第2話 聖剣で遊んでる場合じゃなかった、お金返して

 いないものと戦うわけにもいかず、私はとりあえず王都に戻ることにした。

 魔王城の庭園に転移のマーキングを施し、次に来るときは転移門を使えるようにしておく。魔王城に最も近い人間の町でも馬で五日はかかる距離があるし、転移魔法を使わずに移動するのは単なる体力と時間の浪費だ。

 続いて、王都につながる転移門を呼び出す呪文を唱えると、桃色の木製ドアが虚空からにじみ出てくるように姿を現し、実体化した。マーキングを施したところであれば、行き先を思い描きながら金色のノブを回してドアを開けるだけで、世界中のどこでも転移できる便利な魔法ドアである。

 ちなみに、これは勇者にしか使えない魔法らしい。


「あれ、勇者さま……? どうしたんです?」


 城下町を囲む壁にある検問所の兵士が、街道に開いた転移門から出てきた私を目にして不思議そうに問いかけてきた。

 それはそうだろう。十日ほど前にこれから魔王城へ行くと王都を出た私が、鎧に傷一つなく、私自身もケガ一つなく、持って行った荷物もほぼそのままで戻ってきたのだから。死闘の末に魔王を倒して凱旋したとは到底思えない格好だった。


「魔王を討伐してきた……ようには見えないですけど……」

「いや、魔王城に行ったけど……留守だったみたいで」

「……は?」


 何を言っているんだ、という内心を隠すだけの余裕もないほど意表外だったのだろう。兵士の顔には怪訝そうな表情が浮かんでいた。


「城に魔王がいなかった……ということですか?」

「うん。四天王もいなかったし……」

「えぇ……?」


 意味がわからない、と呟く兵士。

 私だってわかんないよ。


「まあ、今日はとりあえず宿に泊まって、明日また行ってみるつもりだから」

「そうですか。了解しました」


 さっと敬礼して、兵士は検問所の柵を開けた。

 外壁の門をくぐると大砲だの砲弾だのといった物騒なものが目につくが、その向こうはレンガ造りの家や露店、石畳の通りが整備された比較的平和な街並みが広がっている。道行く人々にもそれなりに活気があって、ごくごく平凡な日々を過ごしていることが見て取れる。

 とはいえ、今のところ魔王の軍勢はまだこの王都に押し寄せていないというだけで、いつ戦禍に巻き込まれるかわからない不安は依然抱えたままだ。

 だからこそ一刻も早く魔王を倒し、安心して暮らせる世界を取り戻してあげたい……のに、魔王が居城に不在とは。無駄足も甚だしい。

 と、文句を言ってもしかたがない。

 現状、宿でたっぷり食事と休息をとって、気力体力を充実させて再度魔王城に赴く。それしかできることはない。


「その前に冒険者ギルドに寄らないと……」


 町の中心にほど近いところにある、周囲より二回りは大きく立派な建物を目指す。

 王都の冒険者ギルドだけあって、登録している冒険者の数も国内最大で、薬草採取からドラゴン討伐まで、集まる依頼もなんでもござれとケタ違いの規模である。

 私も修業の一環(というより生活費の捻出)でクエストを紹介してもらうなどでお世話になったものだ。

 開ける前から騒々しい声が聞こえてくる入口ドアを開けると、近くにいた冒険者たちがこちらに視線を向けた。険しい顔、笑顔、無表情、嘲笑顔。さまざまだ。


「おやおや、ずいぶん可愛らしいお嬢ちゃんが来たもんだ」

「背中に大層な長剣モノを背負ってるが、重くて振れないんじゃねーの? 俺たちに譲ってくれよ、大事に使ってやるぜ?」


 顔見知りの冒険者に手を振っていると、ボロボロの革鎧レザーアーマーを着こんだ髭面の男と、スキンヘッドに刺青を入れた軽装鎧ライトメイルの男があざけるように笑った。

 玉石混交とはよく言ったもので、騎士のような紳士的な冒険者もいれば、こいつらのような野盗かと見紛う下品な冒険者もいる。国内外のあらゆるところから人が集まる傾向が強い冒険者ギルドでは、別にこういう状態は珍しくない。他の国を旅していたときに立ち寄った冒険者ギルドも似たようなものだった。


「よう、聞いてんのか、お嬢ちゃん」

「…………はぁ」


 酒臭い下卑た声に思わずため息が漏れる。

 私は勇者という肩書を持っているが、見た目は十代の小娘だ。私の顔も肩書も知らず、風体とそれに似合わぬ聖剣をからかってくる冒険者はそれなりにいる。これも決して珍しいことではない。


「じゃ、この剣を振って見せて。できたらあなたに譲ってあげる」


 勇者スキル『営業スマイル』全開で野盗……失礼、スキンヘッドに鞘から抜いた聖剣を手渡す。聖剣は私が両腕を広げた長さより少し短いくらいのロングソードで、両刃の刀身は少し広めだ。重量もかなりありそうに見える。少なくとも、私のような『お嬢ちゃん』に扱えるシロモノだとは思われない。


「へへっ、素直なお嬢ちゃんだな。そういうことなら遠慮なくいただ……ぅおあッ⁉」


 聖剣を受け取った瞬間、へらへら笑っていたスキンヘッドは剣の重さを支えきれずに膝を折り、地面に落としてしまった。さっさと手放せばよかったものを、なまじ持ちこたえようとしたせいで地面と剣の柄に手を挟まれ、情けない悲鳴を上げる。そんな相棒を髭面が顔色を変えて助けようと剣に手をかけるが、まったく持ち上げられる気配がない。

 同時に、心底愉快そうな笑いがあちこちで湧き上がった。


「お前ら、勇者さまに絡むとは物知らずにも限度があるぞ」


 そう言いながら人混みをかき分けて現れたのは、王都冒険者ギルドの長、ギルドマスターのランスさんだった。性格はともかく冒険者然としたたくましい体格のスキンヘッドたちが鶏ガラに見えるほどの筋肉と背丈を持つ中年だ。元冒険者で、片目を悪くして戦闘に支障が出るようになったために引退したと聞く。

 どれ、とランスさんは地面に転がる聖剣を掴み……その体勢のまま硬直する。

 彼の隆起する筋肉が血管を浮き上がらせながら悲鳴を上げ、汗が吹き出す。食いしばった歯がミシミシと砕けんばかりに軋んだ。

 傍目にはギルドマスターがしゃがんだ姿勢で全身に力を込めているだけに見えるだろう。だが、そんな無意味なことをするような人ではない。

 


「わかりましたって。それ以上やったら頭の血管が切れて死んじゃいますよ」


 ランスさんの肩をぽんぽんと叩き、私は聖剣を拾い上げた。それを軽く振り回して見せてから背中の鞘に納める。

 スキンヘッドと髭面が信じられないと言わんばかりに目を丸くして私を見ていた。


「やはり俺には勇者の適性はないな……」


 ふう、と息をつき、がはははと笑ってランスさんは立ち上がった。一万回くらい剣の素振りをしたあとかと思うほど全身に汗をかいて湯気を上げている。

 ――聖剣は使い手を選ぶという。

 ゆえに、認められた者以外は持ち上げることすらできないほど重くなり、認められた勇者わたしが持てば、抜け落ちた鳥の羽よりも軽くなる。鞘に納めていればそういうことはないが、抜き身でこの剣を持てるのは私以外にいないのだ。

 もちろん、このギルドによく顔を出す冒険者はそのことを知っている。

 しかし、どうやらこの二人スキンヘッドたちは他所から流れてきた新参らしく、それを知らなかったようだ。おかげで痛い思いをするだけでなく、いい笑いものになってしまった。


「それで、今日は何の用向きだ?」


 居づらくなった二人が逃げるようにギルドを出ていったのを見届け、ランスさんは言った。

 そうだ、あの二人の言い草にムカついて仕返しするのに頭がいっぱいで、肝心の用件を忘れるところだった。


「預けてあった私のお金、返してもらえます?」

「金? なんだなんだ、勇者さまともあろう人が金欠か?」

「ええ、まあ……」


 魔王城に挑む前に大量のアイテムを買い込んだので手持ちがなく、宿代すらなくなってしまったことを言うと、ランスさんはなんとも形容しがたい表情でため息をついた。

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