ソフィー・リニエールというご令嬢~クリスティーナ・ヴェリーンの策略とため息Ⅲ~


 少女らしい、淑女らしい“花”を見て、一つ一つを採点しながらも、考えることはソフィーのことばかり。


 第一王子の側室という、ソフィーにとってはなんら光栄でない立ち位置を、どう彼女に頷かせるか、どう側室の座に座らせるか。


 思慮をめぐらせながら、一つの“花”を手に取り、読む。綴られた冒頭は、こう始まっていた。


『現在、オーランド王国の人口は増加し続けております。その人口増加に、耐えられるほどの下水技術が、我が国にあるといえるでしょうか。

 現在でも、城下の外れでは汚物が街路に投棄され、汚水は処理されることなく川に流すだけの状態です。この状況が長く続けば、民は汚染された川の水を飲み続けることとなり、衛生状態の悪化は伝染病をもたらし、いずれ国を滅ぼす害となるでしょう。

 美しいものを好む貴族街は、確かに整備されており、一見すれば大きな問題はないように窺えます。ですが、一歩場を外れれば、淀んだ臭いと空気が街を覆い尽くしているのが我が国の現状です。そんな国が、真に美しいと言えるでしょうか。

 そこで、改善の第一歩として、オーランド王国における下水道計画を、ここに提案いたします』


「これは…」


 オーランド王国だけではなく、近隣諸国においても水は貴重なものだった。金のある貴族にとっては容易に買えるものだが、平民にとっては気軽にいくらでもと買うことはできない。飲み水は、きちんとしたものを買わないと体に不調がでる。しかし、粗悪なものが低価で売られているため、金のない者はそれを飲むしか無かった。


 記されている文章を読み、静かに息を吐く。


「汚水を、微生物によって浄化させる…?」


 それは可能な原理なのだろうか。


 しかし、事細かに記載されている原理と仕組み。施設の設備についても詳しく書かれており、とても妄想や絵空事とは思えなかった。


「これは…ソフィーのものね」


 調べるまでも無く、この“花”を提出した者が分かる。


 こんなものを花の祭典に提出する者など、ソフィー・リニエールしかいないだろう。


 クリスティーナは顔を上げ、目を閉じた。


(ああ、やっぱりあの子は、不思議な子だわ)


 内容を最後まで読めば、とても一人の少女が書いたものとは思えなかった。


 銀星を賜った者ですら、こんなものはかけない。


「わたくしは…」


 なぜ泣いているのだろう。


 ポロポロと零れる涙を手に取り、呟く。


 こんなにも国を想う女性がいることが嬉しいのか、それとも……。


(飛んでいってしまうかもしれない)


 可愛い“妹”は、やはり普通の少女ではない。


 これを然るべき所へ持っていけば、可愛い“妹”は、この手を離れ、もっと広い世界に飛び立ってしまうだろう。


 この王国で、公爵令嬢であり、王妃となることが定められている自分の地位は高い。先ほどまで、その高さにどうソフィーを持ってくることができるか考えていたというのに、いまはどうだ。


 置いていかれるのは自分のような気がして心寂しくなる。


 流れる涙をそのままに、クリスティーナは思い悩む。


 しかし、文章の中から溢れるソフィーの想いを無視できず、クリスティーナはそれを自身の婚約者に見せることにした。







 女学院で過ごしているはずのクリスティーナが、長い休暇でもないのに王宮を訪れたことに、婚約者は驚いていた。


 しかし、手渡した“花”を読むと、彼はただ純粋に称賛した。


 そして、すぐに可能な原理かを確認するために、王国一の天才と称されるロレンツオ・フォーセルに意見を求めた。ロレンツオの性格上、回答は手紙一枚で済ませるかと思っていたが、彼は王宮に訪れ、そして婚約者に進言した。


 これはすぐに行うべき事業だと。


「とても素晴らしい知見かと。これは、どういった人物が書かれたのでしょう。ぜひお会いしたいものです」


 社交界ではついぞ見たことがない喜色をあらわにするロレンツオの表情に、婚約者は確信を得たとばかりに喜んだ。


「そうか! お前がそう言うなら間違いなさそうだな。クリスティーナ、これを記した者はいったい誰なのだ? 公爵家の者か?」

「いえ、これは……」



 ――――飛んでいってしまう。



 自分の手から離れ、遠くへ。



 知らず、指が震えていた。


 だが、ソフィーから貰った指輪に触れると、自然と震えが止まる。


(……違うわ、これは離れていくためのものじゃない。傍に置かせるための布石よ)


 そう思えば、もう迷いは無かった。

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