第9話 まごころを魔王に

 翌日。

 一晩かけて考え、推敲を繰り返した文章をしたためた手紙を手に、私は町を出て転移門から魔王城を訪れていた。

 相変わらず濃く禍々まがまがしい魔力漂う、見た目は美しい魔王城の庭園。

 もちろん今までと変わらず、女神のスキルの効果で魔獣の姿はない。静かなものだ。

 思わず見惚れてしまう無人の庭園を進み、門番のいない入口を開け、エントランスホールを抜ける。

 目指すは、玉座の間。

 魔獣も四天王もいないとわかっているから、剣を抜くこともない。周囲に気を巡らせて警戒する必要もない。

 ゆったり城内見学をするようにしてたどり着いた十三階。大理石の床に赤い絨毯が敷かれた廊下の先にある立派で分厚い扉を開き、ひときわ広く豪奢な室内の奥にある玉座に目をやる。

 魔王は――いない。わかっていたことだが。


「さて。どうなることやら」


 事の成り行きがどうなるかを楽しみにしつつ、玉座の肘掛けに手紙を置いた。

 魔王はちゃんと手紙を読んでくれるかなぁ……。

 目下の心配は、それだけだった。



 私は考えた。

 私が魔王城に居座れば、魔王は『てつくときの間』に転移させられ、そのまま戻れなくなると。それで世界は平和になるのではないかと。

 だが、それで魔王が消滅したわけではなく、レアスキルの効果範囲外にいる魔獣は人類への侵攻を止めないだろう。魔獣はそう命令されて、それをただ遂行しているだけの存在だから。

 その魔獣のうち上位に入る何体かは勇者である私でなければ倒せないが、私は魔王城から動けない。魔獣討伐に出て魔王が城に戻っては意味がないし、魔王を抑えている間に魔獣によって人類が滅ぼされてしまっても同じだ。

 ならば、魔王に

 相対して戦い、力づくで止めることができないのなら、それ以外にできることはないのではと考えたのだ。

 もちろん――魔王が私の提案に乗るわけがない。むしろ私のポンコツスキルを知れば、過去に魔王の企みを打ち砕いてきた勇者の干渉を受けなくなることを喜ぶだろう。自分を倒せない勇者など恐るるに足りん、と。

 その慢心を。

 その余裕を。

 このアイデアで


「楽しみに待っているがいい、魔王よ……!」


 庭園にて帰りの転移門を開き、振り返って魔王城を一目見上げてから、自分でも『どちらが悪役かわかんないな……』と思ってしまうような捨てゼリフを残して王都に帰還した。



 手紙を届けてから十日が過ぎた。

 そのあいだ、魔王の手の者の侵攻は相変わらず続いており、手紙の返事が届く気配もなかった。

 予想通りではあるが、魔王にもう少し思慮があればよかったのにと、私は


「さてと……」


 その日の午前中はひたすら眠りこけ、昼前にようやく起きた私は、のそのそと亀のようにベッドを降りた。温め続けた策を実行するのだと思うと興奮してしまって、昨晩はなかなか寝付けなかったのだ。眠い目をこすりつつ食堂で甘いジュースを一杯だけ飲んで、出掛ける準備をする。


「勇者さま。これから魔王城に?」


 外壁の検問所の兵士が声をかけてくる。

 私は無言でうなずいて軽く手を上げ、町を出た。格好をつけたのではない。しゃべるとニヤニヤが出てしまいそうだったからだ。

 少しだけ歩いて周囲に何もない原っぱに立ち止まり、空を見上げ、太陽が中天にあるのを確かめる。

 おあつらえ向きの時間だ。


「ふふ……」


 口の端に笑みを浮かべて、私は転移門を開いた。

 門を抜けた先は、いつもの魔王城の庭園。眼前には、魔獣も門番もいない空っぽの城。

 立ちはだかる者もなく、悠々と上階を目指す。

 ただし、今回は『玉座の間』が目的地ではない。


「確か、十二階だったと思うんだけど……」


 以前に探索した記憶を頼りに目的の部屋を探し……それはすぐに見つかった。

 広く、清潔感のある大広間。その中央に長机が置かれていて、純白のテーブルクロスがかけられている。その上にいくつか花瓶に生けられた花があり、大して暗くもないのに燭台の上で数多の蝋燭が光を放っていた。

 入口から最も遠い長机の席、上座と呼ばれるところにはひときわ豪奢な椅子がある。一目でわかる、魔王が着く席だ。

 その前には、キラキラと輝く銀のカトラリー。純白の食器。真っ赤なワインが注がれたグラス。そして――豪華絢爛な料理。

 国王主宰の晩餐会でしか見たことのないような料理が所狭しと並んで、美味しそうな匂いを漂わせていた。

 温かな湯気の立つスープ。焼けた鉄板に乗せられジュウジュウと脂が弾ける獣肉のステーキ。色とりどりの野菜を使った温野菜サラダ。キノコっぽい食材を使った香草焼き。

 どれもこれも、温かで美味しそうなものばかりだ。

 案外、食べる物は人間も魔王も変わらないんだな、と変なところで感心してしまう。

 ともかく、これが魔王の昼食らしい。タイミングはバッチリだったようだ。


「……『鑑定』……」


 スキルを発動し、その料理を分析する。

 結果は残念なことに、人間が食べると毒になるものばかりだった。

 私が食べても大丈夫なものなら、ちょっとだけお裾分けしてもらおうと思って昼食を抜いてきたというのに。こんなことなら食堂でしっかり食べてくるんだったと後悔する。

 だがまあ、しかたがない。私の見立てが甘かっただけだ。

 気を取り直して。


氷結魔法ブリザード!」


 呪文を唱え、湯気の立つ料理をすべてキンキンに冷やす。ワインはシャーベットに。スープは凍るまで冷やした。

 これでよし。

 テーブルに並ぶ料理が凍てつくような冷気を発するのを確認し、これを食べた魔王がおなかを壊してはいけないので胃腸薬を添えて、用意してきた手紙を置く。

 どんな反応をするのかを見届けられないことを残念に思いつつ、私は魔王城をあとにした。



 その二日後、私は夕食どきに再び魔王城を訪れ、先日は冷たい食事をさせてしまった慙愧ざんきの念から、今度は魔王に熱々の料理を食べてもらえるように、世界でもっとも辛いホットな粉末調味料『パレッツァチリペッパー』を夕食のメニュー全部にたっぷりと振りかけてやった。

 魔王が辛いものを食べ慣れていないかもしれないので、『世界の名水三選』の常連である『キーハイメル山の湧き水』で作った強炭酸水をキンキンに冷やしたボトルも用意してある。たった一口で心身ともに爽快になること請け合いの、王侯貴族のあいだで大変人気のある飲み物だ。

 それと手紙を置いて、王都に帰還した。



 さらにその二日後、今回は魔王の入浴時を計って訪ね、お風呂のお湯を凍る寸前まで冷やしてやった。今日はここ数日で最も気温が高く、暑い一日だったので冷たい水が気持ちいいはずだ。脱衣所に魔王のローブがあったことを鑑みるに、浴槽にいるときに『てつくときの間』に転移しているだろうから、戻ったらすぐに冷水浴を楽しんでもらえるだろう。

 だが風邪を引くといけないので、風邪の予防と体の芯から温まるという薬効のあるお茶(ちょっとクセのあるにおいがする)を用意しておいた。置き手紙には以前と同じ用件に『お体に気をつけて、ご自愛ください』と書き加えてある。



 その三日後、先日の反動なのか妙に肌寒い日だったので、今度は体を冷やさないようにお風呂のお湯を煮え立つまで火炎魔法フレイムボールで温めてやった。ちょっとしみるが火傷やけどにとてもよく効く塗り薬と、『先日はちょっと冷やし過ぎてごめんね』と謝罪の言葉を手紙に書いて残しておく。

 脱衣所のローブをカッチカチに凍らせてあるから、それで火照りすぎた体を冷やしてもいいかもしれない。



 その翌日は、夜中に魔王のベッドにねちょねちょした液体を仕込んでやった。ものすごく寝相の悪い人でもベッドから落ちることがなくなるスグレモノだ。しかも安眠効果と精神安定効果が非常に高いと評判のハーブの香りを足してあるので、いかに寝付きが悪く眠りが浅い人でも快眠間違いなしである。手紙の封筒の中にも仕込んであるから、読むときはかぐわしいハーブの芳香を楽しんでもらいたい。

 ねちょねちょになったシーツの洗濯に困ることがないよう、『この液体は太陽光に一定時間当たると蒸発して綺麗さっぱり消えてなくなるので、洗濯しなくても天日干ししてやれば大丈夫。ベランダにシーツが干してあっても、誰も魔王が夜中に粗相したとは思わないから』と手紙に追記するのも忘れていない。



 昨日は、魔王の昼食と夕食を、栄養満点だがカッピカピに乾いた死ぬほど硬いことで知られる『バグトパン』にすり替えてやった。パンは喉が渇きやすいので飲み物も必要だろうと思い、ワインボトルの中身を魂が悲鳴を上げるほど苦いが栄養価は非常に高い『デロリンランド産特級青汁』に入れ替えておくのも忘れない。

 魔王といえど、贅沢三昧の偏った食生活はよろしくない。たまには歯ごたえのあるものを食べて、顎を鍛えることも重要だ。健康には気を遣わなければ。

 ちなみに、用意されていた料理の中に人間が食べても平気なものがあったので、それは私がありがたくいただいた。食べ物を無駄にしてはいけないから。ごちそうさまでした。大変美味しゅうございました。



 それでも魔王は、手紙の返事をくれなかった。

 案外しぶと……なかなか私の気持ちをわかってくれないようだ。

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