拝啓 天馬 すべてはストレスのせいだったのですⅡ

 

 母親から捨てられる前の記憶は正直思い出したくもなかったので、最初の起点は小学生にした。


「小学校で天馬と出会い、友人となる。と」


 天馬は不思議な子供だった。無表情で、感情を表に出さない。顔が整っている分、ピクリとも動かない表情筋には、恐ろしさすら感じた。


 虐待を受け、そのうえ母親に捨てられた自分の表情が死んでいたのは当然だと思うが、なぜ家族から愛された天馬があんなに無感動で育ったのか子供心に理解できなかった。


 天馬は、同じく無愛想で無感情な子供らしくない子供だった祐にシンパシーを感じたのか、いつも祐の後ろについてきた。


 どんなに怒っても祐のあとをついてくる天馬は、小学生だったからまだ可愛く感じるが、これが中学生辺りならかなり恐怖だ。いや、正直小学生の時でも、天馬の無表情に後をついてくる行動には恐怖を感じた。


「次は中学か…」


 中学の時の、祐のメンタルは最悪だった。


 中学時代は狭い世界の中を、人を拒絶することで我が身を守り、人と接する機会を極力減らした。


 きっとその頃が、一番生きることに嫌気がさしていた時だ。

 そう嫌気がさしていたのだ。


 母親から捨てられたという事実。同世代からの言葉の嘲弄。大人たちからの憐れみ。


 謂れのない暴言を吐かれたことも何度もあった。偽善の中に含まれた侮辱を感じたこともあった。


 それらは毒だった。祐は薄められた毒を少しずつ飲んで育った。毒は体に蓄積され、ふとしたときに心と体を蝕んだ。


 その毒に一番こたえたのが中学時代だ。まだ大人になり切れていない弱い心が、悲鳴を上げたのだ。


「たしか、その時に…」


 天馬に八つ当たりをした。


 最悪なことに、確かその日は天馬の誕生日だった。


(“オレ”はなんて…)


 言っただろうか。そして天馬はなんと返しただろうか。それが思い出せない。


 ズキッと、頭が痛んだ。


 前世を思い出そうとして頭痛がするのは初めてではない。昔から、幼少のころからずっとだ。


「――ッ」


 大きく脈打つように痛む頭を押さえ、それでもなんとか思い出そうとするが、霧がかかったようにぼんやりとしているだけで、明確な記憶は思い出されなかった。


 前世の知識や本で読んだ内容は鮮明に思い出されても、なぜか自分のこととなるとバラバラのピースのようだ。なくしたピースをなんとか探そうと記憶を手繰り寄せても、なかなかうまくいかない。


 ひとつ長いため息を吐(つ)くと、思い出すことを諦め、年表の続きを書く。


(高校生に入ってからは、すさんだ心はほとんど出なかったはず)


 時折、中学同様、同年代からの中傷や誹謗は受けたが、言い返すか無視するかの二択だった。県下指折りの進学校に入学し、学年首席を三年間維持するような祐に、どれだけ同級生が口悪く罵ろうが、結局負け犬の遠吠えでしかないと思えるようになったのだ。


 この頃から、祐の神経は図太くなっていった。学校内では発揮されなかったが、高校三年生くらいで愛想と愛嬌と外面を覚え、実践し出した。将来を見据え、一度は職に就いてから金を貯め、そして大学に通う。目標と夢を見出し、実現に向けて動いた。


 天馬や、天馬の家族はそのまま進学をしてはと勧めたが、どうしても一度社会に出たかった。自分の力で稼ぎ、一人で生活をしたかった。一人でも生きることができるのだと、自負したかったのだ。


 だが、就職先だけは天馬の父から強く言われ、その伝手を頼った。その結果、医療機器の営業職に就職させてもらった。はじめの頃は、職場の先輩たちの補助が主で、その時に多くの医師を回らせてもらい、その話術と処世術を学んだ。


 大きな病院を経営していた天馬の父は、主催されたパーティーで会えば、自分のもう一人の息子だと各方面の医師たちに紹介してくれたので、仕事の繋ぎも取り易かった。その反面、天馬の父の顔を潰さないか必死だった。失敗しても大丈夫だから、いつでも言いなさい。力になるからと優しく言われても、絶対にそんなことにはならないよう、いつも努力を怠らなかった。退職するその日まで、祐はワーカホリックの申し子と同僚に揶揄された。


「……こうやって客観的に見ると、わりと必死で生きた二十五年だったな」


 うーんと、腕を組んで、そこでやっと自分が淑女らしくない言動をしていたことに気づいた。


「いけないわ! 過去は過去! 前世は前世! 私は淑女!」


 強く言葉にして吐き出すと、一度深呼吸してからまた日記を書き始めた。


 今度は、ソフィー・リニエールらしさを忘れずに。






 日記を書き終えたちょうどその時、サニーに客人の来訪を告げられホールへと降りると、そこにはジェラルドが立っていた。


「げ…」


 事前にサニーから客人が誰か聞いていたが、顔を見るとどうしても淑女としては失格な声を漏らしてしまう。


 吐き出した一音は小さく、相手には聞こえていなかったのがせめてもの救いだろう。


(なんでコイツが…)


 そう思うのもおかしな話で、コイツことジェラルドはソフィーの護衛責任者だ。自分のもとへ訪れることに、不思議なことなど一つも無い。


 諦めて淑女らしい、にこやかな挨拶をすると、ジェラルドは相変わらず端整な顔をピクリとも動かさない無愛想な挨拶を返してきた。


 ルカと違ってまったく可愛げのない男だが、護衛責任者だから仕方ない。そう諦めるしかなかった。


「殿下より承った命があるとお聞きしておりましたが、もうよろしいのですか?」


 もっと時間をかけてゆっくりしてくれればよかったのに。そんな思いなど微塵も感じさせない、小鳥のさえずりのような可愛らしい声で問えば、ジェラルドは一瞬間をあけて、なぜかソフィーに謝罪してきた。


 どうやら命令はまだ遂行されていないようで、今日は様子見の挨拶だったらしい。


 内心、よっしゃあああああ!!! と拳を握りしめてガッツポーズをしていたが、そんな歓喜の表情はおくびにも出さず、まろやかな笑みで労りの言葉をおくった。


 そんな自分に、我ながら素晴らしい淑女ぶりだとソフィーは自画自賛した。

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