第2話 シークヮーサーキャンディ
「おい、君」
いかめしい声で、お巡りさんに声をかけられ、びくりとして固まりました。
「また駄菓子かね。
菓子を買うのは勝手だが、妙なものをロボットに与えるようなことはしてはならんぞ」
私はおずおず、右手をさしだして開き、ついさっき駄菓子屋さんで買ったものをお巡りさんに見せました。
「ふぅん、キャンディか。
まあ、溶けてなくなるようなものなら問題はないが、そうでないものは決して与えないように。機構に悪い影響をあたえかねんからな」
こわさに圧されるようにして、頭をさげてお巡りさんのもとから離れます。
今にして思えばお巡りさんは、毎回、そうやってお菓子をあらためられてそそくさと去る私の背中へさらになにか言葉をかけようとされていたような気がします。
当時の私は、とにもかくにも叱られるのがただ恐ろしく、なにか案じられているかのような声色をはっきりと感じることはできませんでした。
ロボットは、普段と変わらずそこに立っておりました。
ひょろ長い身体と手足で所在なさげに立ちつくし、くすんでブリキそっくりの肌をさらして、ちぃん、ちぃん、と
格好がよくないと、いえ、それを通りこして、痛々しく。
いいえ。恐ろしくすら見えました。
それでも私はロボットの前に立ち、その顔を見あげました。
立ってひたすら鉦を鳴らすロボットの顔はひどく
目には
ものを見るのではなくて、霊氣を
耳のあるべきところには不格好な金属の箱が、左右にふたつ付いています。
ふつうに音を聴く耳ではないそうです。ロボットが奏でる楽器の調べを確かめるだけの耳。その音の波を照り返しをもとらえて、周辺の霊氣や物の存在や形を知ることもできるとも習ったことがありますが、やはり人の耳とはほど遠いということです。
鼻はいちばん不格好でした。人でいえば鼻のあるところには、大きな絆創膏でもでたらめに貼りつけたように、歪んだ金属の板が鋲で止めてありました。
息を吸ったり吐いたりする必要なんてないと、わざとらしく示されたように。
いちばん人に近いところが、口でした。
やはり金属のあごとくちびるとに囲まれた、機械のすき間そのものの穴でしたが、大きさ、形は、人の口にそっくりでした。
口のはじっこやあごの付け根は、たくさんの細かい部品でできていて、人とかわらず開け閉めできるのではないかと思えました。
私は、右手を開きます。
お巡りさんに
キャンディの包み紙を気をつけながら剥いてゆくと、黄緑色の、ビー玉のようにきれいな球が顔を出します。
シークヮーサーキャンディ。
これを始めてから、今日で五カ月、これで六個目。
どんな味がするのやら。シークヮーサーなどという果物を食べたこともなく、口にできる見込みすらなかった当時の私には、見当もつきませんでした。
意を決して、キャンディをつまみ、その手を上へとのばします。
思いきり背伸びをして、なんとかちゃんと届くようにと。
金属でできた、口元へと。
キャンディをロボットの口のなかへ放りこむ。
何度やってもそのときは、胸がいっそ止まるのではと思うほどに、どきどきと締めつけられるのでした。
うんと伸ばした指先を、あたたかく湿った空気が包みます。
まるで、人の息のように。
ほんの少し、ほんとうにほんの少しだけ、親指の先が、あたたかく、やわらかく、ぬれたものに触れました。
人の舌が口の中でまだ生きてでもいるかのように。
それだけと言えばそれだけです。
金属におおわれたロボットの顔はなに一つ変わることはありません。
シークヮーサーキャンディは、どんな味がしたのでしょうか。そもそもこれが、シークヮーサーキャンディというものだとわかったでしょうか。
心配はつきませんが、ほかに仕方がないのです。駄菓子屋さんにたずねても、「し」で始まる名前のキャンディはほかにないとのことでしたから。
先月、ロボットの口にはこんだ綿飴で、わかってくれると期待するしかありません。
これまでに買って、ロボットの口へと入れたキャンディを思い出します。
オレンジキャンディ。
トウモロコシキャンディ。
シークヮーサーキャンディ。
来月は、なんのキャンディを持ってくれば良いのでしょう。
「は」ではなく「わ」で始まる名前のものがいいと決めはしましたが、それに当てはまりそうなものはなんでしょう。
あのうろんなワッフルキャンディくらいしか思いつきません。
そんなものを口にして、ワッフルの味とわかるのでしょうか。キャンディの名前がわかるのでしょうか。
その次はさらにむずかしい。もうこれは
これもうろんな、どんな味がするかもわからぬものだとしても。
その次に買うつもりの
最初に口へ入れてあげたオレンジキャンディと、はたして区別がつくものでしょうか。
せめて、味をいろいろ確かめられたなら。
学校のほかの子たちのように、いろいろなお菓子を買って、どんな味がするものか、お巡りさんに怒られないよう、ちゃんと跡形なく溶けるものか。
いいえ。
そんなことができるほど、うちが豊かな家であれば、そもそもこんなことをする必要などなかったのです。
こんな無惨なロボットのもとに通うことなどなかったでしょう。
こんな場所の片隅に、さらし者のように立たされ、鉦を叩かされるようなロボットだなんていなかったでしょう。
でも、すべてが仕方ないのです。
もうすべてが遅いのです。
目も耳も鼻もなにもかも、人のころとは変わり果てたロボットに私がせいぜいできることなど。
唯一、元のかたちを保っている、舌のうえに、キャンディをのせてあげること。
キャンディの味から名前がつたわって、それが文字に、便りになって、このブリキの殻のなかへと届くこともあるのではないかと、そう信じることぐらいだったのです。
じわりと、ロボットの顔がゆがみます。
目をつぶって涙をしぼって、ゆがんだロボットのやせた顔が、人間の顔にもどるような、そんな幻をふり払いました。
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