水底から月をみあげて
孟多部 蓮
第1話
「おかえりなさい」と、微笑んで声を掛ける。あたたかな眼差しで子どもを見つめ、どんな1日だったのかをたずねる。子どもは、弾むような声で自分にあった出来事をお母さんに話す。悲しいときには「大丈夫だよ」と抱きしめる。元気のないときにはそれに気づいて温かな飲み物をさしだし「どうしたの?」とそっと尋ね、心をもあたためてくれる。そういうお母さんは、絵本やお話しの世界だけの、幻...つくりばなし、なのだと思っていたし そうではないことを悲しいとか辛いとか羨ましいと考えたこともなかった。だってそれはお話しのなかの嘘のものだから。だから、自分が幸せではないだとか、大事に想われていないのだとか、気にかけてもらえていないことを悲しいとか、そういったことをおもったことはただの1度もなかった。小さな頃は、お友達の家に遊びに行くことはあっても、その家族のやりとりなんていうものはそうたくさん目にするわけでもないし、自分の家族と他人の家族を比べてみるために様子をうかがうなんて思ったこともなかった。自分の家族の暮らしぶりしか知らないから、あたたかな気持ちになる、ってことを私はつくりものの世界のなかで体験したが 現実にもあるという想像はできていなかった。わたしの毎日が普通だと、そう思っていたから。だから、知らないうちに、わたしのなかのどこかに、少しづつ、少しづつ、悲しいお水がたまっていってることに、わたしは気づくことがなかった。小学生のときには、すでに胃が痛く、1人で病院にかかってお薬をもらったこと。その病院では医師に「どうして胃だとわかるの?どこ?」と言われるくらいに、私は幼かったのだと思う。学校から帰って玄関をあけるまえに、気合いを入れるために両頬を掌でパンパンッとたたく行為も、物語のなかの人でなければ、皆そうしているものなのだとナチュラルな思考でいた。とりたててひどい虐待を受けたことはないわけで、骨が折れるようなことをされたとか、食事を与えられなかったとか、目の前でお父さんとお母さんが喧嘩してばかりいた、とか、そんなことはなかったから、よけいに自分のそういう行為は普通のことなのだと思っていた。だから、少しづつわたしのなかのどこかにたまっていった悲しいお水が、いつのまにかたくさんになっていて、なんにも知らないあいだに、わたしの心や思考は、深い水の底にいた。仄暗い水底にただよい、ぼんやりと水面をみあげる。水面はゆらゆらと、静かに、まるでひそかに呼吸するかのように揺らめく。優しい月明かりがみえる。わたしのなにかを抱きしめてくれるような月明かりは、物語のなかにでてくるお母さんのように想えた。わたしはこの水底から、水面の月明かりに腕を静かにのばす。遠いから、その月明かりには手が届かない。水のなかだから、声も届かない。そもそも声はだせないし、この腕や声が届いたとしても、それは、現実にはないものなのだと知っている。絵本にでてくるお母さんは、絵本にしかいないのだから。わたしは静かにゆったりと沈んで水底にたゆたい、水面に揺れる月明かりをぼんやりと眺める。ああ、なんて優しくて綺麗なんだろう、って。
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