拝啓 天馬 そう、すべては必然だったのですⅤ

 

 ダニエルとの面談(といえるのか定かではないが)を終えたソフィーが別室から出ると、外で待機していたジェラルドが音もなく動く。一挙一動に隙がなく、洗練された佇まいを持つ男を、ソフィーは挑むように見つめると、諦め半分で「どうぞ」と促した。


「どうぞ、とは?」

「朝はこちらを優先してもらったから、今度はそちらの話を聞くわ。フェリオ殿下のところへ参上されたのでしょう?」


 確かに昨日、ジェラルドは報告のために王宮へ向かい、彼女への伝言を言付かってきた。


 本来ならすぐさま伝えるべき事項ではあったが、朝、顔を見合わせるなり「はい。貴方の視点からみてどうか、意見を聞かせてちょうだい」と数十枚にわたる黒星たちへの育成強化書類を渡され「貴方の用件はあとですべて聞くから」と先手を打たれてしまったため後回しになっていた。


「ではご報告させて頂きます。フェリオ殿下は、ソフィー様のお怒りはもっともだと謝意を示されていらっしゃいました」


 報告を聞いたフェリオの顔が色を無くし、天井を仰ぎみて「なんでそうなるんだ……」と呟いたことは告げずに簡潔に伝えれば、目の前の少女は居丈高に放つ。


「当然でしょう。自分の弟の不始末じゃない」


 表情は険しく、冷え冷えとした言葉には、王族に対する畏怖が欠片も見当たらない。いまはもう驚きはしないが、これが初対面の時であったなら耳を疑っただろう。


 この国において、王族は絶対の立場だ。


 ジェラルドたち聖騎士が、なぜ『聖』を名乗るのか。それは建国時、王は神として崇められていたからに他ならない。永い時の中で多少薄まったとはいえ、王族に対する畏敬の念が消滅したわけではない。


 神と崇められていた王が暴君へとならぬよう、唯一忠言できる存在としてできたのが紫星の起源だと考えれば、彼女の言葉は相応のものではあるが、まだ十代の少女が吐くものにしては辛辣だった。



 ――――だから、変な女だと言っただろう!



 昨夜、第一王子より何度も繰り返された言葉が反芻される。


 不機嫌そうな少女を見つめ、ジェラルドはつくづく思った。


 なぜ自分は、彼女と第一王子の仲を少しでも疑ったのだろう。


 この少女からは、そんな淡い恋心などひと欠片も見受けられないというのに。


「なによ?」

「いえ……」


 本筋から逸れぬよう余計なことはいわず、ジェラルドは言葉を選ぶ。


「フェリオ殿下は、書面で交わした約束は必ず守るとの仰せでした。ですが、ソフィー様にお伝えし忘れたことが一つ」



 ――――を伝えれば、あいつももう無茶はしない。次、同じことが起こったとしても、レミエルに刃を向けるような事態にはならないはずだ。絶対にな!



 フェリオは言いきっていたが、ジェラルドとしては半信半疑だった。


 この伝言に、一体どれだけの抑止力があるというのか。


「歯切れの悪い言い方ね。続きはなに? レミエルのことは特別扱いしろとでも?」

「いえ、そのようなことではございません。……ただ、フェリオ殿下は、クリスティーナ嬢のことを婚約者として大切にされたいとの仰せで」

「…………ん?」


 フェリオがクリスティーナのことを大切にするなど、当然のことだ。それができぬというなら、幼い時の友人であっても容赦はしない。


 分からないのは、そんな当たり前の話をジェラルドの口から聞かされていることだった。


「クリスティーナ嬢は、幼い時からあまりフェリオ殿下に頼みごとや我儘を言われたことがないそうです」


 クリスティーナらしい話だ。王妃として厳しく躾けられた彼女に、婚約者に甘えるという図式は存在しないのだろう。何事にも悠然と構える立ち姿が、目を閉じれば鮮やかに瞼に浮かぶ。


「ですが、今回はじめてあることを切望されました。フェリオ殿下は、その願いを極力叶えて差し上げたいと」


 もちろんそうするべきだ。否など一つも無い。


 だが、なぜフェリオはわざわざジェラルドにこんな伝令を?


(なにかしら、嫌な予感がするわ……)


 忘れてはいけない。


 フェリオは、幼い時のソフィーを知っている。

 離れていた歳月はあっても、彼はソフィーがどういう人間か、経験で理解している一人なのだ。


「クリスティーナ嬢が欲したものはただ一つ。王の剣におけるソフィー様のすべての情報、だそうです」

「――――え?」


 すべての情報?


 それはつまり……。


「なによッ、それ――――ッッ!!?」


 広い回廊に、ソフィーの悲鳴にも似た叫びが響き渡る。下手に近づけば、胸ぐらを捕まれるのではないかと危惧する勢いだ。


「いつよ!? いつクリスティーナお姉様は、そんなお願いをされていたの!?」

「……ソフィー様が紫星を賜り、拠点を学院とすることが決定してすぐだそうです」

「そんな前から!? なぜそれを最初に私に言わなかったのよ!! 第一優先事項の情報でしょう、それは!!」

「そう…ですか?」

「当たり前よ! では、私が学院に来てからの一切がクリスティーナお姉様の耳に入っているということ!?」


 ソフィーはすぐさま頭をフル回転させ、学院での行動を振り返る。


 金星ラルスの顔面に本を叩きつけ、銀星講師に喧嘩を売って、銅星とは山岳演習にでかけ、ついでに鳥を撃ち落としてむしって食した。黒星は、地獄の強化鍛錬を課している真っ最中だ。極めつけは第二王位継承権を持つレミエルの首に刃を向け――――


「……クリスティーナお姉様の許容範囲かしら?」

「私からはなんとも……」


 ジェラルドは言葉を濁したが、彼女の行状を聞いて驚かない貴族女性がいるとは思えなかった。いるとすれば、よほどの豪胆だ。


「~~~ッ、なんてこと! クリスティーナお姉様が私の所業をお聞きになって、妹にふさわしくないと思われたらどうしよう!」


 妹とはなんのことか分からなかったが、ブツブツと一人呟くソフィーの顔色からしても、フェリオからの言付けは、ジェラルドの想定よりも遥かに威力を発揮したようだ。


 とはいえ、この辺りで留めておかなければ、彼女が危機回避のためにどんな手段を捻り出すか分からない――との指示も同時に受けている。


 ジェラルドは、ソフィーが思い詰める前に残された伝令を告げた。


「フェリオ殿下は、この件を事前に伝え忘れていたことを憂慮し、いままでのことについてはクリスティーナ嬢にお伝えするつもりはないそうです」


 ソフィーは目にみえてホッとし、顔色も血色を取り戻すが、それも束の間。すぐにフェリオがどういう意図で今回の件を持ちだしたのか察したようだ。安堵していた顔が、次第に頬を膨らます。


「つまり、今後私の言動はすべてクリスティーナお姉様の元へ届くから、振る舞いには気をつけろという圧力ね。次、レミエルに刃を向ければ私にも報復があると。一種の脅しじゃない!」

「レミエル様のことに関しましては、そうお取りいただいたほうがご賢明かと」


 ジェラルドはあえて否定はしなかった。


「経験則から申し上げますが、レミエル様は己の勝敗を気にされるような方ではございません。一週間後の勝負に勝っても負けても、どちらにしても意味はないかと」

「経験則を語れるほど、レミエルと関わりがあるの?」


 純粋な疑問から問えば、まさかの幼少期からの遊び相手役だったと返答され、ソフィーは驚きのあまりポカンと口を開いたまま固まった。


 それはいわば、幼馴染みではないか。


「ち、ちょっと待って。顔見知りの雰囲気すらなかったわよ!?」

「レミエル様はそういう方です」


 一切の感情の乱れなく言い切る男に、ソフィーはほんの少し同情した。


 打っても響かない、ぬかに釘を打つような男の相手を幼い時からしていたとは。なかなかの地獄だ。


「だからそんなに無感情でブリキのオモチャみたいな男に育ってしまったの?」


 ポロリと失礼な本音を零す。


「レミエル様とお会いする前から、私の人格はこの状態です。だからこそ、遊び役として任命されたのでしょう」


 感情に起伏がなく、癇癪を起さず、喜怒哀楽を顔にうつさない。何を言われようが、何を所望されようが、動じない神経。レミエルの相手は、そんな人間でなければ務まらない。大人でも難しい条件を満たしていたジェラルドに、白羽の矢が立つのは自然な流れだった。


「あの方の言動に対し、慣れが生じておりましたことへの私の怠慢は心より謝罪いたします。そのうえで、本心をお伝えします――――レミエル様とは、関わり合いを持たぬ方が御身のためです」


 初対面のときから無機質な瞳だと思っていた蒼穹の色が、わずかに感情をうつしたようにみえる。


 王妃の下命を考えれば、もっと明言を避けた言い回しもできただろうに、あえて断言する男をソフィーはしばし見つめた。


「……忠告は受け取りました」

「では」

「ですが、一週間後の勝負を反故にはしません」


 ソフィーの返答に、ジェラルドは微かな落胆を見せた。


「貴方の言葉を軽んじるわけではないけれど、こちらも譲れないものがあるわ。クリスティーナお姉様を中傷するような人間に敗北を喫したままなど許せないし、それに……私は、私の目で人を見たいわ。誰かに判断をゆだねて切り捨てるのは嫌なの」


 断然と言い切るソフィーに、ジェラルドは意表を突かれた。


 クリスティーナを誹謗した時点で、彼女の中でレミエルの人権は破砕されたとばかり思っていたが。


(いや、そういう方だったな……)


 切り捨てようと思えば切り捨てられるものを、そうはしない。黒星のことも同じだ。どれほどクリスティーナ重視の発言をしようとも、彼女が作成したカリキュラムを見れば一目で分かる。あれは人材育成に従事してきた人間のものだ。けっして感情論で推し進めただけの、不当な内容ではなかった。


「なにか、お考えが?」

「いいえ、全っ然! とりあえず今はあの男を徹底的に打ちのめすことしか考えてないわ!」


 否、やはりレミエルの人権は存在していなかった。目の前の黒髪の少女からは、レミエルを完膚なきまでに叩き潰すという殺意しか伝わってこない。


「こういっては失礼ですが、勝てる見込みがあられるのですか? リチュはレミエル様の得意分野の一つです。腕前なら王国でも一、二を争いますよ」

「あるから勝負するのよ。今度は必ず勝つわ!」


 一度完敗しているとは思えぬ断言は、口先だけではない強さがあった。


「もちろん、念には念を入れて得られる知識はすべて吸収してから挑むつもりよ。その為に一週間の時間を設けたのだから」


 具体的に何を指すのかは、前からやってきたルカの両手に抱えた大量の本が示していた。

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