拝啓 天馬 どうやら私は男爵令嬢として転生したようですⅢ


「リオ!」


 驚いて声を上げると、少年が「よ、ソフィー!」と手を上げる。


 リオは、ソフィーが溺れていたところを助けてくれた少年だ。


 自分より少し年上であろうリオは、お日様のような髪と、青の瞳をもつ整った顔立ちの少年だった。彼が成長すれば、かなりの美男子になるだろう。


 前世、平凡顔で生まれた祐からすれば、とても憎らし…いや、羨ましい話だ。


 だが、自分も今世は母親似の可愛らしい顔に産まれたので、羨ましがる必要はないはずだ。


「もう元気そうだな」


 ソフィーの十分に回復した姿を見て、リオが安心したように朗らかに笑う。


「ええ。ありがとう、リオ」

「もうあんな浅い川でおぼれるなよ」

「うん、…ほんとね」


 リニエール家の敷地にあるプライベートリバーは本当に浅い小川だった。あれに溺れるなんて自分でも恥ずかしい。


(いくら前世、溺死して水が恐かったからっていっても、やっぱり恥ずかしすぎる。今度、泳ぐ練習しないと!)


 絶対カナヅチにはなりたくない、トラウマには負けない! と、強く決意する。ご令嬢が泳げる必要はまったくないという事実には気づかずに。


「でも、リオだって私のこと言えないじゃない」

「オレがなんだよ?」

「ちゃんと玄関から入ってきなさいよ。面会謝絶ってわけじゃないんだから。いくら二階でも、打ち所が悪かったら大けがよ」


 ちょうどいい木があるからと、二階のソフィーの部屋までよじ登って上がってくるリオに、ソフィーは小言を告げる。


「だって、こっちの方が早いだろう。それに、登るときに面白い話も聞ける」

「面白い話?」

「ここの一階はちょうど厨房だろ」

「ええ…」


 それは知っている。

 大抵、貴族の邸宅での厨房は地下が多い。しかし、この屋敷は父が母の保養目的のために急遽作らせたもので、二階建てで、地下が無く、厨房は一階に作られていた。


 王都の屋敷は地下一階、地上三階のかなり大きいものであることを考えれば、小さいほうだといえるが、父の爵位でこれだけの屋敷をたくさん持てるのは豪商の証でもあった。


「それがなに?」

「リニエール家当主、エドガー・リニエールは出世のために没落寸前の子爵家の令嬢をめとり、地位を金で買ったうえに、金で買った妻を体が弱いからと保養地に送り、自分は我がもの顔で社交界を満喫している、だとさ。ここの雑役女中達が噂していたぞ」

「噂話というのは得てして不穏なものが多いものよ。特に女性はそういう噂が大好きな生き物ですから」


 いいとこの坊ちゃんが、人の家のメイドの噂話なんて聞くなよと忠告してやりたいが、そこは令嬢らしく、ぼんやりと話をすり替えた。


「雑役女中とはいえ、もう少し品の良い者を雇ったらどうだ」


(そう言うあんたも、そこそこの身分なんじゃないの?)


 身分ある者が木なんて登るものじゃないわよ、っと言ってやりたい。だが、そこは一応命の恩人なので我慢する。

 それに、本当にそこそこの身分なのか真偽は分からない。


 何度か見舞いに来てくれている彼だが、どういう身分なのかソフィーは知らないのだ。着ている服は地味だが、見る人間から見れば分かる上質なものだ。お忍びで来ている貴族か、裕福な商人の息子か。


 両親が見舞いを承認しているだけに、おかしな身分でないことは確かだろうが、どこの家の出なのか、リオはソフィーに語らない。ソフィーも特段聞かなかった。リオは命の恩人。それだけで十分だ。


「ご忠告どうも。でも、女中頭もお母様の侍女も優秀な方だしとくに心配はしてないわ。この保養地はまだ来て数か月だから、女中頭も様子をみているのでしょう。さすがにお母様の耳には入ってはいないし。……でも、まぁあれを見てもそんな噂をするくらいなんだから、何を言ってもムダかしら?」


 “あれ”というのは、溺れたうえに寝込んだソフィーの知らせを聞き、二日はかかる道を、早馬を飛ばして一日で見舞いに訪れた父のことだ。


「ああ、あれはすごかったな」


 自分が寝こんでいる間も見舞いに来てくれていたリオは、父の号泣をその目で見ていた。


『ソフィー、お前とエナの身に何かあれば私は生きていけない! どうか父を置いて逝かないでおくれ!』


 ただ熱で寝込んだだけだ、殺さないでくれと言いたい。父の叫びがうるさくて半分覚醒しながらうなってしまった。


 前世では父親という存在がいなかったので比べられないが、わりとうっとう…いや、過保護だなぁと思う。


 そんな父の姿を見て、リオはかなり驚いたらしい。


 自分だってどこかで“金で爵位を買い、妻を保養地におくって社交界を悠々自適に渡り歩いている”なんて噂を聞いて、少なからずそうだと思っていたんじゃないだろうか。


「だが、あまり使用人に舐められると、家の格に係わるんじゃないか?」


 冗談交じりの声だが、言っていることはとても平民の言葉ではなかった。コイツ絶対貴族か、それに準ずる身分なんだろうなぁとソフィーは思う。


「まぁ、いいじゃない。噂は女の甘い蜜よ。甘い蜜と、秘密は女の美しさの秘訣、それを許容するのも紳士の度量だわ」


 適当な言葉で流そうと、前世、涼香が似たようなことを言っていたので、引用させていただく。


(あれ、私かっこよくない? 今のセリフかっこよくない?)


 ありがとう涼香姉さん! あなたの教育のお蔭で、立派な淑女になれそうです!


 もし、その場に前世の親友がいたなら『バカが、それは毒女の間違いだ』と訂正してくれただろうが、今世にはいなかったため、ソフィーの中での淑女は色々間違った方向に突き進んでいた。


 しかし、


「……お前、本当に六歳か?」


 リオに『それは成人並の令嬢の発言だろ』と言われ、ソフィーはヤベッと思った。


 どうやら涼香の言葉を引用するには、まだ年が早かったようだ。


(ヤバい、今までの発言とかも六歳の女の子としてどうなんだろう? ちょっと大人すぎる会話だった? どうしよう、普通が分からない!)


 前世を思い出してからは、祐の記憶に引っ張られて、どうしても六歳の女の子ソフィーの仮面が被れない。


 だが、大丈夫だ。こんな時は、涼香の魔法の言葉がある。


「女は六歳でも女なの! 子供扱いしないでちょうだい! もう、これだから男の子は!」


『もう、これだから男は!』


 涼香がこの言葉を発すれば、周りの男は大抵説教された小学生みたいな顔で視線を地面に落とす。なぜ怒られたのか分からない。だが、とりあえず怒られている。それだけは分かるから、これ以上怒らせないためにも目を合わせないようにしようとする。


 男を黙らす魔法の言葉だ。

 とくに、美女がこの言葉を使うと威力がある。


「わ、悪い…」


 案の定、リオも自分が悪かったのだろうかと困惑しながらも謝罪してきた。

 男は分が悪くなると、黙るか、なぜ怒られているのか理解していなくてもとりあえず謝るかの二択が多いと、涼香が言っていたが本当だった。


(ははは、私もそうだったんだろうな……)


 前世の自分もそうだったと、今は客観的に分かる。なぜか、ちょっとだけ悲しくなった。


「オレが悪かったから、機嫌なおせよ。そうだ、せっかく晴れているんだ、外に遊びに行かないか?」


 見え見えのご機嫌取りだったが、ソフィーは快諾した。


「私、市場に行きたいわ!」


 この地域は貴族の保養地として有名だからか、市場はわりとにぎわっている。数回、侍女に連れていってもらったことがある。あの時はあまりマジマジと見ることはできなかったが、果物や野菜がたくさん売られていた。市場なら、材料が買える。それでなにか作ってみたかった。


「市場? …まぁいいけど、テラスカフェもあるぞ?」


「そちらには興味無いわ。それより市場で買い物がしたいの! あ、でも子供だけだとダメって言われるでしょうから、誰か付き添い頼まないと」


 いくらリオと一緒でも、子供だけで行っていいとは言わないだろう。

 正直、面倒だと感じるが、ここは日本ではないから仕方なかった。


 こんな時、どうせ転生するなら近未来とか、未来ならよかったのにと思ってしまう。


(転生って、死んだ時代より先の時代に生まれ変わることだと思ってたけどなぁ)


 しかし、実際は未来ではなく、そればかりか過去ですらない世界だった。この世界は前世の地球とはまったく違う。世界地図や本で読んだ知識を結集して導いたそれは間違いではないはずだ。地球じゃない。けれど似た世界に生きている。とても不思議な感覚だ。


 前世の最後の旅行先であり、祐が息を引き取った国の数世紀前ぐらいに似ているところがちょっと皮肉だと思う。


(まぁ、似ているってだけで、まんまじゃないけど。……この不思議を考えると長くなりそうだからやめましょう)


 この辺を掘り下げようとすると、いつも同じ結論に達する。考えても、無駄という考えに……。


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