【二〇一七年四月十日】

 俺が真尋さんとひいちゃんに初めて会ったのは、高校の三年生に進級して間もない、春休みが終わってからの始業式のその日だった。アパートの正面玄関に植えられた桜は、すっかり葉桜になっている。よその地域はどうだか知らないけれど、東京の桜は三月中に咲いて散ってしまうもんだから入学式には間に合わない。


 玄関には父親の履き潰されたスニーカーと、父子の男二人暮らしではまず自宅でお目にかからないようなクリーム色のパンプスと、手のひらほどのサイズのスニーカーが置かれていた。俺の覚えている限りで初めての出来事だったから、変に緊張したのを覚えている。自分の家に帰ってきただけなのに。自分の家ではないみたい。


『好きになってもらわなければならない』


 真尋さんを一目見て、そう思った。この気持ちこそが、自我が芽生えてからこの年齢に育ってしまうまで俺に足りていなかった〝家族愛〟という概念なのだとすれば、この機会で絶対に手に入れなければならない。この一瞬で断定してしまった。確信があった。


 けれども、あちらから向けられていたのははっきりとした拒絶だ。あの綺麗な形をした目が恐怖の色に染まっていた。一生忘れない。


 一般的な常識に照らし合わせて、客観的に状況を鑑みれば、再婚相手に息子がいて、なおかつその再婚相手と自分との年齢よりも息子とのほうが年齢が近くて、自分の体格よりも一回りは大きいだなんて、受け入れるのには時間がかかるだろう。


 まあ、真尋さんに限らず、第一印象が最悪なのは特に女性相手ではよくあるパターンだから仕方ないとはいえ、傷が癒えるのにはそれ相応の時間がかかった。


「あの……この人は?」


「息子の拓三だよ」


「息子さん?」


「あっれぇ。話してなかったっけか」


 旦那と俺の顔とを見比べる真尋さん。


 そのまあるい瞳を交互に揺らしていた。




「どうも。父がお世話になっております」


「それは違うんじゃあないか?」


 俺という存在を真尋さんに隠していた父親にも問題があるだろ。


 時間をかけて理解していただけるまで俺の存在を真尋さんに説明してくれていれば、初っぱなから俺が拒絶されることはなかっただろうに。共に暮らしていくのに、俺の存在は無視できなかったはずだ。


 俺との初対面一日目が真尋さんたちにとっての一日目にしてしまうのではなく、別のところで会わせておくとか、四人で出かけるとか、あるじゃん。


 あるいは俺をこの家に置き去りにして、後妻さんとひいちゃんと共に三人で過ごすための住み処を別の場所に用意してほしかった。それはそれで俺が困るな。


 もしくは俺を追い出す先を用意しておくとかさ。


 やり方はいくらでも考えられる。そこまで頭が回らなかったのか、それとも、この短絡さこそが〝恋〟というものなのか。


「おかあさん」


 俺が呼びかけると、真尋さんはわかりやすくうろたえてくれた。お手本通り、辞書に一例として載せられそうな『うろたえる』だと思う。父親との再婚相手なら俺にとっての『おかあさん』に違いないのにさ。なんでまたそんな反応するのかな。


 血のつながった肉親の行動は、巻き込まれるだけの俺には到底理解し難い。


 とはいえ思考は放棄せず、父親の行動が完全に誤りであったと決めつけるのではなく、俺なりにこの時の父親の行動が正しかったのかを考えた。


 ポジティブに捉えた時は『彼も彼なりに、俺の中に存在しない〝母親〟を埋め合わせようとしてくれていたのではないか』と。


 逆にネガティブに解釈した場合は『後妻さんとの〝愛〟を何よりも優先して、自分の付属品たる息子のことは忘却のかなたにあって考慮していなかった』という結論を導き出した。


 後者のほうが可能性は高いけれど、この世にただ一人と表現しても過言ではない肉親父親に対してこの言葉を当てはめるのは躊躇われるので自重しておこう。


 前者なのだとすれば遅すぎる。俺がまだ思春期にも入っていないほど若く――ひいちゃんと同い年ぐらいの、五歳の頃であればともかく。そうすりゃあこんなでかい図体にもなっていない。真尋さんをびびらせることもなかっただろうに。


 ひょっとして、俺のほうが気を利かせてあの家を出て行けばよかったのか? ……いや、なぜ俺が追い立てられないといけないのか。意味がわからない。高校三年目って時期にか。


「おにいちゃん!」


 父親と真尋さんとの大恋愛に巻き込まれた(俺と同じ)被害者であるひいちゃんは最初から俺を『おにいちゃん』と呼びかけてくれた。幼いなりにこの複雑な空気を感知して、聡い行動をしてくれたと思う。この行動のおかげでその場は一旦お開きとなって、それぞれが思い出したように散り散りとなった。


 この時はまだ。


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