拝啓 天馬 私、八歳になりましたⅢ


 走る馬車の中、アルはいつもの笑みを浮かべてリオに話しかけた。


「いや~、ものの見事にフラれましたねぇ。あまりの爽快なまでのフラれっぷりに、このアルもさすがに口を慎んでしまいますよ」

「本当に慎め!」


 大打撃を受けている身を、少しは考えろと吠えても、アルはニコニコと笑うだけだ。


「まぁ、ですがフラれて良かったですね! 貴方様には歴とした婚約者がいらっしゃる。これは気持ち一つで揺るがせるほど小さなことではありませんから」

「お前に正論を言われると本気で腹が立つ!」


 睨んでも、アルはどこ吹く風だ。


 だが笑みを一つ浮かべると、次の瞬間その笑みを消し、淡々と告げた。


「貴方様の地位を盤石にするための、大切なご結婚です。誰もが認める女性を娶ることが、貴方様の義務であり役目です。貴賤結婚などお互いを不幸にするだけですよ」


 始終ゆるい男が、生真面目な顔で言う。ソフィーには見せなかった一面だ。


 リオは自分の護衛が、本当はとても優秀で恐ろしいほど有能だと知っている。だからこそ、その言葉を否定することなどしない。


「分かっている…」


 そう分かっている。


 ソフィーに愛を伝えながらも、一緒に来てほしいと切に願いながらも、ソフィーはきっと断ると分かっていた。


 自分でも嫌になるくらい卑怯だと思う。断られることが想定できていたから、告白できたなんて……。


 もしソフィーがこの手を取ってくれたとしても、自分には引く力など無いのだ。それなのに一緒に来てほしいなどと……。


(卑怯者がッ!)


 己の卑劣と、愚考さに吐き気がした。


 力など無いくせに。何も守れないくせに。その手を伸ばそうなどと、恥知らずだと自分を呪った。


「ッ…!」


 強く奥歯を噛みしめても、漏れ出る嗚咽を我慢できなかった。


 いつもよく喋る護衛が、今この時ばかりは茶化すことなく、視線を窓へ逸らした。


「今日は、いいお天気ですねぇ」


 下肢に落ちる滴を、何も見なかったフリをして、そう呟いてくれた。




 ◆◇◆◇◆




 屋敷から遠ざかっていく馬車を、ソフィーは見えなくなるまで見送った。


「会えない…か…」


 去っていく友人に、寂寥感で少しだけ胸が苦しくなる。


(嫁になるなら連れていける、なんて。何よそれ)


 別れがツライから出たのであろう少年らしい、可愛らしい発言だ。


 離れがたいと思ってくれたリオの気持ちが嬉しくて、ソフィーはフフっと笑った。


「嫁じゃなくても、また会えるでしょう、リオ」


 また会える。生きていればまた会える。それは確信にも似た想い。


 同時に、もう会えない親友を想う。


「会いたくても会えない人間に会うには、どうすればいいんだろうな…」


 呟いて、いかんいかんとソフィーは首をふった。


 つい祐の気持ちで呟いてしまった。


「よし! 私もあんなにリオに豪語しちゃったし、約束を果たすためにも頑張ろう!」


 勢いよく踵を返すと、ソフィーは屋敷へと走り出した。


 リオを驚かせるほどに、ソフィー・リニエールの名声を聴かせてみせると誓いながら。





 しかし、美しく別れを告げた友人と、数年後、憎っくき敵となって再会するなど、この時のソフィーは思いもしなかった――――。

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