ソフィー・リニエールのみる夢 ―思慕Ⅱ―
「それって、私があの無駄にキラキラした男に放ったようなこと?」
ソフィーとて、エーヴェルトに対し、貴族でなければ持てるものなど微々たるものだと指摘し、そのプライドを折っている。少し遡れば、ラルスのコンプレックスに対しても、わりと辛辣な言葉を放った。
ある種、レミエルと同族であることを認めろということだろうか?
レミエルの言動と一緒くたにされるのはさすがに心外だと、ソフィーが口をへの字にすれば、ジェラルドは「いえ」と否定した。
「ソフィー様のそれとは少し異なります。貴女は、ご自分の発言によって相手がどういった感情を発露させるか、ある程度予測を立てて話されていらっしゃる。発言によっておこる不利益と対処を加味して。ですが、レミエル様は違います」
静かに、海の底のような瞳が続けた。
「レミエル様は、発言によって相手がどう思おうがどう感じようが、そのこと自体はどうでもいいことなのです。その者に興味があっての発言ではありませんから。問いたいから問う。それが、相手の傷を抉ろうとも――――」
相手が傷つこうが構わない。
いや、傷ついていることさえ気づきもしない。
「罪悪感など皆無。はっきり言えば、非常にタチが悪いのです」
本当にはっきりと告げたジェラルドに、ソフィーの方が驚く。
そこまでレミエルのことを把握しているなら、幼少期になんとか矯正できなかったのかといいたいところだが、今のレミエルをみれば説き伏せることがどれだけ困難か想像に難くない。
「うーん……。でもまぁ、それなら私は大丈夫でしょう。あの男に指摘されて傷つくような事柄なんて存在しないもの!」
転生したことを言い当てられれば驚くかもしれないが、そもそも“前世”という言葉どころか、その概念すら存在しないのだ。言い当てることなどありえない。
もし、似たようなことをレミエルが口にしたとしても、いくらでもすっとぼけることはできる。それぐらいの演技は余裕だ。
ソフィーは自信満々に答えるが、ジェラルドの表情に安堵の色はなく、どこか不安げだった。
(なにがそれほど気になるのかしら?)
疑問に思ったが、今日はエリークの試験の日でもある。
レミエルとの対決にあまり時間を消費したくなかったソフィーは、ジェラルドの忠告を胸に、とにかく館内に入ることにした。
歩を進めれば、以前リチュをしたテーブルに、すでに準備を整えたレミエルがまっていた。
ジェラルドがあれほど懸念を示したのは、彼自身がレミエルに指摘されたことがあるからなのだろうか? それとも、その場に居合わせたから?
(……いえ、いまはこの一戦に持ち込むべきではないわ)
勝つべき試合に勝つ。ただそれだけだ。
ソフィーは優雅にレミエルの対面に座ると、駒を手に持った。
「今日は貴方が先手でいいわ」
リチュも、チェス同様、先手が有利という考えがある程度定着している。
以前の試合では先手を譲られたが、今回はこちらから譲った。
些細な勝率アップなど必要ないと知らしめるために。
レミエルはとくに争うこともなく、駒を手に取った。
ゲームが開始されると、両者共、一手一手が早く、まるで早指し戦の様相となる。だが、ゲームも中盤辺りになると、初めてレミエルが口を開いた。
「君の以前の敗因は、勝負を
「…………」
兵士の駒を手で転がしながら、レミエルが続ける。
「なぜ僅差にこだわった? 最初から勝つために駒を動かせば、終盤でひっくり返されることもなかっただろう」
分かっている。
あの時の試合、勝とうと思えば勝てた。
しかし、負けた。
理由は――――“癖”のせいだった。
「…………貴方が、どういう人間か分からなかったからよ」
「?」
「私はね、本当は
ソフィーの答えに、レミエルは意味が理解できないとばかりに眉根を寄せる。
「引き分け? そんなものが得意でどうする?」
「あら、意外と使えるのよ。自分よりも目上の方相手に、早々に勝つわけにはいかないでしょう。けれど、わざとらしく負ければ格下すぎると次は相手にしてもらえない。だから、引き分けか、少しだけ負けるの」
ゲームの勝敗は、単純な駒の勝ち負けではない。
勝敗によって得られる利益が、どちらがより大きいかだ。
けれど、それは――――
(“祐”の癖……)
前世の祐にとって、ゲームは勝負ではなく接待だった。
(あの時点では、レミエルがどういった身分で、どういった人間かまったく情報がなかった)
祐は、そういったとき、引き分けか僅差の負けを好む。
(“私”は、勝つつもりだったのに)
けれど、結局は“祐”の癖が邪魔をした。
ここでも、前世の記憶が足を引っ張っていた。
(
知らず、駒を持つ手に力を込めてしまうソフィーを、レミエルはじっと観察するよう見つめる。
「君はよく分からないことをいうな。あの女に固執するのもそうだ。それだけの価値があるとは思えないが」
「お兄様の婚約者が、それほど気に入らないのかしら?」
クリスティーナに対する愚弄は聞き捨てならないと、皮肉を交え応酬する。
ブラコンに対する嫌味を多分に含んだ言葉だったが、レミエルは素直に頷いた。
「アレは、兄上と相性が悪い。母上と同じ性質の女だからな」
「…………貴方のお母上様は、王妃の鑑といわれている方だと記憶しているけど」
ならばクリスティーナも立派な国母となるだろう。
もっとも、王妃の鏡も、レミエルを見れば子育ては失敗しているように思えるが。
「私はね、あの方がいらっしゃったから、女学院でも楽しい時を過ごせたのよ。クリスティーナお姉様が、私を見つけてくださらなかったら、きっと……もっと恐れを抱いて過ごしていたわ」
女学院に行くまで、ソフィーはずっと不安だった。
男の記憶を持つ自分が、女性の園へ行くことを。
思春期の女性と過ごすことを。
なぜそれほど怖がっているのか、自分でもよく分からずに――――。
「クリスティーナお姉様に初めてお茶会に呼ばれて、あの方のお心に触れて、私は……表現が難しいけれど、そうね。吹っ切れたんだと思うわ……」
レミエルに話しているようでいて、まるで自分自身で確認するように言葉を紡ぐ。
本当なら、指輪を返却するつもりで招かれたというのに、それができなかった。
あの日、クリスティーナがくれた穏やかな微笑と優しい教示は、心がほわりとする時間だった。
もし指輪を返せば、彼女との縁はここまでとなってしまう。
返したくない。
この人の傍にいたい。
この人の傍にいれば――――……
そこで、またもや思考が止まった。
プツリと、糸が切れるように。
(なに? さきほどから、どうしてクリスティーナお姉様のことを考えると、途中で遮断してしまうの?)
強烈な違和感に、ソフィーは右のこめかみに手を当てる。
この感覚に近いものを知っている。
昔から、前世の一部を思い出そうとすると、強烈な頭痛を引き起こした。まるで開いてはいけない箱に手をかけようとすれば、強く制止されるように。
クリスティーナと前世を繋ぐものなど何一つないはずなのに、なぜこの感覚が湧くのか分からない。
「ああ……、そうか」
考えに手を止めていたソフィーに、レミエルが呟く。
やっと合点がいったとばかりに。
「君があの女を語る時の顔を、ずっとどこかで見たことがあると思っていた。君は、兄上に似ている」
「私が?」
(フェリオに似ている?)
幼い時からの友人とはいえ、彼と類似点があっただろうか?
逆に真逆だったからこそ、友人になれたような気がする。
(それって、ブラコンゆえの発想?)
思わず眉をしかめて聞き返したくなったが、その前にレミエルが口を開く。
「幼い時の兄上が、母上に話しかけるとき、よくそういう顔をしていた」
側室であったフェリオの生みの親は、彼が物心つく前に亡くなっている。ここでいう母上というのは、レミエルの母親である王妃のことだろう。
「そういう顔、ってどんな顔よ?」
「母親に愛されたいと願い、必死に敬愛を捧げる子供の顔だ」
「――――は?」
必死に敬愛を捧げる子供?
幼子だったフェリオが、亡き母の代わりに、王妃にその感情を抱くのは分かる。
しかし、なぜ自分がフェリオと同じ顔をしているというのか?
「ちょっと待って。姉と母に対する敬愛を同一視するのは少し違うと思うわ」
「姉? 君の“ソレ”は違うだろう。現に、僕に刃を向けたときの君の顔は、母親を守ろうとする少年そのものだった」
「母親を守ろうとする少年って……貴方の発言は、いつも理解の範疇外ね」
ソフィーは諦めのため息を吐くと、女王の駒を摘まみながら言った。
「言っておきますが、私はお母様にもお父様にも十分愛されて育ったのよ。なぜ私がクリスティーナお姉様に母親としての敬愛を捧げるの? 私がお慕いするのは、母としてではなく姉と…して……で」
そこで言葉が途切れる。
そう、ソフィーには優しい母がいる。
(…………え?)
一瞬、脳裏をよぎった考えに、ドクン、と心臓が大きく跳ねる。
そういえば、クリスティーナとのお茶会の日、優しい時間を過ごしながら、ソフィーは天馬の姉である涼香のことを思い出した。
涼香は、前世で唯一、祐が苦手としない女性だった。
クリスティーナの穏やかな雰囲気とは違い、涼香は口調が強かったが、姉御肌で面倒見がよく、どんな逆境にも負けない強さを持っていた。
だからこそ、前世の記憶を思い出したあの日からずっと、ソフィーの女性としての模範は涼香だった。
優しく、何かあればすぐに手をとって助けてくれようとする涼香を尊敬していた。
美しく、堂々と、何にも恐れない涼香に憧憬を抱いていた。
彼女のように生きれば、きっと素敵な淑女になれると思っていた。
クリスティーナと涼香。
二人には共通点がある。
我を忘れることなく、悠然と、いかなる時も気高く振舞い。
誰よりも強い心は、自分の運命すら覆す。
それらは祐の強いあこがれだった。
だって、そういう女性はきっと……
――――子供を捨てたりしないから。
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