだ。お前はいつも通り狩ればいいんだよ」
悪魔のようなささやきが肌を粟立てた。
海は正体を怪しく歪ませながら黒くのたうっている。とても美しいこの国の海とは思えなかった。
「練習してきたんだろう、大丈夫さ」
背に酸素ボンベを背負わせながら、おざなりな言葉を吐く。
「勝っても負けてもいい。盛りあげろ」
それだけいい残すと矢代はタンカーへと向かった。
足を海に浸して、マウスピースを咥える。深呼吸するといくらか落ち着いた。
「あんたの望み通り狩ってやるよ」
ジョセフは静かに海へと身を委ねた。
檻の中に入ると圧迫感に襲われた。普段感じることのない威圧だ。
牢獄に収監されたような心地を憶える。
遠く魚影がいくつも見えていた。事前に決めた条件を思い出した。サメは全部で10匹、それを10分間しのぎ切る。
手に持ったスピアは飾りではない、今さら逃れようという思いもない。
ヤツらは血を欲しているのだ。
背後で冷たい振動がした。鍵がかけられる。
<レッツシャークファイ>
嫌味なほどに気取った矢代の贈り言葉が聞こえた。
水を掻いて、進んでいくと鼓膜がわずかな振動を拾った。波音に混じり、そよぐ音が聞こえている。次第に強く、奔流を巻いて。
ぐんっと蹴ると潮流が一瞬で変わった。歯牙を尖らせながら、一閃のうちに迫りくる。神経が荒ぶった。恐怖しているのではない、望んでいるのだ。
狩人の魂をふりかざしてスピアを切る。背筋をしならせながら、イルカのように躍動した。スピアがイタチザメの脳天を貫いた。
薄く血が漂う。その臭気を感じながら静かに目を閉じた。動じていない、いつも以上だ。120パーセントの力で望めている。
ジョセフは死骸を打ち捨てながら、そのまま次の回廊へと進んだ。
しばらくすると矢代の声が聞こえてきた。
<気持ちいいほど殺ってくれたな>
「あんたにとって不満だろう。みすみす死ぬつもりはないんだ」
<いや、いいよ>
そういい切ると再びインカムを切る。
(発奮していないサメなど怖くはないさ)
スピアを持った手に力をこめる。次のサメを狙いにいく。
アオザメは速い。反応速度も抜群によく、狩るか狩られるかのところで駆け引きをしている。回遊しながら獲物を見定めているのだ。
右へいった。左へ。それをじっと目で追う。体をくねらせながら緩急をつけているのだ。外れると痛い、小魚の比ではないだろう。襲いかかった瞬間に襲われる。
ジョセフは呼吸を整えた。
両手でスピアをにぎると真っ直ぐ突進した。声を猛らせながら、喉深く切っ先を射しこむ。背まで貫通させると剛力で引き抜いた。ぶわっと血が拡散されてゆく。
周囲からサメが寄ってきた。仲間の流血にすら群がる愚鈍どもが。軽蔑しながら、安全バーを越えた。
恐怖の濃度は薄かった。
矢代はうろたえる様相を欲しているのだろうが、そこに至らない。
出会う度に確実に仕留めて、かわしている。
次第にサメのほうが殺気だって、周囲に集まり始めた。相対できるのはせいぜい1頭が限度だ。
ジョセフは3頭のサメに囲まれて、行き場を失った。肌に血のにおいがこびりついているのだろう。飢えたように歯牙を剥いている。
一頭の突進を避けた。突き刺そうと思ったが、タイミングを逃した。そのところへ2頭目の攻撃。体を横向きに反転させながら、立ち向かう。シュモクザメの喉を切った。
残りの一頭がシュモクザメに喰らいつく。尾を爆発したようにしならせた。シュモクザメの身が切れ切れになりながら海中へ散る。
(しまった!)
視界が濁ったところへ、最初の一頭の一撃があった。
「くそっ」
小さく声を漏らして焦る。
器用に身をひねると、勢いをつけてすれ違いざまに腹を裂いた。濃厚な血が視界を埋めてゆく。血のもやに巻かれて縦横無尽に動き回ったところへ、急流が沸いた。恐怖が喉を絞り切る。鋭利な歯がめりりと音を立てて砕けた。
硬質な酸素ボンベがへこむさまをジョセフは見送った。
とっさに避けるために酸素ボンベをイタチザメの大口にかましてしまったのだ。穴のあいた黄色い物体は無数の泡をまき散らしながら沈んでいく。すべてが抜け切るとがんっと牢獄の床に打ちつけられて冷たい音がした。
口に空気は少し残っている。手元にはスピアだけ。肝が震えた、サメはボンベすら砕くのだ。
でも、きっと大丈夫。
高まる緊張を抑え込むように胸に手を当てた。
ジョセフはゆっくり水を掻いて、牢獄の奥を目指した。
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