第12話 玉座の間と魔王と私

 魔王から返事の手紙を受け取って、一か月ほどが過ぎた。

 魔王の軍勢は人類に対して侵攻を行わず、王都周辺の拠点に集結して待機しているらしい。宣言通り、王都にいる私を狙ってのことだろう。そのせいで王国軍はピリピリしているが、今のところ戦端が開かれる気配はない。

 この状況が維持できれば、ある意味平和な世界を取り戻したことにならないだろうか。

 などと考えつつ、ギルドに毎日数十通も送られてくる魔王からの『不幸の手紙』を読んでいた。ときどき詩的で奥深い表現があったりするので面白いのだ。


「なあ、勇者さま。本当に話し合いがしたいのか……?」


 ランスさんギルマスがジト目で問いかけてくる。

 私は「もちろん」とうなずき返した。

 するとランスさんは奈落の底から溢れてくるような深く憂鬱なため息をついて、オオウシガエルを二十匹くらい引きずるような声で言った。


「だったら、手紙での挑発や嫌がらせをやめたほうがいいと思うんだが」

「なぜ?」

「そんなことをすればするほど、魔王を意固地にするだけだろ」

「うーん……でも、話し合いを優位に進めるには、相手よりこちらの立場が上だと思わせなければダメでしょう。そのためには魔王の心をポッキリへし折っておかないと」

「話し合いの機会をポッキリ折ってるだけだと思うがな、俺は」


 疲れた口調でこぼして、はあ、と再びため息をつく。

 その辺は大丈夫だと思う。毎日届く手紙の内容も筆跡も、はっきりと疲れてきているのが見て取れる。ひと月前は魂が凍りつくほどに憎しみのこもった筆跡で千の単語を用い万の罵詈雑言を書き連ねていた文面が、今ではまるで幼い子供のケンカのような語彙が完全に天に召された次元の低い悪口の羅列に変わってきている。もうそろそろポッキリ折れる頃合いだろう。


「ギルマス、お手紙が届いています」

「あぁ? どうせ魔王から勇者さま宛てだろう……その辺に置いといてくれ」

「魔王からというのはその通りですが、これはちょっと違う感じで……」


 職員の男性が薄紫色の封筒を一通、顔の横に掲げて見せた。

 来た! これを待っていたんだ!

 封筒を薄く包んでいる魔力は間違いなく魔王のものだ。

 それが今までと違う封筒で届いたということは、魔王に心境の変化があったことを示している。

 その変化はつまり、話し合いに応じる気になったということだ。


「…………」


 ランスさんは職員から封筒を受け取ると、慎重に封蝋を剥がした。

 中身は上質な白い紙で、少し紫がかった黒インクで文章が綴られている。血のような真っ赤な文字で書きなぐった私に対する罵詈雑言ではない。

 ごくり、とランスさんが息をのむ音が大きく響いた。


『話し合いに応じよう。三日後の正午、玉座の間で待つ』


 想像通りの内容に、私は小さくこぶしを握った。

 ついに魔王は折れたのだ。

 長かった……。もう、しょうもない嫌がらせを考えなくて済む。

 実は結構考えるのが面倒だったし、そのための出費がかなり痛かったのだ。高級な資材の調達に超級回復薬エリクシルを二本も売らなきゃいけなかったし。

 その苦労がようやく報われたんだ……!


「三日後かぁ。楽しみだなぁ。よく考えたら私、魔王当人を見たことないんですよね。どんな顔をしているんだろう? 三百歳超えみたいだけど、お爺ちゃんなのかな。あ、お土産持って行ったほうがいいですかね」

「なあ、勇者さま。喜んでいるところを悪いが」


 と、ランスさんが私の歓喜の舞いに水を差す。


「なんですか、もっと喜んでいいところですよ?」

「いや、話し合いはいいんだが……女神のスキルのせいで対面できない問題は解決されているんだよな?」

「えっ…………」

「…………」

「…………」

「まさかのノープラン……?」

「…………てへっ」

「ぅおおおおぉぉぉぉぉいッ! どうすんだよぉッ!」


 今日もギルドに、ランスさんの野太いツッコミの声が響き渡る。

 いや、ホント、どうしよう。そこまで考えてなかった……。



 何の対策もできないまま、約束の日になってしまった。

 冒険者ギルド総出で考えたり女神を呼んでみたりしたが、結局解決策は見出せなかったし、女神は現れなかった。


「あの……行ってきます」


 正午近くになり、外壁の検問所まで見送りに来たランスさんとオリビエさんの冷ややかな白い目を背に受けながら、私は転移門を開いて魔王城を訪ねた。


「あぁ……」


 周囲に魔獣の気配が皆無だ。やはりポンコツスキルセーフティジャーニーのせいで異空間に飛ばされているのだろう。

 それでも魔王の申し出を無下にはできないと、一応城内に赴く。もし対面できなかったとしても、手紙は置いて帰ろうと思って用意してきたのだ。


「……?」


 エントランスホールに入り、数歩進んだところで――ふと気がついた。

 私の周辺探索スキルに気配が三つ、ひっかかったのだ。しかも、そのうちの一つは非常に強大で濃い魔力の気配――魔王のものだ。

 レアスキルの範囲内に入っているのに、魔王が異空間に転移させられていない?

 気のせい……ではない。レアスキルも探索スキルも正常に発動しているし、間違いなく同じ場所に三つ、気配がある。

 いったいどういうことだ? と思いつつ、通路を駆ける。階段を上り、赤い絨毯の廊下を抜け、玉座の間の扉を開いて――


「ようこそ我が城へ。歓迎するぞ、勇者よ」


 部屋の一番奥の玉座に、魔王キゥロトディアが座っていた。



 なぜ? どうして?

 その二つが頭の中をぐるぐる駆け回り、思考が働かない。

 だが、私の目は確かに玉座の魔王と、その両脇に控える側近二人の姿を写していた。幻影魔法などではない。実体のある存在だ。


「どうした? そんなに離れていては顔がよく見えぬ。まさか勇者が女だとは思わなかったが、我にその可愛らしい顔を見せてもらえぬのかな?」


 魔王は目深にかぶったフードの下に余裕の笑みを浮かべて、そんなことを言った。

 どういうことだ? 何が起きている?

 そんな言葉が駆け巡る中、私は一つの可能性にたどり着いていた。

 

 レアスキル『旅の安全セーフティジャーニー』の発動条件――それは、私より少しでも弱い魔物が、私に敵意や殺気を向けていること。

 敵同士がこうして対面していて、微塵も敵意や殺気を持たないなんてことは普通ありえない。

 そのうえで発動しないということは、つまり――


……?」


 そうとしか考えられない。

 前回、魔王城を訪れたのはいつだった?

 数日前だ。

 それからたった数日で、魔王は……魔王たちは私より強くなったというのか?

 もし、そうだとしたら……私は

 それはそうだ。

 私の強さを超えているのは魔王だけではない。側近――四天王の二人もそうなのだ。それらと戦って、勝てるわけがない。

 話し合いをするだけで戦闘にならない――どころか、会うことすらできないと思い込んで、ろくに装備を整えてこなかったことを後悔しても、もう遅い。

 いや、万全の準備をしていても結果は変わらなかっただろう。私以上の強者が三人もいるのだから。


「ぐぅ……」


 絶望の状況に思わずうめき声が漏れる。


 魔王は

 、この場を設けたのだ。


 私はそれに気づかずノコノコとやってきた、だった。



 冷や汗が背中を流れていく。


「何を恐れているのだ、勇者よ。貴様は我よりも強いのだろう? ほら、もっと近づくがよい。そうでなければ話し合いなどできはせぬ」


 優しく語りかけて見せられる余裕のある魔王。

 対して、恐怖で足がすくんで動けない私。


「……ぅ……ぁ」


 声が出ない。体が動かない。

 せめて、無防備で倒されることだけは避けたい。剣に手を伸ばしたい。構えたい。

 でも、動かない。動け。動け。動いてよ。今動かないと死んじゃうんだよ。


「魔王さまがこうおっしゃっているのだ。そんなところに突っ立っていないでこちらに来い」


 側近の一人が静かな声で言った。

 ギルドの資料で見たことがある。

 四天王の一人で、水の魔獣デューラ。透き通る水色の短髪と同じ色の瞳、浅黒い肌。細身ながら筋肉質で長身。人間のようなフォルムをしているが、腕が四本あり、水竜に似た尾を持つのが特徴だ。

 もう一人の側近は同じく四天王で、火の魔獣ブライズ。魔族と竜族のハーフで、全身がフレイムリザードのように灼熱したウロコに覆われているが、その温度ははるかに高く、鋼の剣程度で斬りつけると溶かされてしまう。シルエットも竜人族ドラゴニュートに似た姿だ。

 二人とも以前の強さなら苦戦する相手ではないが、今はどうなのか……。

 それに、あと二人の姿が見えないのも気になる。


「聞いているのか、勇者!」

「落ち着け、ブライズ」


 ブライズが少し苛立ったように声を上げると、魔王がそれを制した。


「勇者は少々緊張しているだけなのだ。そうだろう?」

「……そう、みたいだね。余裕ブッこいてる君と違ってね」


 精一杯の軽口を叩く。

 それがブライズのかんに障ったのか、火の魔獣の殺気が一気に膨れ上がり――


「よせ、ブライズ!」


 そうデューラが制止した瞬間。


 


「え……?」


 何が起きた……?

 ブライズが殺気を放った途端、フッとその姿が消えて――


「あー、もぅ! 何しとんねん、ブライズのアホぉ!」


 若い娘のような可愛らしい声で、西の国訛りの罵声が玉座の間に響き渡った。

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