4 海上と会場 

 鳥が空高く飛んでいる。種類なんて知らない。

 海の景色に飽いて、喋ることもそろそろ尽きそうだ。


「ここってワイファイありますか」


 動画撮影を終えた梨乃は、矢代に問いかけた。


「ありません、電波が入りませんので」

「なんだ」


 そういって梨乃は手を下ろした。渡されたスマートフォンに動画を撮りためているが、それはその都度矢代に渡している。たぶん加工してネットに流していると思うが、日本での状況が今どうなっているのか、確認する方法もなかった。


「退屈しているでしょう。飲みますかお酒」

「えっ、いいんですか」


 自分が未成年でダメなことくらい知っているだろう。でも、まあいいか。そういう大人じゃないんだ。豊かなガウンを渡されて羽織ると矢代についていった。


 遠くに船が航行している。この船も相当大きいが、タンカーなのか。内装は無機質に改造されて種類もよく分からないでいる。

 船尾で去りゆく景色を見つめながら、水色のカクテルを提供された。憧れていたものの飲んだことはなかった。真面目な両親が悲しむと思ったからだ。


 でも今はいいよね、と独りごちる。


「お酒ってこんな味なんだ」


 初めて知るアルコールに酔いしれて、静かに浮かびゆく星を眺めた。詳しい知識はない。理科は得意じゃなかったから。でも綺麗だと見惚れた。


「あとどのくらいで着くんですか」

「1週間もありませんよ」


 結構遠いんですね、とグラスを置いた。おかわり下さいと頼むと、次いで運ばれてきたのはオレンジのカクテルだった。柑橘系のフレッシュさが漂う。


「撮影のとき、この水着着たいんですけどいいですか」


 レイチェルと買いに行った水着。とても気に入っている。レイチェルは元気だろうか。


「向こうは寒いですよ。ダイビングスーツじゃないと凍えます」

「そうなんだ」


 せっかく買ったのになとリボン結びになった肩ひもを引っ張った。


「矢代さんは飲まないんですか」

「仕事がありますので」


 そういうとそばに控えていた男の肩を叩いた。付き合ってやれと小さく聞こえる。

 ちょっとイケメンなその若い男は梨乃の対面に座ると煙草を吸ってウィスキーを飲み始めた。

 おざなりな会話に心が弾んでいる。バカンスだと思えばなんでもないよと笑顔が綻んだ。

 目の端に矢代が船室に戻ったのが見えた。



       ◇



 ちょうど1週間後、タンカーはどこかの沖合の、停泊していた別のタンカーのすぐそばに止まった。碇を下ろして、極太の鎖を繋いで会場を設置している。その手なれた一連の作業を梨乃は静かに観ていた。


 大きな背びれがいくつか見える。サメはすでにスタンバイして、準備は整っていた。

 ダイビングスーツのファスナーを引き上げると梨乃は顔を叩いて気合いを注入した。


「よしっ」


 金髪を後ろで束ねて、威勢を張る。甲板にはこんなにスタッフがいたのかというほど人があふれた。

 梨乃は小型艇に乗ってシャークファイトの会場に入ることになっている。


 タンカーの上で最後のレクチャーを受けた。スマートフォンを渡されて、ゲームの説明がなされる。

 梨乃のトライはFreeに乗せて、ライブ中継される。賞金は投げ銭で増えていくシステムだ。トライ中、スマートフォンは自由に使ってよし。質問するのもつぶやくのもOK。ただ、やらせについては言及しない。


 ほぼ事前に承諾した条件だった。


 海に入ると静かに呼吸を繰り返す。高鳴りが止まない。

 静かに目を閉じて心拍を整えるように、感情を均す。怖くない、怖くない。


「開けて下さい」


 呼びかけに応じて、牢獄の扉が開かれる。

 目を開けると念じた。


(ギャルなめんなよ)


 梨乃は静かに迷宮へ入っていった。




 入ってすぐのところにサメはいなかった。いきなり襲われると恐ろしい場面を想像していたがそうではない。フィンを滑らかに動かして動画映えを気にしている。


(あたしってスタイルいいじゃん)


 ダイビングスーツ越しでも分かるボディに酔いしれて、水を掻いて進んでいく。

 最初の曲がり角を右側に進んだ先にサメがいることを確認した。面白くするって何だろうと瞬刻考える。


(まあ、いいや)


 サメを右手に見ながら避けるという判断をして安全バーにたどり着いた。

 ぎりぎり手のひらで包みこめないパイプに身を寄せると、手に持っていた防水使用のスマートフォンを確認した。


 Freeで自分のトライのライブ映像が流れている。コメントもどしどし届いて、視聴者は10万人を越えている。いつものライブではあり得ない数字だった。


「みんな、ありがと~う」


 檻の中をきょろきょろとしてカメラを探す。東の隅にあった。手をふって愛想をふりまく。

 ただ、気になるのは投げ銭だ。現在のところ3万500円。こちらは思った以上に伸びていなかった。


(やっぱりサメとやんなきゃ)


 美味しい場面が必要なのだ。身をひるがえして先程やり過ごした角に戻る。サメの先へ進もう。だが、方法が分からない。

 そこで考えた。インカムに喋ったら言葉はマイクで拾うと矢代がいっていた。


「サメってどうやったら襲ってこないの。コメントで教えて~」


 インカムが拾ったのだろう。すぐさま書きこみがあった。



――イヤ、普通襲ってこないから。

――りのりん頑張れ

――あえて襲われるという手段もあるよね

――すごいこといってる。

――草。



「そうなんだ、襲わないってこと? 大丈夫なんだ」


 視聴者の言葉を信じて危険なルートへ進む。サメが正面からやってきたので身を低くした。これだけは過去のシャークファイトを見て学べた知識だった。

 造作もなくやり過ごすと、安全バーにはさまった。


「みんなあ、抜けたよ」


 心拍が少し高い。ちょっと緊張した。再びカメラを探して、スマートフォンを確認すると投げ銭が15万円にあがっている、だが想像以上に弾んでいない。一方のアクセス数の方は20万人と倍以上に膨れあがっていた。


「見てくれてありがとう。うれしー」


 再びカメラを探して手をふった。


(サメと遭遇すると増えるんだ)


 梨乃は次のサメを探して、泳いでいった。




 申告している条件は5匹で10分間。3匹でもいいといわれたがチキンだと思った。それほどに盛り下がることはないと思っている。

 動画で見た、映像のなかのシャークファイトはすごく危険なように映っていた。だが、実際はサメのいるプールで自由に過ごしているだけ、時々出会うけれどそんなに脅威はない。石垣島のダイビングと同じなんだと思った。


 やらせ。矢代の忠告が脳裏をかすめる。おそらくそういうことなんだろう。


 このままでは弾まない、梨乃は演技してみることにした。


「どうしよー、めっちゃ怖い。助けて、死ぬ。怖い」


 追いつめられたネズミを演じながら、ネコを待つ。心の余白で、美味しくするためにと考えている。

 するとコメントが増えた。



――わざとらしいよ。サメこないし

――この子好きじゃないわ

――www

――メガロドンはやく



 視聴者数は減っていた。現在15万人。


「はあ? 何でよ!」


 思わず憤った。つんのめるように声が出た。



――どうしたりのりん。

――ひとりごとw

――おかしくなったんじゃない



 目をしかめる。上手くいかないものだ。日々の動画でもそう。観てはもらえているけれど、頭打ちになると案外厳しい。

 きっと普段の視聴者は変わらず観てくれているはず。でも、稼がなければいけないのはそれ以上のアクセスだ。

 先程のコメントが脳裏に留まっている。



――メガロドンはやく



「メガロドン、あのヤツね」


 インカムも拾えないくらい小さな声で呟くと周辺を無作為に探し始めた。

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