拝啓 天馬 私は愚者でしたわⅤ
(やっぱダメかよッ!)
切羽詰まると、どうしても思考が祐になってしまう。どんな時でもソフィー・リニエールらしさを早く身につけたいものだと、場に相応しくない反省をしながらも辺りを見渡した。
冬の時期でも、寒さに強い植物や雑草が茂っている。ヌーガが走る感触でも、土の柔らかさが伝わってくる。
(たぶん、大丈夫だ。まぁ、たぶんだけど…)
しかし、迷っている暇はない。崖はもう目の前なのだ。
「リリナ様、必ずお守り致しますので、少しだけ我慢してください!」
もう何がなんだかわからない状態のリリナは失神寸前で、返事もできずにいた。だが好都合だ。恐怖で力が抜けているリリナをしっかりと抱きとめ、ソフィーは地面へとその身を投げた。
衝撃で、草原を数メートル転がったが、リリナの身と、己の頭は庇った。打ち付けたのは背中と肩と足。それも草のクッションと柔らかな土のおかげでいくらか緩和できたのが幸いだった。石畳みであったなら、重傷は免れなかっただろう。
真上に青い空が広がるのを見て、安堵から大きなため息が漏れた。
「お体は大丈夫ですか、リリナ様? 痛い所などありませんか?」
ソフィーの上で、完全に固まっているリリナは、声をかけてもまったく反応が無かった。
(かなり怖い思いもさせたし、これは今度から、声もかけてくれなくなるかも…)
危機は脱しても中々抜けない祐思考で思いながら、リリナごと体を持ち上げれば、嫌だというようにしがみ付かれた。
「り、リリナ様、もう大丈夫ですよ?」
だから離してほしい。そんなにしがみ付かないでほしい。
なぜなら、
(ちょっ…! 胸が、胸が当たってますから!)
リリナのたっぷりが当たっているのだ。たっぷりはたっぷりだけに、ちょっと近づいただけで当たりそうになるというのに、そんなにしがみ付かれたら当たるどころか押し付けられているの領域だ。
(ってか、柔らかい! めっちゃ柔らかいんだけど! なにこれ!? なにが入ってるの!? なにが入っていたらこんなに柔らかくなるわけ!?)
「大丈夫ですからッ、リリナ様、もう大丈夫ですからね!」
必死にうわずった声で伝えると、リリナがやっとこちらを向き。そして、うぇえええええんんと、子供が泣くように涙をこぼした。
(もう、もう…勘弁してッ、胸押し付けられて、そんな顔で泣かれたら、もうご令嬢の顔を保てなくなるからぁあああ)
クリスティーナの前で、あれだけ“妹”に相応しい人間になると宣言した舌の根の乾かぬうちに、変態令嬢になるのだけは絶対に駄目だ。
自分を叱咤し、ソフィーは必死で心を無にした。
心を無にして、ソフィーの母が自分にしてくれるように、右手で背を撫で、左手は頭を撫でて落ち着かせる。
もう怖くないですよと、優しい言葉をかけると、リリナの泣き声がだんだん小さくなっていった。
ホッとしていると、クリスティーナとセリーヌが馬で駆けつけてきてくれた。
「ソフィー! 二人とも大丈夫なの!?」
馬上に乗るクリスティーナとセリーヌは美しく、下から見上げる形だとその神々しさがより引き立つ。
(この神々しさにいっそ滅せられたい…)
たっぷりにここまでしてやられる自分など、やはり“妹”に相応しい人間になれない気がしますと、前言撤回して懺悔したい。
だが、いざクリスティーナを目の前にすると、ご令嬢らしくマイナスの感情は出さず『はい、私は大丈夫です』と口にしてしまう。先ほどまで、あれだけたっぷりに翻弄されていたくせに。
クリスティーナの前では、可愛らしい“妹”の仮面を外したくないらしい。多少偽っても、我が身を良く見せたい。
未だ泣いているリリナの手を引きながら、ちょっとだけそんな自分にガッカリしてしまうソフィーだった。
学院内には、保健室と言われる部屋があり、ドクターが常駐している。念のため診てもらうことになった。
リリナはともかく、ソフィーは痛みをさほど感じなかったので一度は断ったのだが、クリスティーナに強く言われ、それ以上断ることはできなかった。
ドクターからも骨に異常はなさそうだと言われると、やっとクリスティーナが安心したように小さく息を吐いた。
そこまで心配させてしまったのかと、さすがに申し訳なく思った。ドクターが大丈夫だと太鼓判を押すまでは、クリスティーナの顔にはさほど怒りや悲しみという感情が表れていなかったため、気づかなかった。
自室に戻り、サニーの顔を見てやっと一息つく事ができ、疲れがどっと出てきた。
「疲れた…うん、もう本当に疲れた」
主に、たっぷりとの戦いに。
疲れ果てたソフィーは、サニーに着替えを手伝って貰い、湯あみをして少しだけ寝かせてもらった。それから夕飯を食べ、いくらか生気を取り戻したソフィーは今日のことを反芻して思った。
(よく考えたら、女同士だし、多少当たっても不自然では無かったわよね。少しくらい触っても良かったかしら? いえ、駄目よソフィー。それは絶対不可侵領域を侵す行為だわ。今日のあれは、僥倖よ。神が私に与えてくれた僥倖だったのよ!)
ベッドの上で考え込み、しばらくしてから机に移動し、ソフィーは羽根ペンを取った。机に立てていた日記を開くと、拝啓天馬と書き出す。
親愛なる親友に、どうしても伝えたいことがあったからだ。
主に、怒りの方向で。
こうしてソフィーの“豊穣の恵みにふれた祝福という名の僥倖”事件は幕を閉じたのだった。
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