第10話 勇者さま お元気ですか
そうして魔王に対話を求める手紙を送り続けて一か月が過ぎた。
今日はお手紙に何を書こうか。どのタイミングで魔王城に行こうか。
そんなことをなんだか心が弾むような気持ちで考えていると、部屋のドアをノックする音がした。
「勇者さま、冒険者ギルドのオリビエです」
「どうぞ、開いてますよ」
そう返すと、ドアを開けてオリビエさんが一礼した。
めったに受付カウンターから出ない彼女がわざわざ宿まで訪ねてくるなんて、珍しいこともあるもんだ。
「ようこそ、オリビエさん。よくここがわかりましたね」
「宿を転々となさるので探すのに苦労しましたよ……」
恨みがましく言って、はあ、と重いため息一つ。
それに関しては申し訳ないが、こっちにも事情があるのだ。
「勇者さま。至急ギルドにお越し願うよう、ギルマスからの伝言をことづかって参りました」
「
ただならぬ気配を感じた私は浮かれる心を引き締めて、そばに置いていた聖剣を背負って部屋を出る。
その私の進路に――オリビエさんが立ちはだかった。
「部屋にお戻りください、勇者さま」
「そこをどいてください、オリビエさん。急ぎなのでしょう?」
「通せません」
強い視線で私を見つめ、彼女は首を振る。絶対にここから先には行かせないという、断固たる意思を宿した眼光が私に突き刺さった。
薬草採取勇者と不名誉な称号で呼ばれても、私は勇者だ。いちギルド受付娘が本気で止められると思っているのだろうか。
「なぜです」
「それはご自分の体にお尋ねください」
「……?」
言われて、視線を自分の胸に落とす。
「あ……」
朝起きてからずっと部屋にこもっていたから、パジャマのまま着替えていなかったのだ。
オリビエさんに指摘されなかったら、ウサギさんをあしらった真っ白のふりふりフリルが踊り狂うサーモンピンクのパジャマに聖剣を背負った姿で往来を歩いて恥をかくところだった。
ご指摘ありがとうございます、オリビエさん。
ちなみにこのパジャマ、魔王のクローゼットの中身(まったく同じデザインの黒いローブばかり十着くらい入っていた)を全部これに入れ替えたときの余り物である。光の精霊の加護が付与されているので、どんな悪人もこれを着て眠れば、たちどころに改心して善い行いをしたくなるほど希望に満ち満ちた楽しく幸せな夢を見ることができるオマケつきだ。もちろん私も今朝はいい夢を見た。
「すぐ着替えます……スミマセン」
「お急ぎを。パジャマに聖剣を背負って出歩くような人の隣を歩きたくありませんので」
冷ややかなオリビエさんの視線を背中に感じながら、神速で着替えを済ませた。
ギルドに入ると、騒がしいホールが一瞬で静まり返って私に視線が集中した。
なんだなんだ、何事だ? 私が何かしたか? いや、勇者なのに何もしていないから怒られるのか?
「勇者さま。今日は朝からギルマスがめちゃくちゃ怖いんだが、何かやらかしたのか?」
「ううん、心当たりはないけど……」
顔見知りの冒険者とそんなやりとりをしていると、奥からランスさんがブーツをけたたましく踏み鳴らしながら早足でやってきて、無言のまま二階を目で指した。
ギルマスの部屋に来い、ということらしい。
逆らっても意味がないのでおとなしく従う。
いくつもの好奇の視線を全身に浴びつつ階段を上り、ランスさんに続いて執務室に入る。オリビエさんは階下で待機のようだ。
ランスさんは変わらず無言のままで私にソファに座るよう手振りで指示し、デスクの引き出しを開けた。……あ、今日はお
「今朝、こんなものがギルドに届いた」
「?」
彼の手には、ありきたりな白い封筒が一通。赤い封蝋があり、差出人のサインが見える。
『キゥロトディア』。
……どこかで聞いたことがあるような、ないような。
「宛名はギルドだが、中身は勇者さま宛てだ」
「はあ、そうですか」
気のない返事をしたからか。勝手にお煎餅を食べてしまったからか。
ランスさんのこめかみに血管が数条浮いた。
……あれ、怒ってる……?
「ギルド宛てだったから開封して読んでしまったが、そこは先に謝っておく」
「それは別にいいですけど……ランスさん、何か怒ってます?」
「なぜそう思う?」
「いえ、なんとなく……」
どうやら触れないほうがよさそうな気配だ。
ともかく、私宛てという手紙を読んでみよう。受け取った封筒から白い便箋を取り出し、それを広げる。
「ぶふぅッ!」
その内容を一目見て、思わず私は頬張っていたお煎餅を噴き出してしまった。もったいない。
でもしかたないだろう。真っ白な便箋いっぱいに、血のような赤い文字で一言。
『絶対に勇者を殺ス』
そう殴り書きされていたのだから。
二枚目は少し落ち着きを取り戻したのか、ちょっとだけ読みやすい字になっていた。
『人類殲滅とか最早どうでもいい。全力全開全身全霊でとにかく勇者をブッ殺ス』
二枚とも、なんだか底知れない怒りと恨みと憎しみと悲しみと決意を力強い筆跡から感じる。
そこで、『キゥロトディア』が誰のことかを思い出した。
そうか、やっと手紙を書く気になってくれたんだね。返事をこうして送ってくれて、私は本当に嬉しい。
でも、私は『話し合い』をしたいとお手紙に書いたはずなのに、それに関して一切の記述がない。もう一度、城に出向いてそれを伝えないといけないかなぁ。そのときは何をしようか、考えなきゃいけない。
「で? 勇者さま。この手紙に心当たりは?」
「ありますよ」
「ほほう……?」
問いかけに答えた私を見るランスさんの眼光が鋭くなる。
「差出人の名前だが……俺の記憶が確かなら、『魔王』と同じ名だ」
「それはそうでしょう、魔王本人からのお手紙ですし。封蝋から魔王の魔力と同じ波動を感じます。ま、かなり薄まっているので人間に影響はありませんが」
「なぜそんなもんがこのギルドに届く……?」
「いやあ、私はここ一か月ほど、その日の稼ぎによって安宿を転々としていましたから。魔王が返事を出すときに住所不定だと困るだろうと、宛先をこのギルドにしておいたんです」
「そうじゃなくて。なぜ魔王がお前宛てに手紙を寄越すようなことになったのかを訊いているんだが」
「私が魔王に手紙を出して、お返事待ってます、と書いたからですが」
「勇者が魔王と文通って何やっとるんだお前はッ! 意味不明にもほどがあるだろうがッ! それに何を書いたら魔王がこんなにブチ切れるのか説明を要求するッ!」
ここまで我慢しておきながら唐突に魔王よろしくキレ散らかし、ランスさんは茹で上がったタコのように頭から蒸気を立ち昇らせて大声を上げたのだった。
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