4章 佐久間梨乃

1 フリーター

「この間もいったけどね、あたしシャークファイトに参加するのー」


 ミディアムロングの金髪を掻きあげて、「はい、寝起き。すっぴん」といって佐久間梨乃は続きをまくし立てた。


「なんかねえ、先週鬼島さんって人からスカウトされて。今日学校終わったら話するんだけど、びっくりじゃない?」


 顔を近づけて肌の調子をスマホのカメラで確認した後、CCクリームを指の腹で塗りこめる。大事なのは毛穴を隠すこと、手早く済ますことだ。


「あのさあ、賞金の話もあってさ。あたし、フリーターでしょ。フリーターらしく投げ銭システムでもいいよっていわれてるのね」


 ビューラーをライターで炙り、まつげを数回に分けてはさむとこんもりカールさせた。透明マスカラの先端をしごいて慣れた手つきで絡めていく。


「実際面白くない? 投げ銭で賞金決まるって。時間はそんなに長くなくてもいいよっていわれてるのね。5匹で10分とか、3匹20分とか。でもサメだよ。すごいよね、サメでしょ」


 仕上がりの目を瞬かせると、決め顔で笑った。


「みんなの意見聞きたいからコメント頂戴。面白くしようよ。詳しいこと決まったら連絡しま~す。じゃ、また」


 梨乃はスマートフォンの録画を止めると、シャットダウンするように笑顔を消した。暗転した画面に化粧を済ませたばかりの顔が映る。

 これからこの動画を編集して、興味を引くようにしなければならない。気分によってはノる日もあるが、大概はこの作業が面倒だったりする。


 細い指先でFreeのアプリをタップしてログインし、昨夜投稿したばかりの動画のアクセス解析をすると消沈した。再生回数があまり伸びていない。


「チャレンジ系はだめか。ファッション系がウケるかな」


 暴飲暴食チャレンジを投稿したばかりだが、夏までに5キロ痩せようと決めている。デブではないが、もう少し痩せてキレイになりたい。腰の肉をつまんだ。時計を見るとそろそろぎりぎりの時刻だった。


「やばっ」


 学校カバンを手に取ると玄関に急ぐ。


「あっ、待った」


 慌てて履いた靴を脱いだ。部屋に戻ると撮影スタンドに固定したままだったスマートフォンを手に取り小走りで家を出た。




 教室に着くとクラスの大半はすでにきているらしかった。


「メアリーおはよう」

「おはよー、レイチェル」


 自分たちのなかで最近流行っている外国風のあだ名で呼び合う遊び。ラグジュアリーな気持ちになれるからハマっている。なんでも無いことが学生時分は楽しかったりする。

 席に着いて、教科書を移し替えているとレイチェルが話題をふった。


「昨日の動画観たよ。シャークファイト」

「ああ、あれね。回んなくて」


 テンション低く、ふるわないことを告げるとレイチェルは砕けた顔をした。


「告知、みんなやってるもんね」

「面白かったっしょ」

「話題にはなるよね」


 それよりさ、と梨乃はトップコートを塗った爪先をピンと弾いた。


「来週。マジ、笑うから」


 なにそれ、とレイチェルが笑う。チャイムがなって担任が教室にくると、レイチェルは席を離れた。




 6時間の授業が終わり、掃除の時間からホウキを小脇に置いて動画の編集をしていた。効果音をつけたり、音楽を流したり、テロップを入れたり。あんまり面白くないところはばっさりカットする。


「ああ、めんどくせえ」


 胡坐をかいてスマートフォンを両手で操作しているが、レイチェルは真面目に掃除をしている。以前「ギャルだよね」と確認すると「ギャルだよ」と真面目に返された。


「今日クロッフル食べて帰ろうよ」

「ごめん、ムリ。商談があんだ」


 レイチェルは疑問符を浮かべて不思議そうにした。

 あたしはファイター、Freeという荒波で闘うギャル。だからそんなに暇じゃない。


 ホームルームが終わると梨乃は指定されていた喫茶店へ急いだ。ギャルは全力出さないという自分のなかの鉄則を覆して。


 ジャズ喫茶店に着くと奥座席に紫スーツの男が待っていた。生演奏しているが店内に客は少ない。自分ではまず入らないような高尚な場所。男は夏なのにそういう格好で涼しそうにしていた。汗1つ掻いていない。


「すみません、遅れましたあ」


 髪を手櫛でときながら短いスカートで内股になる。おじさん相手に女子ぶることも無いだろうが、印象は大事にしたい。きっとそういうところも見られていると思う。

紫スーツの男、鬼島は気にしてませんよと笑った。


 前置きもなく、レジュメを渡されてシャークファイトの丁寧なルール説明を受けたが、見知った情報とそんなに中身が違わなかった。だが気になることが1つ。


「チャレンジャーさんは生きているんですよね」

「そうですよ、悠々自適に暮らしています」


 見せられたのは森山夫妻が船の甲板でアルコールを楽しむ姿だった。その後笑い合ってビール瓶を海に投げている。


「やらせだということは黙っておいてくださいね」

「あたし、口は固いんです」


 神妙な顔でうなづくと相手はうなずいた。


「今回初めて導入数する投げ銭システムですが、一度こちらに入金されたあと、佐久間さんの口座に振りこみます」

「どのくらいですか」

「もちろん全額です」


「えっ、いいんですか。申し訳ないです~」

「危険を冒すから当然それ相応のものを支払いますよ」


 5本指を反り返らせて口元に当てて、大袈裟にリアクションした。シャークファイトの注目度を思うと美味しい話、でも本心は見せない。むしろここからが本題だった。


「わたしのほうでも宣伝しといたほうが良いと思って今朝動画撮ったんですよ」


 そういってスマートフォンで編集したばかりの動画を見せた。クリアネイルを塗った指先でスマートフォンを繰る。鬼島は黙って観ていたが、口角を突きあげて奇妙な顔を笑んでいた。


「すみませんが、ご自分でのこれ以上の公表は控えてください」

「えっ、何でですか。アピールしないと投げ銭集まんないですよ」


 おじさん知らないのという口調で問い詰めた。


「元になる動画のデータをこちらに渡して頂いて、編集はこちらですべて請け負いますので。アカウントも一度こちらで作りなおしますので、今日の晩にでも削除してください。だってあんまりいえないでしょう、秘密主義だから」

「秘密主義…………」


 梨乃は呆気にとられたようにぽかんとした。ちょっと良く分からない流れだが、迫力に納得させられた。


「同意いただけないと参加できない仕組みなんですよ」

「スマホはいいんですよね」


 鬼島は何もいわずに笑って首を傾げた。


「えっ、スマホもだめなんですか。やだ、死ぬかも」

「最低限預かって、チャレンジ終わったらお返ししますよ」


 肩を落とした梨乃に、鬼島はいった。


「くれぐれもご内密に。シャークファイトのこと、誰にも口に出さないでくださいね」

「分かりました。考えときます」


 考えときます、か。そう嘲笑された気がした。鬼島は承知しかねたのだろう。さらに言葉を重ねた。


「海外移住の可能性も含めて今後のことを決めておいてくださいね」

「えっ、海外…………」


 驚きに絶句した。


「あたし海外移住するんですか!」

「一定期間ね、留学と思えばいいかと。お好きな渡航先をお探ししますよ」


「じゃあ、ドバイとか」

「いいですね、ドバイ。住居もいくらでもお探ししますよ」

「ええ、マジすごい」

「その代わり。全部秘密です」


 鬼島は内緒だと指を立てた。神妙な様子に梨乃もまた慎重になる。


「わかりました。あたし口固いんで信用してください」


 Cカップを張ると、自慢げにいった。その様子を見て、鬼島は席を立とうとする。


「あっ、待って。お願いがあるんです」

「なにか」

「あたし。水着が欲しいんです!」


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