第13話 魔王は想像以上に……

 緊迫した雰囲気にそぐわない、可愛らしい声の残響が消えて。

 デューラが慌てて四本の腕をわたわたと動かしながら魔王に耳打ちする。


「ま、魔王さま、素が出ています……」

「えー? もうええやん。めんどくさいねん、あのしゃべりかた。肩凝るし、ジジ臭いし。それにこのローブも重いし可愛ぃないから嫌やねん」


 そう言って、魔王はローブを脱ぎ捨てた。


「…………」


 煌く金色の長い髪と、頭の両側から伸びる漆黒の立派なツノ。切れ長の目に似合う、燃えるような真紅の瞳。雪色の艶やかな肌。出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだバランスのいい体躯。それをシンプルながら露出の多い、紫がかった光沢のある漆黒のドレスが包んでいる。すらりと長い足には真紅のハイヒール。何もかも、みな美しい。

 色気の欠片もない鎧と頑丈だけがとりえの無骨なブーツ、付加効果重視で選んだダサい篭手、実用一辺倒のニーガード、それに体型に合わない大きな聖剣を背負った私とは、美的な意味で雲泥の差がある。

 何と言うか……魔王は


「ホントに魔王……?」

「せやで。あたしが魔王キゥロトディア」

「こんな美少女が?」

「美少女やて。ありがとなー。しゃーけど、勇者も結構可愛いで? アホみたいに強いって聞いてたし、ムグラシルゴリラみたいな男やと思ってたからビックリしたわ」

「え……あざッス」


 褒められたらしいので思わずお礼を言ってしまった。

 何この状況。イミわかんない。ムグラシルゴリラってなんだろう。魔界の生物?


「せやけどブライズのやつぅ……あれほど勇者に殺気を向けるなっちゅーたのに。一か月の特訓が台無しやんか。デューラも気ぃつけや?」

「承知しております、魔王さま。ブライズは優秀ですが少々短気が過ぎますゆえ……」


 何やらご立腹な様子の魔王を、デューラが宥めている。

 だが、二人のやりとりのおかげでわかったこと二つがある。


 少なくとも


 そして、彼らは『旅の安全セーフティジャーニー』の影響から逃れる何らかの方法を体得し、実践している。

 魔王の愚痴からの推測だが、のだろう。

 それが指し示すことは――


「私と戦う意思はないってこと……?」

「ん? 何ゆーてんの? 話し合いしたいってゆーたの、勇者やん」


 私の呟くような独り言に、魔王はキョトンとしながらそう答えた。


「正直なー、勇者と話し合いとか、何ぬかしとんねんコイツ? と思ってたんやけどなー。なんかヘンなスキルでめっちゃ嫌がらせされるし、あたし魔王やのに全然反抗できへんし。めっちゃ腹立ってきて、人類殲滅とかどーでもええ、絶対に勇者をシバキ倒す、って思ってたんやけども……あぁ、思い出したらムカついてきたわ」


 瞬間、魔王の邪悪な気配が一気に膨れ上がり、溢れ出す魔力で玉座が歪んで見えた。なんという強大な力だ。

 見た目は私と同年代の愛らしい美少女なのに、中身は紛れもなく魔王だと嫌でも認識させられる。それも、その力の限界が見えない。戦う意思はないと言っているが、こんな存在と戦って、果たして勝てるのかどうか。

 嫌な汗が体中からにじみ出て、じっとりと肌にまとわりつく。

 ……帰りたい。

 宿の部屋の隅っこで毛布にくるまってガタガタ震えたい。

 でも、魔王からは逃げられないって聞くし、無理なんだろうなぁ……。

 ああ、今日が私の命日か。ランスさんやオリビエさんは悲しんでくれるかな。それともおなか抱えて笑うかな。どっちでもいいけど、お葬式はちゃんとしてほしいなぁ。冒険者ギルド主宰で。いや、でも、勇者を失って人類が滅亡するから、それどころじゃないかな。


「……てる?」

「え?」

「あたしの話、聞いてるんか? って言うてんねん」


 ちょっと怒ったように目尻を上げながら魔王が私を睨んでいた。美少女な顔立ちなので、それが結構怖い。


「あ、ごめんなさい。ちょっと自分の葬儀のことを考えてました」

「葬儀? 何、勇者死ぬん?」

「このままだとそうなるかなー、と」

「えー、何やそれ、めっちゃおもろいんやけど。なあ、デューラ」


 と、心底おかしそうに笑いながら水の魔獣のほうを振り向いて。


「ってオイぃぃ! デューラも消えとるがな! ちょぉ、何やっとんねーん!」


 笑顔を不機嫌そうに歪めて、魔王はべしべしと玉座のひじ掛けを叩いた。

 どうやら魔王の話を聞いていなかった私にうっかり怒り(敵意)を向けてしまって、レアスキルで異空間送りになったらしい。高い忠誠心があだになったようだ。

 こちらは敵が減って助かったが……それでも魔王には勝てる気がしない。

 ……いや、待って。

 魔王は私より強くなったのではなく、私に敵意を持たないことでレアスキルの影響を回避しているのだ。裏を返せば、敵意を持った瞬間に異空間に飛ばされるということではなかろうか。

 つまり、魔王に敵意を持たせることができれば、私は生きてこの城を脱出できるということだ。

 よし、なんだかすごく後ろ向きな感じだけど希望が見えてきた!


「まー、ええか。デューラがおらんでも勇者と話はできるし」


 ふん、と可愛らしいため息をついて、魔王はこちらを向いた。


「それで、勇者。人類侵攻をやめてほしいって話やったなー」

「うん。でも、やめてくれないんでしょ?」

「まーなぁ。何ちゅーか、魔界に人が増えすぎとんねんな。住むところとか食べるもんが住人全体に行き渡らんくなって困ってんねん。どないかせなあかんちゅうて魔界の幹部連中は頭捻ったんやけど、魔界だけじゃどないもできへんから、いっちょ人間界に侵攻してなんとかしよかっちゅうことになっとってなー」

「はあ、大変なんだね」

「せやでー。偉い人はめんどくさいんやでー」


 どこの世界も組織のトップは苦労が絶えないらしい。ランスさんギルマスとか。

 いや、同情している場合じゃなくて。


「でもねぇ、そんなくだらない理由で侵攻されちゃ、こっちはいい迷惑なんだけど」

「はあ?」

「あんた魔王なんでしょ? 言うこと聞かない、文句垂れる住人なんてサクッとっちゃって口減らしして、テキトーに自分の言うことを聞く連中だけでやってきゃいいじゃない。そもそも、増えた住人に家や食べ物を与えてやれないなんて、魔族の王が聞いてあきれるんだけど」

「…………」


 私の挑発に魔王は沈黙し、纏う気配が冷え始め、玉座の間の空気が、ぎし、みし、と悲鳴を上げる。

 いいぞ、魔王。その調子で怒りのままに敵意を発散してくれ。

 それで私は生き延びられる。


「勇者ぁ……」

「あれあれ? 図星突かれて怒っちゃった?」

「しょうもない見え透いた挑発はやめーや。あたしを怒らせて、レアスキルで逃げようとか思うてんねやろ?」


 考えていることが読まれていたらしい。

 驚きが顔に出てしまったのか、ふふふ、と不敵に笑って魔王は続ける。


「よっしゃ。せやったらご期待に応えて殺気を放ったる」


 楽しそうに言って、抑え込んでいた殺気を解放した。

 体中がビリビリ痺れるほどの強烈で凍てつく『気』が津波のように襲い来る。駆け出し冒険者……いや、中級冒険者でもこれだけで絶命するほど濃密で重苦しい『死』のにおい。おそらく魔王にとってあくびをした程度でしかないのだろうが、その威力は桁外れだ。

 ともかく、挑発は成功した。

 これで魔王は異空間に飛ばされて、私は晴れて脱出――


「――っ!」


 玉座でいたずらっぽい笑みを浮かべたままの魔王が、じっと私を見ていた。

 消えていない……⁉


「残念やったなあ?」


 驚愕する私を見て、魔王はますます笑みを深めた。


「な……んで……?」


 一瞬で干上がった喉から漏れた疑問の声。

 間違いなく私に向けられた殺気を浴びたはずなのに、魔王は異空間に転移していない。

 やはり私より強くなっているから?

 もしそうなら……逃げられないし、勝てない。


「ええ顔するなぁ、勇者は。可愛いな」


 魔王はふふんと嘲笑し、右手を顔の前にかざして見せた。ほっそりした五本の指、その中指で血のような色の宝石をあしらった指輪がキラリと光る。


「これ、なんやと思う? これはな、相手のスキルをアイテムやねん」

「…………」

「これがあるから、勇者のレアスキル……『旅の安全セーフィティジャーニー』やったか? それがあたしには効かへんわけで」

「…………」

「考えてもみぃな。あんだけしょうもない嫌がらせをされたあたしが、そう簡単に勇者への恨みつらみを捨てられるわけないやんか。こんな指輪でもなかったら、たちどころに異空間? に飛ばされてしまうわ。これはな、敵意があらへんように見せて油断を誘う作戦やったんや」

「…………」

「せやから」


 自慢たっぷりの得意気な笑顔から、すぅ、と波が引くように魔王の表情が消える。

 魂が凍りつきそうなほどの鋭い視線が私に突き刺さる。


?」


 言って、ニヤリと酷薄に微笑む。

 心の底から嬉しそうに。

 沈黙する私の絶望をたのしむように。


「女神のスキルは正直、これアカンやつや! って思ったわ。それをなんとかせな勇者に勝てんて思って、急いで作ったのがこの指輪やねん。可愛いやろ?」

「作った……? 女神の恩恵をキャンセルできるアイテムを……?」

「せやでー。すごいやろ。こだわりの一品やで、よー見てみ?」


 指輪をつけた手をこちらにかざし、誇らしげに胸を反らす。

 その姿を見て、私は

 黙っていれば私にプレッシャーをかけ続けられたというのに、たった今、魔王自らその圧倒的なアドバンテージを捨てたのだ。そこに付け入る隙があると気づいた。

 女神のスキルセーフティジャーニーが証明している通り、こいつは私よりも


「確かにすごい。効果はもちろんだけど、綺麗だし、デザインもなかなかのセンスで……もっとよく見せてもらっても?」

「ええでー」


 褒められて機嫌がよくなった魔王は玉座を降りて私に歩み寄り、指輪を外して私の手のひらに乗せた。

 その瞬間、私がニヤリとしたのを見てハッとした顔になる。

 しかし、


「あっ、ちょっ、勇者っ、それ返し」


 慌てて手を伸ばして指輪を取り返そうとした魔王だったが、無意識に私に敵意を向けてしまったらしく、フッと消えてしまった。

 ほとんどのステータス値が私と互角なのに、せいでレアスキルの餌食となったようだ。


「魔王……こんな超級アイテムを作っちゃう天才美少女なのに、アホの子なのね……」


 手のひらに残された指輪をしげしげと眺めつつ、私はとりあえず生き延びた喜びを噛み締めたのだった。

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