拝啓 天馬 まずは第一関門ですⅢ
慌ててネルトが資料を読み。しばらく目を通すと、一言「あざとい…」と小さく呟いた。
「年間費用が、銀星が公共事業として予算をとれるギリギリの線で計算されていますね……」
一目見てそう断言したネルトに、ソフィーが笑顔で微笑む。
「その辺りのお話は、殿下ともご相談させていただいておりましたので」
本人がいたならば、脅したの間違いだろと言っていただろうが、そんなやり取りがあったことはおくびにも出さず、ソフィーは話をすすめた。
「上水道の施設につきましても、すぐに建設できるものではないことは重々承知しております。ですが、手始めに汲み上げた給水を数日間沈殿してから砂や砂利でろ過し、煮沸させて飲用させることについては、早急に法として定めた方がよいかと存じます」
貴族が飲む水は上流から汲み上げられているため、まだ比較的キレイなものだが、一般市民が飲む水は王都から近い。水の質は、けっしてよいとはいえなかった。
「え、法になるのか!?」
マルクスが難色を示したのは、法で定義され強制となれば、水の価値が上がり、市民の生活に支障がでることを危惧してのことだろう。
「法といってもあくまで注意法よ。汚れた水を飲用しないようにするための、意識付けの意味合いが強いわ」
意識改革は早ければ早い方がいい。そして最初は強制力のない所から始める。
ロレンツオとネルトに渡した書類には、そういった事項も盛り込んでいた。
ネルトがソフィーの話を聞きながら書類を捲り、簡易なろ過システムについて記された箇所を読みこむと、「これくらいの費用でしたら……まぁ、対応できそうですね」と安堵の声を漏らした。
一連のやり取りを見ていたファースが、恐る恐るネルトに尋ねた。
「あの…ネルト様、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「はい?」
「そういった費用の計算を、ネルト様がされていらっしゃるのですか?」
「ええ、しますよ。僕だけではありませんが」
「銀星なのに、ですか?」
「国費を使っているのですから、当然です」
キッパリと言うネルトに、ファースの目が大きく見開く。
銀星は研究をするもので、資金について試行錯誤しなければならないのは金星の仕事だと思っていたのだ。
「勿論、研究だけでそういった計算がまったくできない者の方が圧倒的に多いですよ。――――まぁ、できても人に押し付けて、してくれない人もいますが」
そう言って、チラリとロレンツオを見る。
当の本人は知らん顔で、特段気分を害しているふうでもないようだ。
(あら、意外。ネルト様は、ロレンツオ様に対してわりと態度が砕けていらっしゃるのね)
皆、ロレンツオに対して稀代の天才だと崇めているのだと思っていたが、そうというだけではないようだ。逆にそうでないからこそ、彼も若くして副所長を務められているのかもしれない。
「銀星は研究ばかりで、資金の流用なんて考えもしない者が多数ですが、何事においても多少の相場というものを覚えておかないと、他国の商人なんかにはボラれますから」
「ボラれる…」
ネルト・バースは伯爵家の人間だ。それがまるで金星のような発言をしたことに、ファースは口を開いたまま固まった。
「頼めば金星が商談に参加して、こちらの希望に沿った契約もスルリとしてくれますが、金星との関係が悪いとそれも中々。そんなこともできないのかと、嫌味の一つや二つは必ず言われますしね」
それを聞いた金星のラルスがギョッとした。
しかし、立場が同じくらいの人間ならば言いそうだと思ったのか、視線が気まずそうに斜めにいく。
「昔から極度に仲悪いですからね、金星と銀星って」
アハハと笑うネルトは、あまり根っからの銀星という感じがせず、どこか金星っぽい雰囲気もあった。
「今はまだいいですよ。前の代の所長なんて、金星と銀星の仲が悪すぎて、貴族議会でも醜態を晒しましたからね」
聞けば、ロレンツオの前の所長であった銀星と、当時金融界の元締めを任されていた金星が貴族議会で派手にやり合ったらしい。
「いい恥さらしですよ」
ネルトの身も蓋もない言い様に流石に驚いていると、ソフィーの横に座っていたラルスがコソッと教えてくれた。
「その銀星の方は、ネルト様のお父様です…。金星の方は、養子に出られた実の弟君で、ネルト様の叔父上だったそうです」
なんと、どちらもネルトの親族だった。
(実の父と叔父が貴族議会でガチ喧嘩……。ご子息としては居たたまれないわね)
銀星でありながら金星っぽいネルトの性格は、父と叔父が関係しているのかもしれない。
明るく話しているが、彼の瞳は冷ややかに怒気が含まれており、未だに腹に据えかねているようだ。
結局、やり合った金星、銀星の二人は会議中もののしり合い、他の貴族たちを巻き込んで王のところまで話がこじれたらしい。
ここまでくると、お互い体面もあってか、どちらも引けなかったのだろう。結果、元所長がやっていられるかと退任したことを受け、当時すでに星を五つ賜っていたロレンツオが最年少の所長職に就いたという。
一連の経緯を聞かされ、しみじみと思う。
(どこの国のサラリーマンも大変ね)
上がやらかすと下が余波を受ける。
当時のネルトは星を三つ賜った身ではあったが、まだ一介の研究員として働いていたらしい。だが、ロレンツオの下に就けそうな人材が他にいなかったため、無理やり副所長の席に座らされたとのことだった。本当は嫌だったのだろうことが、言葉の端々に伝わってくる。
(本人を目の前にして言えることがすごいわ…)
見た目の柔和さとは裏腹に、肝が据わっているネルトにソフィーが驚いていると、話の雲行きがあやしくなったと慌てたファースが話題を変えた。
「じ、実は、ソフィー様のご提案で、いま金星の方々と交流させていただいているんです」
「へぇ、いいですね! 金星は、物流の値段とか他国の情勢にも精通しておられますから、繋ぎを持っているとやはり違いますよ。私も、ロレンツオ様の学生時代のご友人が金星にいらっしゃったおかげで随分助かりました」
となると、相手は黄金期の金星だ。
それはリニエール商会の娘としても気になる。
「ロレンツオ様のご友人の方でしたら、さぞ優秀で素敵な方なのでしょうね」
金獅子アラン・オーバンはさすがに敷居が高いが、ロレンツオの友人ならば年も二十代だろう。
ソフィーはぜひ紹介していただきたいと瞳をきらめかすと、ロレンツオは薄い唇を蠱惑的に持ち上げ、
「――――まさか、私はあの男のことを欠片も信じておりません」
そう宣った。
冷徹な美貌が、部屋に氷点下の吹雪をもたらす。
やっぱり、金星と銀星は仲が悪い。
それを現所長も繰り返しているような気がする。
凍てつく空気に耐えられなくなったラルスとファースが縋るような瞳でネルトを見る。ネルトは、心底呆れたような表情で言い放った。
「この方が仰ることは気になさらないで下さいね。めんどくさい関係なんですよ、この人たちは」
星を五つ賜った人間だけでなく、黄金期の“王の剣”のメンバーもどうやら一筋縄ではいかない人間の集まりのようだ。
それにしても……。
(表面上だけでも取り繕う仲の良さすら見せないって……。呪われているのかしら、金星と銀星って)
ソフィーは、最高峰の銀星二人の言葉に固まっているラルスとファースをチラリと見て、この二人は仲良くして欲しいものだと心の底から願った。
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