拝啓 天馬 どうやら私は男爵令嬢として転生したようですⅥ
やってきた市場はとてもにぎわっていた。
日本で言えば夏にあたる今の時期は、避暑地として有名なこの保養地にはたくさんの貴族が訪れており、そのせいか、市場は多くの使用人達が新鮮な食料を求めて買い物に来ていた。
果物、野菜を売る商人はそのみずみずしさを声高らかに宣伝し、羽をむしられた鳥が何羽も吊るされている肉屋は、焼くことによって香ばしい香りで客を誘った。
「ところでなぜ市場なのですか? ドレスの仕立て屋などもこの先にありますが」
「お前、本当に黙る気は無いんだな」
「若々しいお二人の会話に、わたくしもお邪魔させてください」
相変わらず笑みを絶やさないアルの返答に、リオは諦めのため息を吐いた。そんな二人を完全に忘れ、ソフィーは色々な店をのぞいて回る。
(ニンジン、カラーピーマン…うん、この辺の野菜は前世と同じだわ。あれはトマトかしら? ちょっと形がリンゴみたいだけど、皮の艶やかさがトマトよね? いえ、もしかして味はリンゴかも?)
どっちなの!? と疑いながら、陳列品を見てまわるのがとても楽しかった。
(あ、ジャガイモ見た目そのまま! 味も同じかしら?…………ん?)
市場の中でもひと際大きな店の前で、ソフィーは足を止めた。
「これ、ニンニク!?」
形、色どれをとってもニンニクによく似た形状のそれに、ソフィーは興奮した。
肉の臭みを消し、食欲をそそる香味をプラスしてくれ、そのうえ強壮・スタミナ増進効果も期待できる。これでお肉を焼きたい! そして母に食べさせたい!
「お嬢ちゃん、それに興味があるのかい?」
「ええ、これはなんという食材なの?」
商人に話しかけられ、ソフィーはワクワクして問う。
「これはピーヤだ」
「ピーヤ…」
聞きなれない名前だが、持たせてもらい、匂いを嗅がせてもらうと、確かにそれはニンニクと同じ香りがした。
「これは匂いが独特なんだ。俺も、芋みたいだと思ってふかして食べてみたんだが、どうも奇異な味がして。まぁ、味はまだ我慢できるがとにかく匂いが臭い! 食べてから三日間ずっと口の中が臭いと、かみさんに言われたよ」
「薄くスライスして焼いてみたことは?」
「薄くスライス? これを薄くスライスしたら食いにくいだろう」
なるほど、売ってはいてもあまり食べ方は知らないらしい。
「これは他国からの流れもんで、結構高いんだ。それにこの匂いだから、買い手がいるとは思えなくて、俺も困っているンだが」
「おいくらかしら?」
「これ五つで銅貨一枚」
他の野菜で計算すると、ジャガイモなら銅貨一枚で四十個買える。それで考えると確かに高いが、ソフィーの手には銀貨五枚があるから大丈夫だ。
「いただくわ。あと、この赤いのと、これとこれも!」
「おお、ありがとうお嬢ちゃん! この白いのは売れないと思っていたからありがてぇ。このエピカをおまけするよ。お代は全部で銅貨三枚だ」
エピカという、これまた聞きなれない緑色の玉を貰った。果物だろうかと考えながら、銀貨を出そうとした。だが、それをアルに止められた。
「ソフィー様、ここはわたくしが」
「え、でも…」
「こういう市場でそちらを出すと、商人がおつりに困ってしまいますから」
キチンとした理由を耳元でそっと言われ、ソフィーは持っていた銀貨を見る。
(そっか…、銀貨と銅貨の貨幣の価値を考えていなかったわ)
あくまで個人で行っている商店で、大きな貨幣を出されては、商人にとっても困るだろう。前世のように、銀行がたくさんあるわけでもない。
ソフィーがグダグダしていると、アルが会計を終え、そのうえ荷物まで持ってくれた。
「ありがとうございます。アル、代わりにこのお金を貰ってください」
両手で銀貨を差し出すが、アルは『お気になさらずに』と受け取ってはくれなかった。
「悪いソフィー、オレもそこまでは考えてなかった」
「リオ様もお坊ちゃまですからねぇ」
アルの、のほほんとしたからかいに、リオがとても嫌そうな顔をする。
(リオはお金に詳しかったから、貴族でもそんなに上じゃないと思ったりしたけど。お坊ちゃまってどのあたりのお坊ちゃまなんだろう?)
地位の高い貴族はお金の価値に疎い者が多い。リオのように、すぐに銀貨一枚で家族四人の五日分の食料などという言葉は出てこない。だが、考えようによっては、そう誰かに教わっただけなのかもしれない。
一瞬、家柄を聴こうとしてやめた。
必要ならいつか教えてくれるだろう。そういえば、結局アルの星の数も、リオは口にはしなかった。口にしたくないのかもしれないし、せっかくできた友人の詮索に興味は無い。
その後もお肉屋さんで美味しそうなお肉を買った。お金はまたもやアルに出してもらうことになり、とても気まずかったが、アルはとても楽しそうだった。
(あとでグルグルをお願いしようかと思っていたけど、ここまで迷惑をかけたらグルグルは頼めないわね)
帰りの馬車で、こっそりと諦めのため息を吐く。
(まぁ、今日はもう日が落ちそうだし、またいつかお願いしてみよう)
でも、その前にアルに今日の御礼をしたい。だが、金銭だとアルは受け取ってくれない気がする。
「あ、そうだ!」
思いついた考えに声を上げると、家の中まで送ると一緒に馬車を降りたリオが驚いて足を止めた。後ろにはソフィーが買った荷物を持ってくれていたアルが、足を止めたリオとぶつからないように体を左に逸らしていた。
「何だよ、突然。どうかしたのか?」
「リオ、明日また遊びに来てくださる?」
「……来ていいなら」
「よかった! じゃあ、アルと一緒に来て!」
アルと一緒という言葉に、リオが不服そうな顔をする。
「どうされたんです、リオ様。わたくしはいつでもリオ様と一緒。護衛ですから。たとえ呼ばれずとも行きますよ」
今日一日、笑っていないところを見たことが無いというほどよく笑う護衛は、とても楽しそうだ。
「リオ、アル、今日はありがとうございました。また明日、今日の御礼をさせてください」
ソフィーは、軽やかに淑女の礼を執る。とても可愛らしい笑みを浮かべたそれに、二人は同じように笑みを返してくれた。
まさか、次の日に、同じ少女から度肝を抜かされるとは思ってもいなかった。
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