第18話 君と私は似ている

 細く息を吸い、長く吐く。

 構えた聖剣の向こうには、両手短剣の魔王。

 私の体力も魔力も、ほとんど残っていない。

 それは魔王も同じ。

 二人とも、立っているのがやっとというギリギリの状態だった。

 玉座の間は、私たちの攻防で見るも無残な廃墟のような有様だ。柱が折れ、床が砕け、窓が割れ、壁が落ちている。戦闘の激しさが一目でわかるだろう。

 もっとも、魔王の魔力ですぐに元通りになるらしいが。


「やっぱり強いなぁ、勇者……」

「魔王もね……」


 軽口を叩くだけで息が切れる。肩が激しく上下する。

 多分、次の一撃が最後になるだろう。それ以上は――死ぬ。

 ふうう、ふぅぅ……と大きく深呼吸を二回。

 ぐっと剣を握る手に力を込めて。

 少しだけ上体を沈めた魔王に向かって、床を蹴る。


「ぅあああああああっ!」


 裂帛の声を上げて、上段から剣を振り下ろす。技も駆け引きも何もない、ただの剣閃。素人冒険者でも鼻で笑って弾き返せるような、力のこもらない一刀。

 魔王はそれを残る魔力をすべて吐き出して両の短剣で受け止め、幼い子供のような頼りない力で押し返してきた。

 その反発で私は後ろ向きに倒れ、魔王も膝を折って床に座り込む。


「あー……もう無理や……」


 疲れ切った声を絞り出し、魔王は音にならない笑い声をあげた。


「私も無理……」


 返して、笑う。

 崩れた壁の向こうから山下風が吹き込んで、魔王の金色の髪と、埃と煤に汚れた私の頬を撫でていった。乾燥してひんやりした感触が心地いい。


「死ぬなよ、勇者ぁ」

「だいじょーぶ。超級回復薬エリクシルがあるから。魔王にも分けてあげよっか?」

「アホぅ。あたし魔族やで。この状態で聖水なんぞ入っとる超級回復薬エリクシルなんか飲んだら死ぬわ」

「え? そうなの? 今度魔王にあげるジュースにこっそり混ぜてみよう」

「……自分、ホンマに勇者か?」

「勇者ですけど?」

「断じて認めん!」


 疲労困憊で死にそうなのに、無駄に生命力に溢れる力強さでどこぞのギルドマスターと同じことを言って、魔王はおかしそうに大笑いした。

 ちなみに、今は体力が空っぽに近いため聖水が効くらしいが、普段はまったく影響を受けないとのこと。


「まあ、こっちは自分の回復薬があるから気にせんでええよ」

「そっか。わかった」


 ほう、と息をついて、懐から取り出したポーションの蓋を開けて一気に飲み干す。体力が少しだけ戻って、ちょっとくらいなら走り回っても平気な程度には回復した。あとはマジックポーションで自動回復スキルを発動させるだけの魔力を補って、ただじっと安静にしていればいい。さすがに死ぬ寸前まで減った体力が全回復するまで、かなりの時間がかかるけれど。

 超級回復薬エリクシルを使えば体力と魔力、ついでに傷も一気に全快できるが、今はそれを使うほど緊急でもないし、財政的な問題で温存しておきたいのだ。


「……っと、忘れるところやった」


 思い出したように呟いて、魔王は片手で器用に回復薬らしき瓶を開けて一息に飲み、何かの魔法を使った。

 ふわ、とそよ風のような魔力壁が広がって玉座の間を包み込んだ――ように見えた。


「何、今の?」

「結界を張る魔法。さっき勇者の最後の一撃を受けるときに結界を張って、魔界から覗き見しとるジジイどもの目くらまししたったんやけど、それが切れかかってたから」

「あー。茶番だもんね、この戦闘。バレたらまずいよね」

「結界張り直したから、しばらくは大丈夫。効果が切れてジジイどもがまたここを見るころには勇者は撤退して、ボロボロになってかろうじて生き延びたあたしが残ってるっちゅう寸法や。しゃーけど、ホンマめんどくさいなぁ……」


 だはあ、と盛大にため息をついて、魔王はごろりと床に寝転がった。煤汚れた金髪がふわりと広がって、砕けた大理石に金色の花を咲かせる。


「自分が言い出したことでしょうが。頑張んなさいよ」

「すまんな、勇者。付き合わせて」

「そう思うんなら、茶番を始めた理由、話してよ」

「またその話かいな。せやから、あたしは死にたくないだけ……」

「本音を聞かせてって言ってんの。でなきゃ、もう付き合わないから」

「…………」


 強めに言うと、魔王は沈黙した。

 もし「じゃあいいです」と言われたら、約束はなかったことになって魔王の侵攻が再開されるだろう。そうなれば

 けれど、魔王はそう言わない。

 なぜだかわからないが、そんな気がした。


「言うても笑わへんか……?」

「内容による」

「せやったら言わん。墓場まで持っていく」

「何百年隠し通す気だ、キミは。笑わないと約束はできないけど、聞きたい」


 などとつまらない前置きを挟んだりして。


「あたしは生まれたときから魔王になることが決まっとったからな。周りは忠誠心のある従順で信頼の置ける部下しかおらんかった。そいつらはあたしのことを考えて、いろいろ尽くしてくれるんやけど……それはあたしの『魔王』っちゅう肩書きのせいやねんな。あたしが魔王やから、あいつらは良うしてくれる。それがなんか、嫌でなぁ」

「贅沢な話だね。私なんか勇者の適性を認められた瞬間から『修行の旅に出て鍛えて来い』って放り出されたんだよ。安物の短剣と金貨十枚だけ持たされてさ。畑で鎌とかくわしか持ったことのない、まだ十歳そこらの女の子だよ? 酷くない?」

「それは難儀なこっちゃな。勇者が強い子に育つわけや」


 くくっ、と笑い、魔王は話を続ける。


「あたしが魔王やなかったら、四天王あいつらはこんなに慕ってくれんかったんちゃうやろか? なんて考え出したら、もう寂しぃてな。魔王やない『キゥロトディア』を見てくれるヤツはおらんのかって」

「あー……」


 その気持ち、わからなくもない。

 私も勇者になったときから、私は勇者としか見られなくなった。

『勇者さま』

 誰もが私をそう呼び、を見る者はいなくなった。

 もう何年もこと、ことがそのいい証拠だ。


「せやから、受け継いだ力以上に強くなって、あたしっちゅう『個人』を認めさせたれって意地になってな。表じゃ何もせんと偉そうに見せて、裏でめっちゃ修行した。それこそ死ぬかもしれんってくらいに」

「それがあの体術か……しかも独学。すごいね」

「ほら、あたしって天才やし?」

「自分で言うか」


 おどけて見せる魔王にツッコミ一つ。

 そして笑い合う。

 この他愛のないやりとりが妙に心地いい。


「そうして歴代魔王を超える力を得て、周囲も黙る強さになった。けど、それを使う機会がなくて持て余しとった。魔族はあたしを畏れて面と向かって反抗せぇへんし、人間界にはあたしの足元にも及ばん連中しかおらんかった。せやから、まともに戦えそうなんは伝承にある通り、勇者しかおらんかった。勇者と戦ってみたいと思うようになった」

「まあ、そうなるよね」

「せやけど……勇者アンタには絶望したな」

「なんで⁉」

「あのクソむかつく嫌がらせのせいに決まっとるやろがい。魔王を魔王とも思うとらん、近所の悪ガキみたいなしょうもないことを堂々とやらかすヤツに何が期待できんねん。女神のスキルのことを知ったときよりショックやったで」

「しょうもないとは失礼な。あれは緻密に計算されただったでしょうが」

「あんな嫌がらせを大真面目に緻密な計算で実行しとるほうがどうかと思うんやけど」


 ううむ……。そういえばランスさんに思いっきり引かれたし怒られたっけ。

 世間一般ではそういう考えかたが普通なのだろうか。


「ほんで、勇者てどんなアホづらしとんねんて興味湧いて、いっぺん会うてみたくなった。それで話し合いに応じる気になったんや。女神のスキルをキャンセルできるようなアイテムも急いで作ってな。で、いざやって来た勇者の顔見たら……」

「あまりの美少女で驚いたと?」

「自分でゆーな。いや、まあ、女で、しかも同年代とは思わんかったのは確かやね。けど、ガキみたいな嫌がらせをしそうやなとは思った」

「重ね重ね失礼だね」

「魔王に礼節を求めんなや。でもまあ、一目見て『あ、こいつめっちゃ強いわ』ってわかった。四天王が瞬殺されるレベルでな。そう思ったら、急に伝承を思い出してな。ああ、こいつと本気で殺し合いしたら、あたしは死ぬんやなって」


 少し、魔王の声が震えた。あのとき私が感じていた底知れない相手への恐怖を、魔王も感じていたということらしい。

 もっとも、魔王はそれを一切顔に出さず、私はダダ漏れだったけれど。

 ……やだ、恥ずかしくなってきた。


「全力で戦ってみたいという欲求と、それをやったら死ぬっちゅう恐怖。その板挟みが結構キツぅてな。せやから、殺し合いにならんように全力で戦える状況を作ったろ思て、茶番を持ちかけたっちゅうわけや。……これが理由」


 これでええか、と魔王は私を見ながら苦笑した。


「…………」


 周りから認められるために必死に身につけた力を試してみたくなって、その力に対抗できうる唯一の存在である私に、殺し合いにならないギリギリの戦いをしようとこの茶番を持ちかけた、と。

 理由としては筋が通っている。

 しかし――そこに魔王の本心は見えない。

 彼女キゥロトディアはまだ本音を見せていない。

 

 そんな気がした。


「そろそろ結界が解けるころやな。すまんけど、面倒になる前に引き上げてな?」

「わかった。ごめんね、しつこく訊いて」

「ええて。動けるまで回復するのに時間ヒマがあったからな」

「で、次はいつごろ?」

「適当でええんやないの?」

「了解。気が向いたら戦いにくるよ」


 立ち上がって聖剣を拾い、鞘に納めて体についた埃を払う。まだ体力は半分も戻っていないが、転移門を使わず走って王都に帰還できるくらいは回復している。そんな疲れることはしないけど。


「勇者ー。次もよろしゅうー」

「うん。じゃあね、。また今度」


 手を振りながら言って、くるりと踵を返す。

 名前を呼ばれた魔王が、キョトンとしたあとにすごく嬉しそうに笑ったのをしっかり見てから、私は玉座の間を後にした。

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