ソフィー・リニエールというご令嬢~クリスティーナ・ヴェリーンの策略とため息Ⅳ~


「これは、“女王の薔薇”における、花の祭典で出されたものです」

「は…?」


 婚約者の顔が、戸惑いに歪む。


 “女王の薔薇”、それはつまり。


「記したのは、女性、ということでしょうか?」


 ロレンツオが、とても興味深そうに問う。


「はい。その通りでございます」

「バカな……これを、女性が?」


 婚約者が声を上げる。


 誰でも驚くだろう。緻密に記載された内容はとても女性が、それも少女が書いたものとは思えない出来栄えだ。


 その名を言えば、婚約者はどんな顔をするのだろう。


 ソフィーの入学当初は、彼に種明かしをするときは、もっとワクワクするのだろうと思っていた。


 だが、今はそんな気持ちは欠片もなく、隠していた大切な宝物を、人に披露しなければならないことに、胸をしめつけられる。


 それでも、クリスティーナは名を口にした。


「これを記したのは、男爵令嬢ソフィー・リニエールです」

「……なんだって?」


 彼の青の瞳が動揺を見せる。臣下の前ではいくらでも偽れる彼にしては珍しく、傍にいるロレンツオの存在すら忘れ、感情を抑えることが難しいらしい。


「なんで、アイツが…。お前、なぜ…」


 ソフィー・リニエールを知っているのか。


 彼女が女学院に入学したことすら知らなかった婚約者は、稀代の天才が認めた計画書を作成した人物が初恋の君であった驚きと、その彼女との繋がりを口にしたクリスティーナに、疑心を持って当然だろう。


「ロレンツオ様、この計画を遂行するにあたって、その責任者は誰が一番相応しいと思われますか?」


 未だショックから抜け出せない婚約者に構わず、クリスティーナはロレンツオに問う。


 公爵家といえど、銀星五つを賜っているロレンツオに、直接問うのは令嬢として品が無い行為だと分かっていたが、どうしても問いたかった。


 ロレンツオは気分を害した様子も無く、クリスティーナの質問に答えた。


「勿論、この計画を策定した方が相応しいかと」

「一介の令嬢、それも地位の低い男爵令嬢であってもですか?」

「ヴェリーン殿、私はそういったつまらない思考は持ち合わせておりません。逆に喜ぶべきです。これを策定した者が他国の者なら、私はその者を誘拐してでもこの国に置くべきだと進言するでしょう。それほどに、これを策定した者は天賦の才をお持ちだ」


 ロレンツオは、賛辞も社交辞令も偽りで言ったりしない。彼は、彼の認めたものしか褒めない。


 これは、王国の天才が認めた天才であることに他ならない。


 稀代の天才と、次期王妃となるであろう二人の視線が、第一王位継承者に向く。


 狼狽えた目を、必死に隠している婚約者は聡明だ。視線だけで、二人の考えが分かったのだろう。唇が戦慄いている。これから、準備し動くべき全てを彼は悟っている。


 しかし、それは彼の愛した初恋の君を、とてつもない危険をはらんだ一手に進ませることになる。


(……大丈夫。あの子は、わたくしの“妹”は誰よりも強い)


 婚約者と同様の揺れる心と恐れは、クリスティーナにもあった。


 けれど、誰よりも、クリスティーナはソフィー・リニエールを信じていた。


 ソフィーが自分を信じているように。


 瞳を閉じ、心を引き締める。

 ゆっくりと瞳を開けば、ソフィーの愛する空の瞳が鋭く光った。

 強い瞳を、婚約者に向け。彼が口を開くのを待つ。



 歯車は、いつ動き出していたのか。

 今、なのか。

 彼が彼女と出会った、その時からなのか。

 それとも、もっと前からなのか…。



 もう、止まることのない動き出した歯車を憂い、クリスティーナはただ愛する“妹”のことを想った――――。




 ◆◇◆◇◆




 ソフィーを見送った後、クリスティーナは空虚な想いを隠すように、自室へと戻った。だが、すぐにセリーヌとラナが遊びに来てしまう。


 二人としては、クリスティーナが落ち込まないように気遣ってくれているのだろう。それを嬉しく思うと共に、ふと思い出した疑問を口にした。


「いつからレオルドのモデルが、ジェラルド様になったのかしら?」

「あら、違うの? 騎士で、金髪碧眼と言えば、誰しもがジェラルド様だと思うでしょう?」


 セリーヌにサラリと言われ、クリスティーナは考える。


 確かに伯爵家のジェラルド・フォルシウスは、端整な顔立ちの金髪碧眼。聖騎士の身分を持つ彼は、女性ならだれでも憧れる騎士の中の騎士だ。無表情で感情の機微が察しにくいという点でも、レオルドに似ている。


 セリーヌとラナは『金色の騎士と黒曜石の少年』の作者がクリスティーナであることは知っているが、キャラクターのモデルについては教えていない。


(まぁ、確かに王族をモデルにしたなど、誰も想像しないわよね)


 いくら作者不明とは言え、王族をモデルにするなど恐れ多く、考えも及ばないことだろう。


 一応気取られないように、性格もモデルの婚約者とはまったく違うものにした。

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