3 鮫島という男
閑静な高級住宅街に故鮫島卓二の自宅はあった。出てきたのは初老の妻だった。
「すみません。警察です。亡くなられた卓二さんについてうかがいたいことがあります」
はあ、と妻は不審がりながらも自宅に入れてくれた。
調度品の目立つリビングからは庭が眺望できた。良く手入れされたイングリッシュガーデンに紫陽花が咲いている。
始めの事件が起きてから半年が経とうとしていた。
「卓二さんは大岬を親族の方に譲渡されていますね」
「ええ、甥の流星です。死後に格安で譲ってほしいとのことで5000万円で売り渡したんです。わたしは老後の生活もあるから」
そういって紅茶を燻らせた。彼女は少し不安げにしている。いい生活をしている奥さまなら当然かもしれない。
老いた彼女の目は思い出を探っているらしかった。
「そういえば、主人は生前よく話してたんです。船を使ってゲームがしたいって」
「ゲーム?」
「ええ、詳しくは聞きませんでしたけれど。海外には友人がたくさんいますから」
ぞっとしたものが胸を駆けあがった。インテリが浅く呼吸したのが聞こえた。
「流星さんの写真はありますか」
「ええ、若い頃のですけど」
そういって妻は作りつけの本棚に寄った。豪華な金縁のアルバムを引っ張り出す。
「これ」
そういって指差したのは笑顔のまぶしい、色素の薄い青年だった。
「大学出てからなにしてるか、ちっとも教えてくれなくて。でもお金はあるんだと思いますよ」
「その写真お借りできますか」
どうぞ、と渡して妻は思い出したようにいった。
「やっぱり何かしたんですか。あの子、変わってるんですよ」
「変わってる?」
「紫が好きなんです」
海外生活の長かった妻は簡素にそういった。
「紫が好きで変わってる、よく分かんねえな」
帰路の車内で愚痴るとインテリは運転しながら詳細を説明した。
「昔は海外では紫は娼婦が好んで着る色だっていわれてたんですよ」
「ああ、それで」
「たぶん海外生活が長かったんでしょうね」
「友人が多いって気になるよな」
「ああ、そのことですか」
そういってハンドルを右に回した。
「鮫島卓二は社交界に所属していて、ブルジョアな付き合いをしていたようですよ。本人も英語が達者で。高校の時に英語の弁論大会で優勝していますから」
「仕事が早ええこって。お前とどっちが英語上手いんだ」
「オレのはネイティブです」
だよなあ、と呆れたようにいうと浅井は窓の外を見た。ネイティブかどうかなんて聞き分けできない。
雨がフロントガラスを叩いている。
◇
間もなく、キジマ。本名、鮫島流星が都内の喫茶店で行方不明者の森山奈津美と会っているところが確認された。手がかりになるのはその1度だけ、ずいぶんと慎重にやったものだ。
年月を経て少しふっくらしているが、骨格は一致する。叔母の証言通り、えんじに近い紫のスーツを着ていた。
本部長が机を殴って怒号のままに立ち上がった。
「鮫島流星を重要参考人として引っ張る! 分析班は引き続きタンカーの行方を」
発奮して人員がいっせいに湧き立った。
ジャケットを羽織るとポケットから煙草が転げた。それを拾うとデスクに置く。
「いいんですか」
戻さなかったことをインテリが不思議そうに問うので笑んで返した。
「吸ってる暇はねえからな」
朝からコーヒーも飲んでいないのに、神経が興奮し切っている。
(待ってろクソやろう)
インテリを伴うとパトカーの待機させた駐車場へと急いだ。
鮫島流星は埠頭で海を見ていた。気に入りの紫のスーツを今日はあえて着ている。目立つということを承知で着ろと進めたのは矢代だった。
たぶんオレも生き餌だったのだろうな。警察を釣るための。そう思われてならない。
このスーツは敬愛する叔父に贈られた1着だった。
彼の死に際にささやかれたシャークファイトの全貌をまた思い浮かべている。まだ足りない。まだ、恐怖が足りない。その半ばでの頓挫となる。
だが、少なくとも頭のいい矢代の算段で、ゲームは予想以上に盛り上がり上手く回り続けている。
十分過ぎるほどの快楽を味わった。こんなに気分のいいことはない。
「鮫島流星だな」
呼びかけられてふり向くと刑事が数名後ろに立っていた。警察手帳を見せている。悲嘆も興奮もしていない声だった。普通の日常の、彼らにとっておそらくよくある事件の1つなのだろう。
「遅かったですね」
鮫島はサングラスの奥でにたりと笑った。
諸々の手続きを終えて、取り調べは浅井とインテリで担当した。
灰色の小さな部屋で浅井は穏やかに話を切り出した。怒りを堪えているというのが適切かもしれない。
「シャークファイトを取り仕切っていたのはお前か」
「いいえ」
煙草くださいというので禁煙だ、と否定した。
「タンカーは今どこにいるんだ」
「知りませんよ。日本を離れたんでしょう。最後は電話もするなといわれました」
「タンカーはお前のものじゃないのか」
いいえ、と面白そうにした。
「勘違いしないでください。みーんなのものです」
みんな。浅井のなかにインテリのいっていたブルジョアという言葉が浮かびあがる。
「シャークファイトがどういうゲームだか理解してますか」
「サメの匹数×時間×100万円で賞金を決めるんだろう。生き残れば賞金を得られて……」
鮫島はくつくつと笑って首をふった。
「それは表向き。みんなかけてるんですよ。生きるか死ぬかに」
生きるか、死ぬか。佐久間梨乃の動画に映っていたあの賭博のことか。
「賭博の連中とはどうやって連絡を取っていたんだ。電話か、メールか」
「連絡は取っていません」
「取っていない?」
「みんな群がってくるんですよ。サメのようにね」
笑顔に身震いするような感覚を覚えた。
「でも面白かったでしょう。シャークファイト」
浅井はだんっと机を蹴った。怒りが頂点に達した。
だが相手は動じていない。
「あんたたち警察も面白かったはずだ。みんな喜んで追ってたじゃないですか」
「ふざけんなよ。人が死んでるんだ! 今すぐ全部知ってることを話せ」
「シャークファイトは消えたんでしょう。だったらこれ以上のことはなにも知りませんよ」
「みんなっていうのは?」
インテリが冷静に問いかけた。
「投資家、芸能人、ブローカー、弁護士。海の向こうには金を持ってる連中がたくさんいますよ」
「ずいぶん美味しい思いをしたようだな」
「スリルを味わったんですよ」
浅井は持っていたボールペンをだんっとふり下ろした。ボールペンは鮫島の指の股をかすめて机をへこませる。
「てめえの快楽求めて何人殺ったんだ」
「オレはスカウトしただけだよ、焦んなおっさん」
ようやく本性を現したように笑った。
「現地の様子は知らねえんだ。全部矢代が取り仕切ってるからな」
「矢代?」
「本名は知らねえ、スタンフォード出てる秀才だよ。重要なやり取りは全部ヤツがするんだ」
煙草やっぱりくれねえか、というのでミルクキャンディを渡した。笑ってなめると可笑しそうにする。
「トカゲのしっぽ切り、おれはハブかれたんだよ」
瞑らな瞳に闇を宿して男は心から愉快そうにしている。浅井は憎悪を覚えた。
こうしている今も、世界のどこかでシャークファイトは動き続けている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます