拝啓 天馬 私、前を向いて走り出します!


 色々ありまして、仲良くしていた友人とお別れいたしました。


 いえ、別に愛想を尽かされたわけではないのですよ。大人の事情というやつなのです。たぶん?


 私なりに推測すると、やはり、貴族の中でも男爵の地位は低いのだと思います。きっと彼は伯爵様とかそういう方のご子息だったのでしょう。高位貴族は高位貴族としての生き方があるものです。


 こう見えて、知識と見聞だけは前世を足すと三十を超す私です。そんな大人の理というものも分かっています。


 寂しいと思う気持ちも勿論あるわ。でも、今世は後ろを振り返るよりも、前を向いて歩きたいと思っているの。


 リオには色々偉そうなことを言ってしまったけど、口にして、やっと自分のやりたいことに気づいたの。


 私、これまでは自分の今後のために、生活の質を上げようと思っていました。でも、もう私は自分だけのために、というだけではなくなったわ。


 私ね、世間では、なぜか慈善活動を行っているご令嬢だと噂されているようなのです。


 実際は、無賃金で人を使うという鬼娘なのに。私自身にはなんの力も無い、何もできない娘が慈善活動などと笑ってしまいますわね。


 それなのに、なぜかそんな鬼娘に、色々な方が期待をしてくれているのです。


 お前なら、きっとなんでもできると最後に言ってくれた友人と、私を頼りにして、そして同じくらい頼りにしている孤児院の皆。


 市場で働く店主さんたちも、私が買い物ついでに見慣れない食材の食べ方などを伝えたりしているうちに、仲良くなったの。食材をおまけで貰って、いい食べ方を教えてくれよって、言われるようになったわ。


 ソフィー・リニエールの目の前に、大きな世界が広がっているのを感じるの。


 私にいったいどれだけのことができるか分からないし、できることは本当に小さいことかもしれない。でも、もし目の前に唇を噛みしめ耐えている方がいるのなら、この手を差し出せる人間に成れる努力をしてみようかと思うのです。


 だって、それが令嬢の嗜みというものですわよね?


 私は、私ができることを一つ一つ積み上げていきます。


 そしたら、いつかソフィー・リニエールの名が、リオにも届くのではないかと思うのです。


 天馬も、ぜひ期待していてね! 




 



 ソフィーは、父にお願いして借りた耕地を視察しながら、バートにリオのことを伝えた。


 すると、バートの瞳が驚きに大きく開き、そしてすぐにスッとその瞳を細めた。


「アイツ、もう来ないのか……」

「ええ。貴方にもよろしく伝えてくれって、言っていたわ」

「そうか…」


 少しだけ残念そうな声音で、バートが呟く。


「寂しいわね」

「別に」


 そっけなく答えるが、その顔はやっぱり寂しそうに見えた。


「どうせ、ソフィーともいつかはそうなる。今さら…」

「そうなるって、どうなるの?」

「別れが来るってことだよ。アンタはご令嬢で、俺たちは孤児だ。住む世界が違う。いつまでも一緒にいられるわけがない」

「まぁ、バート。切ないことを言うのね」

「事実だろう!」


 声を荒らげたバートに、先に耕地の土を確認していたエリークとサニーが驚いたように腰を上げた。


「どうしたの?」


 オロオロしているサニーの代わりに、エリークが問う。


 表情も声も淡泊な彼だが、兄貴分のバートの強い語気に、その栗色の瞳を揺らした。


 バートとエリークは兄弟ではなく赤の他人だが、二人とも栗色の髪と瞳を持っていた。バートの妹であるサニーもだ。平民に一番多い色なのだ。


 勿論貴族の中にも栗色をもつ者は多いが、貴族と平民では衣服からして違う。そのため、質素な服を着ている栗色の髪と瞳を持つ者は、すぐに平民だと分かる。簡素ではあるが、質の良いドレスに身を包み、黒の髪と緑の瞳をもつソフィーが並ぶことは、本来とても奇異なこと。それを、誰よりもバートは分かっていた。


「アンタは貴族の女だ。いつか王都に帰る身だ。本当だったら、アンタもリオも会って話すことなんてできない身分なンだよ、オレたちは!」


 バートの言葉に、聡いエリークはなぜバートが激昂しているのか分かったのだろう。辛そうに、目を伏せた。彼が手に握りしめていた土が、サラリと下へ落ちる。


 目の前の怒りに気づかないかのように、ソフィーは小さく笑った。


「まぁ、バート。貴方、バカね」

「だれがッ――!」


 続く言葉は喉の奥で滑り落ちた。白い指が視線を外すことを許さないように、バートの頬を優しく拘束した。見慣れているはずのソフィーの大きな瞳が、まるで大人の女のように蠱惑的に見える。


「貴方たち、私と離れられると思っていたの? 愚かね」

「……だって」

「貴方たちに読み書きを教えて、処世術、礼儀、礼節、全てを叩きこむのに、いったいいくらかかっていると思っているの? 人を育てるのが、一番お金がかかるのよ。ましてや素質があるならなおのこと、貴方たちを私が手放すわけがないでしょう? 私が王都に行くときは、貴方たちも王都へ行くのよ。もちろん、耕地にも人材は必要だけど、貴方たちにその才能はないわ」


 連作も知らなかった三人に、農作物を作る知識、技術は無い。


 エリークは実験が好きなので、品種改良などには興味があるようだが、そもそも体力がない。いずれ耕地については、それ相応の人材を育成するか探すつもりだった。この三人の才能は別にある。


「バートは営業担当、エリークは商品開発担当、そしてサニーには私の侍女になってもらう予定なのだから、勿論王都に連れていくわよ!」


 先ほどの豊艶な笑みとは違う、子供っぽい笑みで、ソフィーがエリークとサニーにほほ笑んだ。二人は目を輝かせて喜んだ。サニーなど『もっともっと頑張って勉強します!』と嬉しそうにソフィーに宣言している。


 だが、一番の年長者であるバートだけは気づいた。


 この恐ろしく賢い貴族の令嬢は、絶対に普通ではない。令嬢など、ソフィー以外には見たことも会ったことも無いが、絶対に貴族の令嬢というカテゴリーの中に収まる女ではない。


 とても、一筋縄ではいかない女に魅入られてしまった、と。

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