5 命の賭博

 都内の特別捜査本部は慌ただしかった。

 シャークファイトのライブ中継がされている。こんなチャンスは2度とない。


 先日訪れた佐久間梨乃の自宅にあったパソコンを解析するとその部屋で投稿されたものだった。データを送受信した形跡はない。だれかが、直接データをUSBか何かで運びこみ投稿したのだ。


 だが、今回はライブ中継。ということは送信元があるはず。

 それを調べるために現在解析班が分析を急いでいる。


「まだかよ」


 尽力を無視しているわけではないが、浅井の口からぼやきが漏れた。

 目前の彼女はまだ生きている。それが気持ちをざわめかせた。

 アカウントを作成して、コメントも送った。だが彼女の眼がそれを拾わないのだろう。



――生きろ。



 精一杯絞った言葉はコメントの波にすぐに埋もれた。

 今できるのは事態が悪化しないように見守るだけ。家族はどんな気持ちで見つめているのだろうか。それが偲ばれる。


「複雑に飛ばしていてつかめないんですよ」

「分かってる」


 頭を掻くと陳謝した。急いても結果はついてこない、冷静に構えていろ。動画に散りばめられた手がかりを少しでもつかめ。それは分かっているが。


 動画を見て歯がみする、佐久間梨乃が大きく迂回するのが見えた。



       ◇


 

 将来はフリーターになって1人暮らししたい。梨乃が夢を抱いて動画投稿を始めたのは中学のときだった。

 負けん気の強いギャルだが、学校生活はごく真面目。運動神経もよく、徒競争ではだれにも負けなかった。近所のおばさんにあったら必ずおはよう。ごはんはごちそうさま。梨乃は良くしつけられた快活な子だった。


 フォロワーが増えたのは今年に入ってから。

 彼氏と別れた際の恋愛ぶっちゃけ動画がバズった。

 これ以降、等身大な梨乃の物いいに共感を持った若者は多い。


 フォロワーは13万人、トップランカーには遠く及ばないだろう。それでもたくさんの女の子たちの心を動かせていることにやりがいを感じている。


「いたよ」


 指を指してささやく。遠く、交差点に巨大な影が過ぎた。他のサメの倍以上。メガロドンに違いなかった。ぬんめりとした気配を放ちながら獲物を探している。


 なんと巨大なのか。丸太のような腹に人を何匹喰らうのだろう。


 怨嗟の鎖に捕らわれて、怖気づいた。肌をぞっと違和が駆けのぼる。呪われたように肝が締めつけらた、かわせる気がしない。


 足踏みしていると頭上からたくさんのぶつ切りの魚が播かれた。


「きゃああああああ」


 突如、肌にまとわりつくような恐怖に侵された、血のにおいを嗅いでメガロドンがつきこんでくる。


 梨乃はバーにしがみつき、とっさにメガロドンを回避した。巨大な鼻柱で鉄をえぐるようにかむと縦揺れが起きる。

 そのまま強靭な歯でパイプをひん曲げる。梨乃の目前で一本を砕き割った。


 心臓が爆ついていた。


「はあ、はあ、はあ」


 激しく泳いでいないのに呼吸が荒い。怖くて堪らない。鼻先が近くにある。

 反対方向からきたサメを今、かわしたらメガロドンの餌食になる。安全バーの左半分へ這うように移動していく。

 安全地帯で失念していたスマートフォンを確認して、信じられないものを見た。


 視聴者数45万人。


 さめざめとした気持ちに満たされた。この勝負を喜んで観ているものがいるのだ。


「やめてよ、梨乃怖いんだよ」


 涙が出そうになる。

 初めて分かった、勘違いしていた。シャークファイトはサメを避けるから面白いんじゃない。命を晒しものにするから面白いんだ。


 画面を見るのも怖くなって手を下ろした。

 喜んで観たはずの動画がこんなにも。

 帰りたい、日本に帰りたい。


 金属のパイプが波打った。メガロドンが再び突進した。明らかに梨乃を狙っている。1回転して勢いをつけると再び。

 ぶつかった衝撃で錨型に体をひん曲げた。体を苦しそうに折ったあと、塊をごっと勢いよく口から吐いた。

 檻に沈みゆくものに目を見開く。


 真っ白な人骨だった。


 水のなかですすり泣いて、嗚咽した。恐怖が止まらない。やめたい、リタイアしたい。


(やらせということは秘密ですよ)


 矢代の言葉が過った。だめ。もうだめ。

 心を決めると梨乃は力の限り叫んだ。


「みんな! これやらせじゃないの! 本当に」


 声が震える。消されるかもしれない。恐怖を押しこめて続ける。


「参加しちゃだめ、絶対に」


 メガロドンの猛追をぎりぎりのところで避けている。もう喰われそうだった。

 助けてくれるもののない孤独の海の牢獄に閉じこめられている。はっと、震えた手のなかにあるものの存在に気がついた。


 スマートフォンだ。


(これで助けを呼べば)


 そう思ってタップし、信じられない書きこみを目にした。


「えっ」



――死ぬ方に250万。



 すべての思考が停止した。何のことだろう。これは投げ銭じゃない、意味が理解できなかった。

 すぐさま続けざまに書きこみがある。コメント欄が高速で動き始める。



――死ぬ方に280万。

――死ぬ方に500万

――死ぬ方に800万。

――死ぬ方に1000万



 じわりと涙があふれ出した。

 死を待望している人々がいるのだ。


 唇を噛んで涙を滴らせた。こんなにも、こんなにも頑張っているのに。


「死なないよ、梨乃は死なない!」



――死ぬ方に1億5000万

――死ぬ方に2億万。



 金額は爆発的に膨れあがっていく。呪いの幻聴が鼓膜を震わせた。輪廻のようにらせんを描いていく。


(死ぬ方に、死ぬ方に、死ぬ方に、死ぬ方に…………)



――死ぬ方に全財産。



「やめて、いい加減にして! あたしは死なない!」


 梨乃は甲高い声で叫んだ。その瞬刻、恐怖に血の気が引いて世界が絞られた。

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