拝啓 天馬 私は愚者でしたわⅢ
「姉妹の契りは、本来入学初日に行うような行為ではないわ。貴女はもうそれを知っているでしょう?」
頭上に広がる色と、同じ色をもつ瞳が、ソフィーを捉えるように見つめる。感情が込められていない声と表情だった。こんなクリスティーナを見るのは初めてだ。
「貴女が入学してもう二カ月が経つわ。正直、一度くらいは弱音を口にするかと思えば、一切無いのだもの」
「クリスティーナお姉様、いったいなんのことを?」
弱音という言葉に、意味が分からずつい口にしてしまう。
「貴女が嫌がらせを受けていることは知っています。そうなることも最初から分かっていたから」
(ああ、そういう…)
意味の弱音か、と納得する。
だが、弱音と言われても困る。ソフィーにとってお嬢様たちが行う嫌がらせは、キュンキュンと胸を躍らせはしたが、ツライ事では無かった。
(なんて言ったら、さすがにドン引かれるでしょうし。困ったわ…)
「怒らないの、ソフィー?」
「へ?」
「わたくしは十分、理解していたのよ。貴女を“妹”にすれば、貴女が困る立場に立たされることを」
黄金のまつ毛が、空色の瞳を陰らせる。目じりを上げた表情は、セリーヌが言っていた“氷の美女”を彷彿とさせた。
感情の無い美貌は、人の心を不安にさせるものだ。だが、ソフィーの心は穏やかだった。
「なぜ、私が怒るのですか?」
逆に問えば、その瞳が驚いたように一瞬だけ揺れた。
「どんな理由があって、どんなお気持ちでクリスティーナお姉様が私を“妹”に選んでくださったかなんて、分かりません。ですが、私はクリスティーナお姉様の“妹”になれて幸せです。私には弟と妹がおりますが、兄も姉もおりませんから、お姉様ができてとても嬉しかったです」
淀みの無い声で、頬に笑みを浮かべ、答える。
虚勢も、強がりもそこには無く、真っ直ぐな声で。
「昔、自分のことをあまり話さない友人がいました。どういった身分で、どこに住んでいて、兄弟は何人いて、将来はどんな未来を描いているのか……。私は友人のことを何も知りませんでした。知りたいとも思いませんでした。口にしたくないこともあるだろうと、いつか自分から話せる時が来たら、話してくれるだろうと思っていました。友人が自分のことを話さなくても、一緒にいれば友人が優しい子だということはすぐに分かります。それだけで、私は十分でした」
ソフィーの言葉に真摯に耳を傾けてくれる優しい友人。それだけで十分だった。だからそれ以外のことを聞く必要は無かった。
それと同じ感情を、ソフィーはクリスティーナにも持っていた。ソフィーはクリスティーナというご令嬢に心底心酔しているのだ。
嫋やかで、美しく、生命の輝きを感じる強さがあるクリスティーナ・ヴェリーン。彼女に心奪われない者など、等しくいないと思うほどに。
彼女の美しさは外見的なものだけではない。ソフィーとて、淑女教育を受けた身だ。家庭教師から教わった礼儀作法、テーブルマナー。所作一つにしても厳しい指摘を受けた。前世、気をつけていたのは姿勢と箸の持ち方くらいだった身としては、正直かなりキツかった。
レッスンの時間は勿論、日々空いた時間をみては練習を重ね、やっと手に入れたのだ。だからこそ、クリスティーナの所作の美しさは別格だと分かる。いったいどれだけの努力をしてきたのか見当もつかない。
「なぜクリスティーナお姉様が、私を“妹”にしてくださったのか、理由はなんでもいいのです。たとえ、そこに悪意があったとしても、“妹”にしてくださったことを、私は幸せに感じております。それに、誰の目から見ても、私がクリスティーナお姉様の“妹”である資格に欠けていることは明らかです。それも、重々承知しております」
クリスティーナの表情は変わらない。それでもソフィーは言葉を続けた。
「ですから、私は、クリスティーナお姉様の“妹”に相応しい人間になりたいと思います。この先もずっと、貴女様が“妹”と呼んでくださるような、そんな人間になります。精進致します。だからどうか、もう少しだけ、私に時間を下さいませ」
クリスティーナとの立場の違い、家柄の違い、それはどうしたって消えない距離だろう。だが、近づきたいと願うことは出来る。その距離を少しでも縮めたいと努力することはできるはずだ。
ソフィーは、クリスティーナに手を取ってほしいなど望まない。望むのは、自分自身の力で駆け上がること。
諦めることも、待つことも、誰かに助けてほしいと願うのも、どれも性に合わない。
幼い頃、友人と約束したように。
自分自身の足で、心の赴くままに真っ直ぐに進んでみせる。
ソフィーの言葉に、クリスティーナが前を向く。その唇が微かに震えたが、すぐに引き締められた。誰よりも美しい人は、小さく「そう…」と答えると、以降はずっと口を閉じたまま沈黙が続いた。
ソフィーは二人の間に流れる沈黙を、苦痛とは思わなかった。
逆に、もう二度と戻らない今という時間の一ページのように感じ、とても愛しいものに思えた。
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