拝啓 天馬 そう、すべては必然だったのですⅣ


「ソフィー」


 見た目だけは身目麗しい男が、音もなくこちらに近づいてくる。


 名を呼ばれた本人は明らかに顔いっぱいに不愉快をにじませていたが、彼は気にも留めず発した。


「なぜ僕と遊ばずに、コイツらとばかり遊ぶんだ」



 遊んでない――――!!



 黒星一同、心の叫びだった。


 しかしそれが全員の叫びであろうが、第二王位継承権を持つレミエルに告げられるわけもなく。告げたとしても、まず耳を傾けてはくれないだろう。


 浮世離れした捉えどころのないこの男に、ずけずけとものが言えるのは世界広しといえど目の前の少女くらいではないだろうか。案の定、ソフィーが牙をむく。


「貴方ねぇ、他に言うことがあるでしょう!?」


 指をさして一喝する少女に、レミエルはしばし考え込み、


「胸を触って悪かった」


 相変わらずの無神経さで謝罪を口にした。


「――……もっと大事なことがあるでしょう!! クリスティーナお姉様を侮辱したことよ!」


 怒号までには不自然な間があった。


 黒星たちは察する。


 この紫星の少女は、完全に忘れていたのではないか?


 その証拠に、ソフィーが一瞬『は?』という顔をしたのを、黒星たちは見落さなかった。


 どこまでもクリスティーナ公爵令嬢のことしか頭にないのが異常だ。


「それで、いつ僕と遊ぶんだ?」


 クリスティーナの件はサラリと無視し、当たり前のように所望する。ソフィーは無理やり唇の端をあげ、薄く笑った。


「……いいわ。そんなに私と遊んでほしいのなら、もう一度リチュの相手をしてあげましょう。――――完膚なきまでに叩きのめしてあげるからっ、首洗って待ってなさい!!」

「首を洗って待っていればいいのか? それはどれくらい待てばいいんだ?」


 一向に怯まない男が尚も問う。


「一週間よ!」

「一週間か……。分かった」


 己が納得すれば聞き分けはいいようで、欲しい言葉は貰ったとばかりにレミエルが深く頷く。


「満足したなら、大人しく図書館で…」

「待て。僕は、まだ君から回答を貰っていない」

「回答?」


 なんの回答だと、ソフィーが訝しむと。


「結局、――――君は男なのか、女なのか?」

「吊るしてやろうかしら」


 真顔で返すソフィーに、キースを含む数人の黒星が慌てて動く。今回はジェラルドの命令がなくとも率先して。そうしなければ、彼女の憤怒がこちらに向くかもしれないという危機感が彼らを突き動かしたのだ。


 慌ただしくレミエルが連行されていくと、教室内は嵐が去ったあとのように静まり返った。


 レミエルの奇行に少し冷静さを取り戻したエーヴェルトは、ふと足元に落ちている書類に気づく。いまの騒動で舞ったのだろう。それはソフィーが作成したカリキュラムだった。


 疲れが滲んだ緩慢な動きで拾い上げると、さきほど目に入っていなかった文字が目に入る。


「黒星に山岳演習……これも必要なのですか?」


 しかも銅星同様の演習内容。過酷の一言に尽きる。


「当然でしょう! いついかなる時も、どのような場面でも、どんな状況でもクリスティーナお姉様をお守りするためよ! 想定できるものはすべて行ってもらうわ!」

「想定は、すべてクリスティーナ嬢なのですね……」


 普通は現王か、第一王子ではないのだろうか?


 ここまでクリスティーナ・ヴェリーンに執着する意図が不明すぎる。


 女学院では後輩だったとしても、普通これほどに敬愛するものなのだろうか?


 しかし、さきほどやると豪語してしまった手前、いまさら否とも言えない。


「安心しなさい、山岳演習には山慣れしているマルクスに先導をお願いしているから。もちろん、私も同行するわ」

「え……ソフィー嬢も?」


 聞き捨てならない言葉に、エーヴェルトの唇が引き攣る。


「私が口先だけで、貴方たちに勝てると言っているわけでは無い事を証明するためにも必要でしょう?」


 山に登るだけでも地獄なのに、地獄の先がまだあると?


 さきほどの言い合いで疲れ果てた脳では、もうなんと返せばいいのか分からない。

 固まっているエーヴェルトの代わりに、制止の声を上げたのはジェラルドだった。


「お待ちください、ソフィー様。それは護衛責任者として許可できません」

「ダメよ。私がいなければ、ちゃんとマルクスの指示に従うか分からないじゃない。いえ、絶対に銅星の言葉になんて耳を傾けないでしょう」


 いままでの黒星を見ていれば火を見るよりも明らかだと指摘すれば、ジェラルドはすぐに代案を用意した。


「私が参ります」

「……え?」

「私が責任を持ってマルクスの指示に従わせます。ですから、ソフィー様の山岳演習へのご同行はお許しください」


 どれだけソフィーが山慣れしていようが、山と学院内ではその危険度は桁違い。不測の事態にうまく対処できたとしても、そもそも危険性がある場所へ行かせること自体が論外だ。


 これだけは絶対に許諾できないという強い意志を見せるジェラルドに、ソフィーも熟考する。


 相手がジェラルドならば、黒星たちも嫌でも従うだろう。先に了承を貰っているマルクスも、ジェラルドに対してはある一定の信頼感を持っている。きっと拒絶はしない。


「……まぁ、貴方が責任を持つなら」

「冗談じゃないッ。俺は、お前だけは嫌だぞ!」


 話がまとまり掛けたように見えたが、そこに異を唱えたのはエーヴェルトだった。


 この期に及んで、まだ聖騎士としてのジェラルドの身分を配慮しているのかとエーヴェルトを睨めば、彼の表情はそれとは違う色をしていた。


 そう、どうみても怯えの色を――。


「お前の化け物じみた体力に合わせて山なんて登らされてみろ、死ぬだろうがッ!」

「安心しろ。人間はそう簡単に死なない」

「そう思っているのはお前だけだーーッ!!」


 ジェラルドに食ってかかるエーヴェルトの顔は青ざめており、どれだけ恐れおののいているかが窺える。ふと周りを見渡せば、黒星全員が固まったまま顔面蒼白になっていた。唇が震えている者までいる。


(そう言えば、総合評価でも規格外のランク付けだったわね……)


 カリキュラムを作成するさい、過去の黒星たちの成績表も見せてもらったが、ジェラルドのそれは一人ずば抜けていたことを思い出す。


 黒星は王宮への入隊が無試験で認められるが、聖騎士の入団試験に受かる人間は稀。一掴みの黒星だけが許された称号は、やすやすと手に入るものではない。その証明とばかりの化け物並みの数値だった。


「ジェラルド様。私は彼らを罰しているのではなく、ポテンシャルを上げるためにカリキュラムを練ったのです。一人一人の限界や、得手不得手についてはきちんと考慮して下さらなければ意味がありません」


 潰れてしまっては元も子もないと告げる少女の顔は、さきほどエーヴェルトと子供のような交戦をしていた人物とは思えない。大人びた声音で話すソフィーに、ジェラルドはすぐさま諾の意を示した。


「仰せのままに」

「――――では、これで話はまとまったわね」


 ソフィーが嬉しそうにポンと手を叩き喜ぶと、黒星たちはガックリと肩を落とした。


 時間にすればわずかなものだったというのに、数日不眠不休を強いられたかのような脱力感。しかし解放感にはほど遠い。彼女が作成した書面をみれば、本番はまだ始まってもいないことは目にも明らかで、地獄はこの先も続くのだから。


 一人楽しそうなのは、長い黒髪を持つ少女だけだ。


「そうそう。私はね、この事業を最短最速で実現させるために動いているの。その大切な時間を貴方たちは奪ったのだから、対価として、これから先いかなる理由でも私に従いなさい。当然でしょう?」


 愛らしい瞳の奥に、猛獣が宿っている。新緑の瞳を細め笑む少女に、全員が黙った。突然の命令に、否と言える気力はもう皆無。


 それに、これ以上彼女の機嫌を損ねるのは危険だ。予想もつかないところから、精神的な死を与えられる予感しかしない。


 とりあえず、一度視界から出てほしい。怖いから。


 そんな願いが通じたのか、ソフィーが扉の方へと向かうのを、全員がホッとした顔で見送った。


 が、


「あ、それと――」


 まだあるのか!


 くるりとドレスを翻す少女に、エーヴェルトが叫びそうになる。


 半ばやけになって『はいはい、なんでもききますよ! なんですか!?』とばかりにソフィーを見るが、彼女の視線は別の所に向いていた。


 思わず視線を追えば、それは一人の人物にそそがれていた。


「ダニエル・ベック。貴方はちょっとこちらに来なさい」

「え?」


 ザーッと、ダニエルの顔色が真っ青に染まる。


「な、なぜでしょう……?」


 かすれた声が、なにかの断末魔のように静かな室内に響く。


「そんなこと聞かれなくても自分の胸に問えば分かることでしょう? それとも、一から私に説明させなければならないほど愚かなの?」


 目を細め返された言葉に、ダニエルは残された逃げ道はないと気づいたのか、哀れな表情を浮かべながらソフィーの後に続く。


 その後姿を見つめ、エーヴェルトはポツリと呟いた。



「市場に出される家畜にもし感情があったら、きっとああいう顔してんだろうな……」


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