拝啓 天馬 どうやら私は男爵令嬢として転生したようですⅡ


「えっと、目的達成のためのプロセスは。まず、私は一人っ子だから、リニエール家の跡継ぎが必要ね。……これはお父様とお母様に頼むしかないわ」


 正直、前世の記憶を思い出す前までのソフィーなら、とても無理難題だった。


 なぜならソフィーの母、エナはとても体が弱かったのだ。ソフィーを産んだことすら奇跡だと言われているほどに。次の子を望むなど、死に値する行為だった。

 

 しかし、前世の記憶を持っているソフィーから見れば、母の体が悪いのは当然に思える。


 母は幼少期から体が強くなく、ほとんどをベッドで過ごす生活だったらしい。体が弱いため、社交界にもあまり出ることはなかったが、一度だけ出席したパーティーで、ソフィーの父であるエドガーと出会い結婚。


 結婚してからも、結婚前と変わらぬ養生生活。運動しない、食事が栄養不足、加えて日光にも当たらない。健康な人間でもそんな生活を続けていれば病人になるだろう。体が丈夫になるわけがなく、本当に子供を産んだことが奇跡だと思える。


 父はその奇跡だけで十分だと思っているのか、母に対して過保護だった。


 いま、ソフィーが住んでいる屋敷も、父が母のために保養地に建てさせた別荘だった。


 現在、男爵の地位を持つ父、エドガーは、元は爵位の無いジェントリの三男坊だった。

 貴族よりは下だが、農民よりははるかに豊かな生活を送り、お金に苦労することは無かった。


 昔は、貴族は働く必要が無く、働くのは恥という時代もあったようだが、父が青年と言える年になる頃には、そういった考えも薄れていた。


 三男坊であったため、家を継ぐことはできなかった父は、家からの融資で事業を始め、手がけた商会は他国との貿易で成功をおさめた。


 特段、出世欲があったわけではない。

 だが、一目ぼれした子爵令嬢の母を娶るため、金で男爵の地位を得て結婚した、という経緯がある。


 つまり、自分より遥かに地位の高いお嫁さんを、しかも一目ぼれして結婚した母に、父は大変甘いのだ。


 愛するのはいいが、過保護過ぎるのは毒だとソフィーは思う。前世の世界では“優しい虐待”という言葉がある。愛情という名のもとに起こる過保護や過干渉のことだ。なんでも、してあげればいいというわけではない。


「まず、睡眠の管理と、毎日朝は散歩で運動して、日光浴びて、ラジオ体操でも一緒にしようかしら。あと、血行が悪いところのマッサージ。そして――――」


 忘れていけないのは食事だ。


 この世界の料理は、調味料が少なく、料理方法も焼く、煮るのどれかしかない。


 ソフィーは確かに現在オーランド王国という国に産まれた娘だ。しかし、前世の記憶がある以上、どうしても食に対しては“日本人”が出てしまう。


 施設で育った祐は、親がいる家庭よりは食べられるものが限られていた。


 だが、祐には、天馬という友人がいた。


 天馬は家を継ぐことは無かったが、両親は医者で、とても大きな家に住むボンボンだった。そして、天馬も、彼の両親も、彼の姉である涼香すずかもかなりの美食家だった。


 幼い時は、それがどれほどの価値なのかもしらずにご相伴にあずかっていた。


 結果、祐はかなりの食道楽に成長してしまったのだ。大人になって、自分で稼いだお金で食料を買おうとしてやっと食べてきた食材の高さに気づいたのだが、気づいた時にはもう戻れなくなっており、祐の給料は生活費と貯金以外はすべて食費になった。


 使ったことのない食材、調味料で料理を作るのは楽しかったし、買ったからには全て使い切るために、料理のレパートリーもかなり多くなっていった。


 いつからか自分でも覚えていないが、祐の趣味は料理になっていたのだ。


 これは、天馬の家に遊びに行けば、二つ上の涼香が、祐に料理やお菓子の作り方を教えてくれたのも大きい。男も料理できないと! と豪語する彼女に習うのは楽しかった。


 そのうえ、涼香は天馬によく似た美女で、こんな美女に教えてもらえる機会なんて早々無いと、必死に覚えたからか、腕はかなり早く上達した。


 美味しいモノにあふれていた日本。なんでも手間を掛けてでも食べようとする、食に対する執着心が強い日本人。ソフィーには、その日本人の記憶が強い。


「タベモノ大事」


 食に固執するのは令嬢としてどうかなんて関係ない。食は生きる生命の源なのだ。


「よし、行動するべきは、まずは調味料かしら?」


 こんな時、自分の父親が商いを行っているのがあり難い。


 現在、保養地ではなく、仕事の為家族と離れて王都の本宅で過ごしている父に、材料を用意してもらおう。父なら、他国の珍しいものを手に入れることができるはずだ。


 実は昨日まで溺れて寝込んだソフィーを心配して、王都から来てくれていたのだが、今は安心して帰ってもらっている。帰り際、欲しいものがあればなんでも言いなさいと言っていたから、おねだりする絶好のチャンスだ。


「この世界に普通にあるのは、塩とコショウくらいかしら?」


 まずはあるもので美味しいものを作り、母に食べてもらおう。そして、その後は欲しい調味料を作ろう。


 人それぞれかもしれないが、祐の三大調味料は醤油・味噌・酢だ。


 酢は葡萄酒があるのだからきっとあるはずだ。なければ作ればいい。

 醤油、味噌も、大豆はこの世界にもあったから、作ろうと思えば作れるはずだ。一から作るとなるとかなり難しいがなんとか可能だろう。いや、可能にしてみせる!


「でも、味噌はオーランド王国では調味料として定着するかしら?」


 何を作るにしてもゼロからのスタートだ。


 個人で楽しむだけのものでは資金がいくらあっても足りない。それなら、母や自分だけのものではなく、売ることを前提に動きたい。

 身になりそうなら父も出資してくれるかもしれない。


 味噌は体にいい。味がそぐわなければ、その時は薬膳スープとして売るのもいいかもしれない。


「鰹節も欲しいなぁ」


 カツオという魚はオーランド王国では聞いたことが無いが、似たようなものがあればそれでいい。焙乾して作ろう。


(うん、頑張ればなんでもできる気がしてきたわ)


 俄然やる気が漲ってくる。仁王立ちして不敵な笑みを浮かべていると、バルコニーの窓を叩く音が聞こえてきた。驚いて近づくと、窓の外に一人の少年が立っていた。

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