ソフィー・リニエールというご令嬢~ロレンツオ・フォーセルの思惑Ⅱ~
ロレンツオの言葉に、エリークは思案するように視線を横に流した。それはロレンツオの条件に心揺れたからではなく、ソフィーが一目置く彼に対し、どんな断り方が適切か熟考するためだった。
エリークはしばらく考えたが、ソフィーのように口上手ではなく、バートのような機転の利く返しもできない己を理解している。
だからこそ、ありのままを話すことにした。
「僕たちはタリスの孤児です」
「……は?」
平民であることは知っていたが、孤児とまでは知らされていなかった上席研究員たちが目を見開く。
「王都のストリートチルドレンと違って、住む場所とわずかな食事はありましたが、病気になれば医師に診てもらうことなどできるはずもなく、薬を処方してもらうなど夢のまた夢。成人を迎える前に病気で亡くなる確率の方が遥かに高く、大人になれたとしてもせいぜい靴磨きや下級労働でその日暮らしの生活が関の山。……特に、僕はあまり体が丈夫ではなかったので、成人を迎えることはできないと、ずっとそう思って生きてきました。――――あの方が、あの日現れるまでは」
筆記試験を受けている時も、口頭試問の時もそうだった。
しかし、話に“彼女”が登場した途端、その目には強い輝きが見えた。
「未来を夢見ることすら嘲笑されるような子供が、黒髪をなびかせて、どんな状況にも狼狽えることのない瞳を持った美しい少女からその手を差し出されたら、神のように崇めひれ伏すと思いませんか?」
紫星を賜った少女との面会はまだ数回だが、ロレンツオにはその姿が容易に想像できた。
幼いながらに知的な眼差しで優雅にほほ笑み、瞳にこの世の全てを楽しむような余裕と自信を滲ませた少女の姿が――――。
「本来なら、僕の命はとうに尽きていたはずです。だからこそ、延ばしていただいた時間はあの方に費やしたいのです。それに……」
続く言葉は、胸の内だけで囁いた。
(ソフィー様は、常に無敵を誇っているわけじゃない)
幼い時から、時折ふと見せる物憂げな瞳。
いつもその先を見据えながらも、大切なものを無くしたかのような表情をすることが何度もあった。
彼女には、貴族の令嬢として凛としながら、たまに危うい時がある。
ほんの一瞬垣間見える、捨てられた子供のような危うさがあるのだ。
その危うさが、彼女自身を殺してしまわないか。
闇にとらわれてしまわないか。
だからこそ、自分たちは彼女の傍にいるのだ。
自分たちの誰かが一人でも彼女の傍にいれば、いつその時が来たとしても、すぐに手を差し伸べられるように。
彼女のなかに蝕む何かから、守るために――――。
「諦めるのが早いですよ!!」
エリークが退出した室内で、最初に声を荒げたのは苦々しい面相をしたネルトだった。
ネルトは、早々にエリークの言い分を受け入れ、勧誘の手をゆるめたロレンツオに対し憤慨を露わにしていた。
「ただでさえ去年の試験では、学院からの生徒を全員落としているんですよ! 本所職員を一人も採用しなかったせいで、学院のメンツを潰し、こちらは人員不足の加速! せめて貴重な人材がいるときぐらいは全力で引き抜いてくださいよ!」
血反吐を吐くような叫びだった。
「やはり、せめて一人くらいは採用すべきでしたかね?」
誰よりもネルトが人事採用に頭を痛めていることを理解している上席研究員の一人が、不安そうに呟く。
全員不採用は、銀星の歴史の中でも初だった。
これには学院側も驚いたようで、すぐさま抗議の問い合わせがあった。
「貴方の同窓生も講師陣の中にいらっしゃいましたよね? かなりご立腹のご様子でしたよ。正直、いまの学生たちがその八つ当たりを受けていないか心配です」
ネルトが頬に手をあてため息を吐くが、ロレンツオは涼しい顔でティーカップに口をつけ、静かに言い放つ。
「学生たちの能力が一定の基準に達していなかったのは事実だ。生徒云々の前に、あのレベルにしか導けなかった不手際と、自分たちの存在意義を問うべきだな」
「学院側からすれば、無理難題なレベルを押し付けるなと言いたいでしょうけどね。今年も採用者ゼロだったらどうするんですか!?」
ネルトは両手で髪をガシガシと搔きむしりながら、すがるような視線をロレンツオに向けた。
「やはり、エリーク君だけでもどうにかうちに引き入れられませんかね?」
「そこまで彼に固執する必要はないだろう」
あっさりと拒否され、ネルトは頬の端をひくつかせる。
「星三つを提示しておいて、固執するなとはこれいかに!?」
「彼はソフィー様の傍を離れる気が一切ない」
「聞きましたよ! そりゃあ、ソフィー様とて優秀な人材を手放したくはないでしょうが、引き換えに得られる彼の立身に難色を示すとは思えませんっ。彼の成功は、ソフィー様への賛辞にも繋がりますし、損はないはずです! ですから、なんとしてでも…」
「つまり、彼はソフィー様の付属物だということだ」
ロレンツオの身も蓋もない言い種に、ネルトは「もう少し言い方をどうにかなりませんか!?」とデリカシーのなさを指摘するが、どこ吹く風だ。
「表現を変えたところで彼自身の認識もそんなところだろう。ならば、彼を無理にうちに引き入れることはない。ソフィー様がいらっしゃれば、彼はおまけで付いてくるということだからな」
「ですから言い方を…」
「元より、私が一番銀星に欲する人材は彼女だ」
確かにソフィーが銀星につけば、必然としてエリークも手に入る。万年人材不足の銀星には願ったり叶ったりの話だろう。
しかし、
「その肝心のソフィー様の方が、何倍も手ごわそうなんですけど……」
それは幼い時から、身近に銀星の父と金星の叔父という、面倒な人間とばかりと渡り合ってきた勘に近い。
金星の素養と、銀星の素質を両方も持ち合わせている者ほど厄介だ。ましてや、彼女は金星の娘。簡単にこちら側に落とせるとは思えなかった。
「それだけの価値が、彼女にはあるだろう?」
労力を厭うつもりはないとばかりに眦を緩め笑むロレンツオに、ネルトは諦めのため息を吐いた。
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