第5話

 周りの奴らの視線が痛い。この研究室に一歩足を踏み入れた瞬間からすんごいジロジロ見られて、マジでだるい。俺には敵意がむき出しで、隠そうともしていない。


 隣のマヒロさんには好奇の視線が集まっているようで、マヒロさんは俺の左腕にぎゅっとしがみついた。やだよなこんなキモい奴らに見られんの。さっさと弐瓶教授の部屋に移動したい。もしくは次回からは俺が弐瓶教授を呼び出す方向性でいいじゃん? 二人きりになれるホテルなんてどう?


 俺がにらみつけたら、姫の護衛の者どもはこの俺に噛みついていくほどの度胸はないらしく、視線を外された。まあ、俺の姿を見て喧嘩を売ってくるやつなんて一握りしかいないし。身長があってよかった。これでチビだったら完全にナメられていたのだろうな。こういう時は体格に恵まれていてよかったなって思うよ。暴力には頼りたくねぇし。穏便に、平穏な人生を送りたいもん。できることならね。


 「どなたですかー」


 コンコンとノックすると、女性のテンション低めの声が聞こえてくる。俺が「お約束していた、参宮です」と答えれば「どーぞー」と音程を変えずに返してきた。研究室に来いって呼び出したのは弐瓶教授のほうなのに、いくらなんでもテンションが低すぎない? 約束の時間の五分前、常識の範囲内で来てやったってのに。


 「失礼します」


 「します」


 俺を真似て頭を下げるマヒロさん。顔を上げれば、弐瓶教授が「あんれ? 彼女同伴でいらっしゃるのん?」と首を傾げるシーンが目に入った。


 相手にその気はさらさらないのに、そのチワワみたいな潤んだ瞳に見つめられるとドキッとした。かわいいな。


 純粋な日本人の顔立ちなのに、水色のショートボブが不思議と似合っている。噂のでかい胸は白衣のボタンが閉じられていてこれっぽっちも拝めないのが残念だけれど、こりゃあみんな惚れるわけだよ。これで彼氏がいないなんて嘘だろ。


 マヒロさんは「我は四方」と旧姓を言いかけて「参宮マヒロだぞ!」と言い直す。再婚相手だった父親は死んだから、四方谷だとしても間違ってはいないけれど。


 四方谷だった時期って元旦那の八束了と結婚する前になるのだからかれこれ六年前とかではないの? 今更言い間違えることある……? いやまあ、最近は四方谷家で暮らしているからそちらに引っ張られたってことにしておこう。


 「お姉さん?」


 真尋さんが二十六歳で、俺が十八歳だから『姉』もありうる年齢ではある。

 不正解だ。


 真尋さんと俺の関係性を、四方谷さん家の娘さんと親戚の子だと勘違いした近所の人がいたのを思い出した。言わないとわからないよな。


 「我はタクミのガールフレンドだぞ!」


 ん?


 「ふーん?」


 マヒロさん、今『ガールフレンド』って言いませんでした? 違うだろ? 弐瓶教授も疑問符を浮かべている。


 「我も弐瓶教授の研究に興味があって、こうしてついてきてしまった。タクミのほうから伝えておくべきであったなら、非礼をお詫びしよう」


 「いあいあ、遊びじゃなくて勉強の一環として学内の子が学外の子を連れてくるぶんには問題ナッシン」


 「それと、こちらが弐瓶教授の好物と聞いて、買ってまいりました」


 「これはこれは! 私の大好きなドーナツ! わざわざどうもどうも! ありがたくいただいちゃうよーん!」


 俺の混乱をよそに、女性二人で会話が進んでいく。ガールフレンド……俺と、マヒロさんが?


 「んで、参宮真尋さんって、行方不明になっていたっていう参宮くんのおかあさんよねん? 義理の」


 マヒロさんからドーナツを受け取り、一回箱を開けて中身を確認して表情を綻ばせたのに、箱を閉じたらその顔つきを一変させた。ご存じでしたか。


 「そうですよ? さっき『お姉さん』とおっしゃったから、知らないのかと」


 「私もやられっぱなしは嫌だから、参宮拓三の過去を調べちゃったよーん」


 参宮拓三の過去かぁ。


 どのことを調べたのだろう。


 「俺は教授ほど有名人じゃあないんで調べんの大変だったんじゃあないすか? というか、忙しいってのにご苦労さまですね」


 「ご謙遜をー」


 「タイムマシンを作って、過去に遡り、一色いっしき京壱けいいちの自殺を止める。――そのために研究してんのに、俺みたいなのに構っている暇あるんですか?」


 弐瓶教授がタイムマシンを作る理由。


 それは、幼馴染みの一色京壱の死をなかったことにするため。


 高校二年生の時にいじめを苦にして屋上から飛び降りた少年を説得する。過去起きてしまった出来事に未来から介入しようって魂胆なのだろう。

 それって成功するのかな。

 俺は思うのだけれど、未来に弐瓶教授がタイムマシンが完成させたと仮定するじゃん。タイムマシンに乗って過去に飛んだところで、一色京壱の死が覆りはしないのではなかろうか。


 だってさ、自殺が失敗して一色京壱が生き延びたとしたら、弐瓶教授がタイムマシンを作る動機そのものがなくなってしまうわけじゃん。その時の女子高生の弐瓶教授だって、一色京壱に対して何もしなかったわけではない、と思う。現在のお姿の弐瓶教授が働きかければ自殺を諦めるかもしれないけれど。セクシーな美女に言いくるめられたら踏みとどまるでしょ。その胸を揉ませるとか、一回ヤるとか。……本人に言ったらキレられるかな。


 「うーん、ぶっちゃけ、そんな暇はないけどけど」


 「じゃあ、今日わざわざこんな僻地に俺を呼び出したのは『これ以上私の過去に踏み込むな』って、直接言うためですか?」


 腹いせかな。生理前?


 嗅ぎ回られるのがそんなに嫌だったのなら、謝ってもいい。どうする? 土下座する?


 「私の、っていうか、真尋さんとの、っていうか」


 俺とマヒロさんを交互に見てくる。まさか本人もついてくるとは思っていなかったのだろうか。


 「何もなかったですよ」


 間髪入れずに答えてしまった。間を開けると、相手に対して心を閉ざしてしまったような印象を与えてしまう。かといって今のようにすぐさま返してしまうのも、怪しまれる。


 こういう人間には、……勝手に探らせておけばいい。お節介な人間がたまーに現れて、俺を〝可哀想なやつ〟と決めつけてくる。そう思いたいんなら、そう思ってくれればいいさ。人の過去に踏み込んできて、必要以上に同情してくれる。


 そう見えるんなら、俺もトラウマを抱えて生きているように振る舞っておこう。そうだよ。俺は可哀想な男なのだから。でかくて強そうに見えても。見た目はそう見えるだけでさ。中身は弱っちいから。いや本当に。


 「何も?」


 「ええ」


 やましいことなんて、何もない。


 過ぎ去った日々の暗い思い出なんて、忘れてしまえばいい。あの事故でひいちゃんが犠牲となってしまったのは許せないけれど、逆に言えばそれぐらいだ。綺麗な記憶だけを思い出したい。俺がこの手を汚さずに父親が死んでくれてよかった。俺が欲しいものは無償の愛だけれど、あの家族からは手に入らなかったし。


 俺自身の人生は周りの言葉でかたどられて、俺自身には何もない。何もないから、これからは自分の意思で自分が進むべき道を選び、自分らしく生きていく。祖父母はサポートしてくれるし。


 「真尋さんとの間の子どもについて」


 今、俺、舌打ちしなかったよな。無意識にしていたらどうしようか。治さないと。しらを切り通すつもりだったんだけれど。というか、なんで。弐瓶教授が知り得る情報ではなくないか。


 ……あいつか。あいつだな。手術したあいつ。なんて名前だったかな。男の名前は興味ないから覚えていない。産院の、院長。役柄さえ覚えておけば、名前なんてどうでもいい。


 ていうか、赤の他人から聞かれて答える医者もどうかと思うよ。弐瓶教授が美人だから口を割ってしまったのかもしれない。それなら仕方な、仕方ないわけあるかよ。秘密裏になんとかできねェかな。


 結局のところ人類は滅ぼすのだから、さっさと抹殺しておけばいいじゃん。死んだやつからは聞き出せないから。これ以上口を滑らせていただくと困るよね。俺がウソをつかないといけないから。


 「その場にいなかった教授にはわからないでしょうけど、俺は真尋さんに迫られたんですよ。俺〝が〟被害者なんです!」


 隣のマヒロさんは否定も肯定もせず、ただただニコニコとしていた。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。……なんとか言ってくれよ。マヒロさんのほうからもさ。


 「どうしてみんな、俺が悪いみたいな目で見てくるんですか?」


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