5章 ジョセフ・カスティーヨ

1 サメ狩りの青年

 陽光の照り返る海を見て、ジョセフ・カスティーヨは深呼吸した。

 肺を酸素で満たすと一気に深く潜る。右手にはよく使いこんだ銛を持って、身1つで狙っているのは大型のサメだ。

 それも活きのいいのを探している。


 大型ほどに好奇心があって獰猛で、獲物を捕らえるために賢く身を引いている。

 眼光鋭く海をにらんでいると、厚みの薄い魚影が見えた。


 ブルーシャーク(別名ヨシキリザメ)だ。


 ホワイトシャークなんかと比べるとやせ形だが、ボリュームがあって美味い。ヒレは日本や中国向けに高く売れる。余れば身は切って村の人々に分ける。

 呼吸をあつらえると大きく水を掻いて近づいた。


 向こうもこちらの得物に気づいたらしい。

 大きく反転すると勢いを増して破ってくる。すぐさまゾーンに入った。

 ジョセフは体をのけぞらせて、大きくばねを描く。そのあと、一気にサメの脳天へと銛を突き立てた。

 電気が走ったように身をくねらせて爆ぜた。水塊が宙に飛ぶ。


 水上に顔を出すと呼んだ。


「ホセ!」

「ジョセフ、やったか」


 手をふり上げてだらけた尾を見せる。サメは死んでいた。

 ゆっくり獲物を引きながら小舟に近づくと身を乗りあげた。捕らえた獲物は小舟の縁にそよがせて陸地まで運ぶ。


「上等のブルーシャークだ」


 ホセ老人が満足そうにいった。


「ジャパニーズが一番好きなヤツだよ」

「フカヒレっていうのかい」

「そうだよ」


 オールを漕ぎながらホセ老人は海にほほ笑んだ。


「ジョセフ、お前はバジャウの誇りだよ」




 その足ですぐに近くの漁港に売りに行った。

 週に3度くらい日本人がサメを買いつけにくる大きな市場だ。一番喜ばれるのはブルーシャークだ、そのことを知って捕らえた。いつもなら身は売らないが、今日は売るつもりでいる。


 先週の大雨で漁ができなかったから渇々なのだ。

 しかし、ジャパニーズは身はいらないと手を払った。


「なんでだよ!」


 発奮すると仲買人は下手くそな英語でこういった。


「こっちもいらないのさ、いらない。身は大して儲からないんだ。通じてるか?」


 悔しさがこみあげる。先週とは別の男だった。以前の男は買ってくれたのに。

 ヒレだけ切って売り渡すとホセ老人とともにリアカーでサメを引いて半時間かかる集落へと戻った。




「兄ちゃんお帰り」


 7歳になる末の弟が抱きついてきたのでそれに応じた。


「サメ捕ったよ」


 にっこり笑うと弟は目を丸くした。


「本当、すごいや! ブルーシャークじゃん。かっこいい」


 ヒレを切り離されて惨めになった獲物を称賛してくれている。ホセ老人は肩を叩いて準備を始めた。


「ジョセフお疲れさま。解体しておくから、あとで取りにきておくれ」

「分かった。いつも世話かけてごめん」

「こっちのセリフだよ」


 ジョセフは集落の外れにある自宅に帰ると服を脱いだ。

 鏡の前に立ち、その姿を見つめる。半身に這ったデカい傷跡は以前ヨシキリザメにやられたものだった。


 あの恐怖からもう6年が過ぎたのだ。


 父と突きにいった浅瀬で捕まった。助けようとした父は死んで自分だけが生き残った。

 潜りを続けているのはその負い目があるからだ。


 イヤなことがあるといつでもそれを思い出す。くり返しくり返し強迫観念のように日常を襲う。


「ジョセフ帰ってたのかい」

「ああ、ただいま」


 畑仕事から帰った母は手にかごを持っている。浅く焼けた肌にカラフルな布を巻いている。弟がもぶれついた。

 ジョセフはTシャツに着替えると村の広場へと向かった。




 広場ではサメの解体作業がすでに行われた。知識をよく知るホセ老人を中心に、村の女たちが寄り集まって楽しそうに切り分けている。


「ジョセフ、これいいよ。身がよく締まってる」


 叔母に声をかけられて、声を弾ませた。


「本当?」

「食べてみるかい」


 口を大きく開けると放りこんでくれた。トロける味がする。


「鮮度がいいからね、臭みがあるなんて嘘さ」


 鮨の文化がある日本でも、サメは生で食う習慣はない。選り好みしたジャパニーズのことをホセ老人が話したのだろう。イヤみをいっているのだ。女たちは手早く切り分けると各家庭へ譲渡した。


 このバジャウの集落では近年、若者が都会に出て働きつつある。海を棄てているのだ。

 そんな中でジョセフは今でも海とともに暮らしている。

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