ソフィー・リニエールのみる夢 ―思慕―


「気が重い……」


 王立建築屈指の全面ガラス張り温室を前に、ソフィーは扉に指をかけたまま立ち尽くしていた。


 しばらくそうしていたせいか、外気の冷たさが鋳鉄製のハンドル越しに伝わり、指先の体温が奪われていく。


 いや、これは気温の問題ではなく、緊張ゆえだろう。


 自分はいま、この国でも有数の高位貴族からお茶会に招かれているのだから――――。


(まさか人生初めてのお茶会が、爵位の最高位、公爵家のご令嬢となんて……)


 公爵令嬢クリスティーナ・ヴェリーン。

 入学初日、彼女から贈られた指輪は、ソフィー本人だけでなく、学院全体を驚愕させた。


 いまだに夢だったのでは? と首をかしげたくなるが、チラリと己の小指に視線を落とせば、それが夢ではなかったことを美しい輝きが主張している。


 ゴールドの土台に咲き誇る、楚々とした青い薔薇の花。

 その美しい形状もさることながら、一目で最高級の彩度とわかるブルーサファイアは、これ一つで一財産分の価値があるだろう。


 なぜ、彼女は自分にこのようなものを贈ったのか?


 幾度となく浮かぶ疑問。

 しかし己の拙い理解力では、いまもって解決に至っていない。


(日数を置かずにお茶会に呼ばれたのは、逆に好機だわ)


 このお茶会は、クリスティーナと自分二人だけ。ならば、この不相応なものを周りの目を気にすることなく返すことができる。


 そう、今日一番の目的は、指輪の返還だ。


 ふうーと、落ち着かせるために息を吐くと、心を決める。


(大丈夫。失礼のないようお返しするだけよ。お伝えする口上は準備しているのだから、なにも怯むことなどないわ!)


 言い聞かせるも、心臓はいつもとは違うリズムを刻んでいた。


(…………苦手なんだよなぁ、思春期の女の子って)


 心の中で、つい祐としての本音が漏れる。


 前世では天馬の姉以外、学校でも児童養護施設でも、その年代の少女たちとは極力関わらずに過ごしてきた弊害だ。


 ソフィーとして生を受けてからは、孤児院や他国の少女たちと交流してきたが、ここでの生活はそれとは勝手が違う。


 貴族として生まれ、貴族として育てられ、貴族として振舞う本物の令嬢たち。しかも一番難しい年ごろだ。


 前世、同級生の少女たちに嘲罵されたのも、ちょうどこの年頃だったと思い起こせば、どうしても苦手意識が消えない。


 “女王の薔薇”に入学して数日、ソフィーはずっと居心地の悪さを感じていた。


 自分が異物だと理解しているから、余計に。


 元男の記憶を持つ自分が、素知らぬ顔でどうやって少女たちと過ごせばいいのか。


(いえ、そういう弱音はあとよあと! とにかくいまは指輪をお返しすることが先決でしょう!)


 意を決して扉を開き、足を進める。


 温室内には、色鮮やかな観葉植物が並んでいた。柱とはり以外はすべてガラスで覆われた別名・水晶宮と呼ばれるこの温室は、学院の中で一番高貴な生徒だけが使用を許される、“女王の薔薇”の中で唯一明確な階級付けが存在する場所だった。


 本来、男爵令嬢レベルでは、足を踏み入れることさえ許されない。


 彼女に招待されない限りは。


 温室の中央へと進むと、ガーデンファニチャーが置かれた一角が見える。


 そこに、――――彼女がいた。


 降り注ぐ太陽の光よりも美しい金髪。大空を彷彿とさせる青の瞳。

 着座の姿すら、名画を切り取ったかのように気品に溢れている。


 思わずぼぉっと魅入っていると、気配に気づいたのか、クリスティーナがこちらを向く。


 瞬間、大輪の花が咲くように、ゆっくりと彼女がほほ笑んだ。


 慈愛と美質を感じさせる微笑は、夢見るように美しくて――――。






「夢見がよかったのよ!」


 早朝、挨拶もおざなりに告げられ、ジェラルドは目を瞬いた。


「それは、……何よりで」


 いつになく高揚しているソフィーの気迫にたじろぎながらも返答すると、勢いはより一層強まった。


「レミエルとの決闘の日に、クリスティーナお姉様の夢が見られるなんて吉兆ね! しかも、私がクリスティーナお姉様に二度目にお会いした時の夢だったのよ!」


 頬に手をあてうっとりと呟くソフィーの表情は、傍から見れば美しい少女の恍惚たるものだが、ジェラルドからすれば当惑でしかない。


 彼女が女学院でクリスティーナと過ごしたのは、たった数か月ときく。

 そんな短い期間で、なぜここまで傾倒するにいたったのか。


 目の前の少女が、家柄や身分に左右されるタイプの人間であるなら理解できるが、そうでないことは瞭然だ。


 なんせ、誰よりも高貴な男レミエルと、いまから決闘リチュしようとしているのだから―――。


「あの時のクリスティーナお姉様は、ガラスに反射した光が降り注ぐ下、まるで女神のごとく神々しさを纏っていたわ」


 周りの花々すら色褪せるほどに美しく、たおやかな姿には呼吸すら忘れるほどだったと、ソフィーの語りは止まらない。


「女学院に赴く前に、お茶会の作法を習うことをすっかり失念していた私に対しても、とても優しくご指導くださったのよ!」


 貴族の子女ならばあり得ない無知さだっただろうに、クリスティーナはそのことに驚くことも嘲笑することもなく、穏やかな声で、ときおりこちらの理解度を確認しながら一つ一つ丁寧に教えてくれた。ソフィーの男爵令嬢という身分を考慮し、階級で異なる振舞いまでこと細やかに。


「初対面の時は、端麗なご容姿と威厳溢れるお姿に圧倒されてしまったけれど、二人だけでお話したときは、柔らかなお声とお優しい仕草がまるで――……」


 そこで、ふいに思考が止まる。


(まるで……、なんと感じたのだったかしら?)


 優美にほほ笑む彼女を見て、“何か”を強く感じた。


 だが、それは言葉になる前に光のように散ってしまい、うまく探すことが出来ない。


「ソフィー様?」


 クリスティーナのこととなると、制止の声すら聞こえぬほど滔々と語るソフィーが突如黙ったことに、ジェラルドが首を傾げる。


「あ……、いえ。――――とにかくっ、そんなクリスティーナお姉様に暴言を吐いたレミエルには目に物見せてやるわ!」


 握りこぶしを頭上に掲げるソフィーに、ジェラルドは諦めのため息を吐く。そんなこれ見よがしの嘆息をソフィーはサラリと無視し、意気揚々と歩き出した。


 すべてを諦めた顔のジェラルドも、黙ってその後に続くが、図書館の大扉まで来るとピタリと止まった。館内では、護衛は不要と事前に伝えていたことを、きちんと守ってくれるようだ。


「お約束通り、私はここで待機致します。ですが……」

「心配しなくても、もうレミエルに対して剣を振るったりなんてしないわよ」


 この前のような騒動を危惧しての忠告なら不要だとソフィーが口にすれば、ジェラルドはゆっくりと首を振った。


「いえ、そうではございません。ただ――――レミエル様にはお気をつけください」

「え?」


 ジェラルドが神妙な顔で言う。


「あの方は、確かに王位には欠片の興味もなく、謀略を企まれる方でもございません。そういった意味では信頼できる方です。ですが、良くも悪くも知的好奇心がお強い」

「今更ではない?」


 それは嫌と言うほど理解している。


 再度念を押すことだろうかと問えば、ジェラルドは少し思案するように間を置いて答えた。


「レミエル様は、幼少の頃より、指摘された本人ですら感知していない奥深くに沈められた傷を、容易に暴く悪癖がございます」

「奥深くに沈められた傷……?」


 復唱しながら、ソフィーは首を傾げた。

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