第2話
ママはあんまりダメって言ったことがない。ちっちゃな頃、どこでも裸足で歩きたがったわたしに、ママは「裸足はいいけどガラスとか落ちてることもあるから気をつけてね」と教えてくれたし、なおかつママもそういう危ないのが落ちてはいないかと目を凝らしながら、裸足で歩いたり走ったりするちっさなわたしのあとを追って見守っていてくれた。わたしは、足の裏と心に自由を感じ、そうして歩く公園やちょっとした森がたのしくて仕方なかった。あたたかな自由ってなにかを楽しむことが出来る翼なのかもしれないよね。砂場に寝転がってもいいか、と尋ねたときには、笑って「いいよ、帰ったらすぐにお風呂にはいろうね」と言って、嬉しそうに大胆にも砂場に寝転がるわたしを写真にまでおさめていて、わたしがおっきくなったいまでも、楽しそうに、懐かしむように話してくれる。ママは忘れんぼうなのに、そういうことは覚えていたりする。写真があるから覚えてるのかもしれないね。ショッピングモールで、ヘンテコなおもちゃを欲しがったわたしに、ママはしばらく悩んで、考えて、考えたあげくに真面目な顔でこういった「……ジャンケンでママに勝ったら特別に買ってあげる」本当に真剣にどうしようか考えたみたいだよ。ママは一体なにを考えたり悩んだりしてたんだろう。どうしてジャンケンにしたんだろう。ダメって言われたことはあんまりないけど、わたしはあれもこれもと目にはいるものを欲しがったりもしなかった。我慢してた、とかじゃなくって、あれもこれもを欲しいって思ったりしなかった。ゲームセンターは特別なときね、ってそういう決まりはあった。ガチャガチャは、別。1回ならやらせてくれた。塗り絵は買ってもらったことがなかったけれど、欲しいって思ったこともなかった。だってママはかわいいイラストやキャラクターを黒いペンで丁寧にかいて、「塗る??」って言ってわたしにくれた。そのうちにわたしも一緒に真似してそういうイラストを描いたりもするようになった。そんなわたしを、ママはいつもニコニコ眺めては一緒に遊んでくれていた。ママは上手に描いていたけど、絵なんて描いたこともなかったし、小学校や中学校のときも絵は下手だったんだ、って、それなのにママは嬉しそうに笑って話す。他にも、お裁縫も出来なかったって言ってたけど、ママが作る手提げカバンやコップいれは、どれも可愛くて、丈夫で、丁寧に作られていた。幼稚園で使うタオルや水筒、遠足で使うリュックにも、丁寧に名前がつけられていて、ただの真っ白なタグにかわいい色の細いリボンみたいな紐をつけて、名札をいつかはずせるようにつけてくれていたり、真っ白なタグには、かわいいちょっとしたイラストが添えて描かれてもいた。タオルは今でも使っているし、その他のものはもう使ったりはしないけど、わたしはそれらをまだ持っている。物や人を大事に想えて嬉しくて幸せ、って、ママはそうおもっていたみたい。そういえばわたしは、物や人を大事にしなさい、ってわざわざ言われたことはなかったけど、なんでママは言わなかったのかな。ママは、そんなふうにして、出来ないことや苦手なことにも挑戦してた。楽しそうにそういうことをしていたから、出来ないこと、とか、苦手なことなんだっていまでも思えない。だって、苦手なことでもあなたのために頑張ってやったのよ、って誇らしげな感じじゃなくて、苦手だったんだよ、あはっ、って笑って、楽しそうに懐かしむように話すからね。ママはほわほわしてて天然なんじゃないかな。いつでもニコニコしていて、楽しそうなママ。ママは、お金がたくさんかかること以外は、ダメって言わずに子どもに付き合いたいって思っていたらしい。だから、いつまででも公園で遊びたいわたしは「もう家に帰るよ」って言われたりしたこともなかった。帰って温めたらすぐに食べられるように、ご飯の支度もいつのまにか済ませてあった。前の晩や、朝早くに、材料を切ったり下準備したり、そうやってわたしにいいよ、って言えるようにしていたんだって。お金はかからないことだから、って。もちろん、一緒にお料理をすることもあった。餃子とかハンバーグとかを捏ねたり形にしたり。もっとちっさな頃には、ママの背中にわたしがおぶさってて、ママはちょっと身をかがめながらご飯を作る。そんなこともあった。なにがきっかけだったかは覚えてないけど、その時の記憶をわたしが話すと、ママは「えー?!すごーい。わたしも忘れちゃってたのに!!」って、笑顔とぽかんが混ざった面白い表情になる。ママは忘れんぼうさんだからね。写真がないと忘れちゃってることもたくさんあるみたいだけど、わたしが覚えていることをママに話してあげるとママは、あの例の笑顔とぽかんが混ざった面白い表情になる。夕陽でながぁーくのびた影を見ながらキャッキャとはしゃぐわたしとお家に帰るのが幸せだったみたい。いまはもう、そんなふうに一緒にキャッキャと手を繋いで帰るってことはないけど、わたしがどこかで誰かと楽しく過ごしているのかなって想ったり、帰るねって連絡するとにっこりしちゃうみたいだよ。だから時々わたしは出先から写真を撮ってママにおくってあげたりする。そういえば、ママのお誕生日には毎年絵を描いてくれたらいいのに、って言われたことがある。なんか素晴らしいものをママにプレゼントしたいって子どもごころに思った時期があって。ママはそう言った。毎年、毎年、自分のことを描いてくれるその絵の成長がみたかったみたい。わたしはもっと違うものをあげたくって、それはママの叶わぬ夢になっちゃった。時間は巻き戻せないからね。ほんと、ごめんね!って思う。雨降りの日にお散歩したいって言っても「いいよ、支度していこうか」ってどれだけでも一緒に歩いてくれたし、梅雨の時期には「雨降りパーティーしようか」って、お弁当をつくってくれて、お菓子も用意して、リビングにレジャーシートを敷いてピクニックごっこみたいな雨降りパーティーもした。だからなのか、わたしはいまでも雨降りの日も好き。空におひさまがでていなくっても、ママは陽だまりにいるみたいにニコニコして楽しそうだった。わたしは日なたを探さなくても、いつでもひなたぼっこをしているようなあたたかさの中にいて、幼い頃は、当然みんなもそういうあったかさのなかに住んでるんだと思ってた。
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