拝啓 天馬 私、八歳になりましたⅡ


「はぁ? お前、男爵令嬢だろう。修道女って…なんで?」

「神様に、その操を立てる約束をしているのよ」

「誰と?」

「神様と」

「お前…変わった女だと思っていたが、本当に変わった女だな」


 失礼な言いようだと、ソフィーは頬を膨らませる。


 すると、リオがスッと表情を消して、まるで挑むかのようにこちらを見た。


「……操を立てているのは、本当に神になのか?」

「そうよ。修道女だもの」

「“テンマ”じゃなくて?」

「へ?」


 今世で、その名を聴くとは思わなかったソフィーは内心動揺した。


 どうしてリオがその名を知っているのか。


「……なぜ?」

「オレが助けた時に、その名を呼んでいたから」


 リオが、ぶすっとした顔で呟く。


 そういえば、リオと初めて出会った時、溺れていたところを助けられた時、ソフィーはその名を呼んだ。


 あの時は、水を少し飲み、朦朧としていた意識の中で、前世の親友が自分を助けてくれた錯覚に陥っていたのだ。


 ――――ああ、お前無事だったんだな。オレのこと、助けてくれたんだ。ありがとう。


 そう思って触れようと手を伸ばし、その名を呼んだ。嬉しくて、涙が零れた。


「…………」


 リアルに思い出すと、少し…いや、かなり恥ずかしい。


「あの時のソフィーの瞳は、愛する者をみる目だった」


(いや、まぁ大切な親友ですけど…)


 しかしこう聞くと恥ずかしくて仕方ない。

 

 生まれ変わった身なのに、前世の祐の黒歴史が増えたような気がして辛い。


「“テンマ”はお前の想い人か?」

「へ?」


 どうやら、好きな男に操を立てていると思われているようだ。


 驚きでひっくり返りそうだった。


(……まぁ、いまは女の子だからそう思われても仕方ない? えー?? とりあえず否定はしておこうかしら)


「あのね、リオ」


 言葉を紡ごうとしたが、リオは遮るように話を続けた。


「ソフィー、オレはもうお前とは会えない。でも……ソフィーが、オレの嫁になるなら連れていくこともできる」


 真剣な口調で言われ、ソフィーは目を瞬く。


 リオの瞳は陰っていて、いつもの冗談で言っているようではなかった。


「会えない?」

「ああ…」


 応えるリオの視線が床に落ちる。いつも真っ直ぐに自分を見てくれるリオが、視線を合わそうとしない。


 二人の中に流れる、重い沈黙を破ったのは、ソフィーの間の抜けた声だった。


「リオ、死ぬの?」

「……はぁ!? なんでそうなる!」

「だって、会えないってそういうことでしょう?」

「どういうことだよ!? 死だけが別れじゃないだろう!」

「へー?」


 キョトンとした顔で首を傾げると、リオは大きなため息を吐いた。


「お前、頭いいくせにたまに本当にバカだよな」

「失礼ね! ――なら、また会えるでしょう」

「…いや、会えなくなるんだよ。話聞いてたか?」

「会えるわよ。貴方が生きていて、私が生きているなら」


 キッパリと強く口調で言うと、今までそらされていたリオの瞳がやっとソフィーを見た。


 ソフィーが素っ頓狂なことを言って、事を分かっていないわけではないと気づいたのだろう。


「……会えないと思うぞ。住む世界が違うからな」

「リオ、貴方がいま目の前にいて、私がいまここに存在していて、住む世界が違うなんてことないのよ。……本当に住む世界が違う人とは、一生会えないのだから」

「ソフィー……?」


 リオは思う。お前、いま誰のことを言っているんだ?


 いつも好奇心旺盛な瞳が、先ほどの自分のように陰っているのは何故なんだ?


 お前、いま誰を思っている? そんな顔をさせているのは誰だ?


 聴きたい、けれど、聴きたくない。聴くのが怖い。


 ソフィーの中にいるのはきっと“テンマ”だ。その事実をソフィーの口から聴きたくない。


 リオはグッと拳を握った。


「リオ、私たちはきっとまた会えるわ。どんなに時間がかかっても、きっと会える。あなたは、私がこの世界でできた最初の友人よ。その縁を私は忘れない」


 大人びた笑みを浮かべ、ソフィーがそっと手を差し出した。


 その白く細い指を見て、リオは自分がそれ以上にはなれないことを知る。この可愛くて、賢くて、そして可笑しな少女の友人以上にはなれないことを。


 正直、キツイな…と思った。


 リオにとって、ソフィーは初恋だった。


 何もかもを忘れさせてくれる面白くて、愉快で、そして愛おしい存在だった。


 もっと早く出会っていれば、“テンマ”より早く出会っていれば、彼女の一番は自分であったのだろうかと、詮無いことを考える。


 けれど、自分はソフィーが六歳の時に出会った。遅かったわけじゃない。それなのに、彼女の特別である“テンマ”はもっと早くに出会っていて……なぜか、なぜだか“テンマ”より早く彼女に出会える気がしなかった。


「――――ソフィー!」


 振り切るように声を上げて、その名を呼んだ。伸ばされた手をやっと握って、リオは笑った。


「ソフィー、お前、いい女になれよ! 王都に、その名を馳せるぐらいのいい女に!」


 次に彼女の名を呼べるのは、いつになるのだろう。数年後、数十年後?


 その時はもう、彼女に愛を囁くことはできないだろう。恋をするのもこれが最初で最後。そういう身なのだと自分でも理解している。後悔はない。


 穏やかな森の色を持つ少女の瞳を目に焼き付けたくて、リオは瞬きもせず見つめた。見つめ返す瞳は、リオの挑発にすぐさま蠱惑的な形で返した。


「当然よ、私はソフィー・リニエール! どこにいっても聞こえるほどに、この名を轟かせてみせるわ!」


 胸に指をあて、自信ありげに豪語する少女に、リオは笑った。


 それがただの空威張りでないことを、リオは一番分かっていた。

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