ソフィー・リニエールというご令嬢~ルカ・フォーセルの戸惑いⅢ~

 

「黒星は、昔からプライドばかり高い奴らが集まっているからな。……まぁ、一人例外もいたが」


 ロレンツオが独り言のように呟く。


 兄が“王の剣”時代の話をするのは初めてだった。その一人とはどういう人物なのか、興味が無いわけではないが、異母弟と言えど詮索していい身分でないことは自分自身が一番理解している。


「金星とも少々トラブルがありましたが、それについては大丈夫かと思います。本日、講師に来られたアラン・オーバン様もソフィー様を大変お気に入りのご様子でしたので」


 金獅子と言われているアラン・オーバンを敵に回すような強者は、金星には一人もいないだろう。


「そうか……。ルカ、アラン殿がソフィー様に接触した際は、その都度報告するように」

「はい。あの…、アラン・オーバン様が、ソフィー様はタリスの町の発展に尽力し、他国の商人の間では有名な方だと仰っていましたが、本当なのでしょうか?」

「ああ。事実だ」


 数枚に渡ってびっしりと書かれた書類を、読むよう手渡される。中身を見ると、それはソフィー・リニエールについての調書だった。


 タリスの町の商人に知恵を与え、王都より秀でた食文化をもたらしたこと。砂糖の主要原料となる“アマネ”に誰よりも早く目をつけ、その精製を成功させたこと。そして、多種にわたる農作物の品種改良によって、味も収穫も格段に向上したこと。彼女の生み出した砂糖、調味料が他国で高額で取引されていること。


 だが、一番目に入ってきたのは、彼女の幼少期の記述だった。


 それには、ソフィー・リニエールは幼少期、第一王子と接触した可能性が高く、二人はかなり懇意だったと記されていた。


「彼女自身に、十分価値があることを理解できていない黒星は愚かだ。もしかすれば、第一王子の側室となるかもしれない女性に対して、早々に喧嘩を売るとは」

「第一王子の側室……」


 記述を読んで一瞬よぎった考えを兄の口から聞けば、その重みはまったく違うものになる。


「どうした?」

「い、いえ…」


 なぜだろう、少しだけ気持ちが重い。


 いくら護衛を任されたと言っても、相手は紫星を賜った方、本来自分とはまったく縁遠い人だ。なのに、なぜか気落ちしている自分がいる。


『私、貴方のこと好きだわ』


 紫星を賜った、自分と同じ髪と瞳をもつ少女がくれた言葉。


 どういう意味で突然そんな言葉をくださったのか、正直今も分からない。


 けれど、まるで戦友のような瞳で見つめられ、なぜか胸が熱くなった。


 これが彼女の処世術なら、愚かにも自分は一瞬で落ちたのだと思う。


 ルカにとって、至上の人はロレンツオ・フォーセルだけだ。そのはずだ。彼が自分の生きる価値なのだ。


 ルカは、六歳の時にフォーセル家に引き取られて以来、ずっと剣術にその身を費やしてきた。平民のほとんどがそうであるように、当時のルカも、字を読むことも書くこともできない学のない子供だった。そんな子供がすぐに頭角を現したのが剣の才能だった。兄の勧めで“王の剣”に入学するまで、ただひたすらに剣術に明け暮れた。


 ロレンツオからは、黒星に入学するよう言われたが、とても自分のような者がフォーセル家の名で黒星に入るなどおそれ多くてできなかった。かといって、フォーセル家の人間が銅星に入ることもまた異質だった。


 貴族にもなれず、平民にもなれない。

 ーどちらにも居場所が無い。

 ーどこにいても、結局自分には剣しか無かった。


 だからこそ、必死に努力して、何度も血反吐を吐きながら歯を食いしばって耐えた。炎天下の中、意識を失うことなど日常茶飯事だった。


 入学してすぐに、ルカは異形の天才としてその名を馳せた。


 今では剣だけなら、あのジェラルド・フォルシウスとも対等に渡り合えると言われている。


 それでも、やっぱり銅星にルカの居場所は無かった。


 強くなれば強くなるほどに、ますます何かが遠ざかる。


 けれど、必要なのは兄に認められることであって、自分の居場所を探すことでは無い。


(だから、ボクは今まで通りでいいんだ…)


 今まで通りで…。


 まだ経験値も教養も足りない自分は、言われたことを全うするしかない。


 胸に落ちる重い何かの正体を探ることはせず、ルカは真っ直ぐと自分の成すべきことだけを見据えた。

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