大キライを百回並べた。

はじめアキラ

大キライを百回並べた。

 あたしはずっと、霧人きりひとのことが嫌いなんだと思っていた。

 理由は単純明快、あいつを見ていると無性にイライラするからだ。


 元々、あたし達の関係を言うなら幼馴染ってやつだったんだろう。というのも、あたしのお母さんと霧人のお母さんが、いわゆる親友ってやつだったからだ。同じ年に生まれたあたし達を連れて、二人のお母さんは一緒にご飯を食べたり遊びに行ったりを繰り返した。まあそうなれば、あたしと霧人が一緒に遊ぶ機会も増えるというわけである。――お父さんによく似て成長が早く、背が高くて力もあったあたしが、しれっと幼稚園前の霧人を泣かせることも少なくなかったようだが(さすがにそこまでは覚えてない)。

 あたしの記憶にある最初の霧人は、幼稚園に入ってからのものだ。

 相変わらず霧人はチビで、あたしは大きくて。ガキ大将も、あたしに喧嘩を売ってくるようなことはそうそうなかった。まあ、デカくてパワフルな女に喧嘩売ったら最後、泣かされるのがどっちかなんて火を見るより明らかだったからだろうが。

 で、反面霧人はちっちゃくて女の子みたいに可愛くて華奢だったので、悪ガキどもに目をつけられては玩具を取られ、道具を取られ、お絵かきの絵を笑われてと散々な目にあっていた。そいつらのところに飛んで行ってゲンコツを食らわし、制裁してやるのはあたしの役目だったわけだ。

 このか弱い生き物は、あたしが守らなくちゃいけないと思っていた。

 泣きながらあたしの服の裾にしがみついて、ありがとう、っていう霧人はめちゃくちゃ可愛かったし、守ってやりたい存在だった。

 まあ、いじめっ子を成敗するやり方が結構乱暴だったので、幼稚園の先生にはしょっちゅう呼ばれて叱られていたわけだが。


『……りんごちゃん、ごめんね』


 そんなあたしを見て、霧人はいつも申し訳なさそうな顔していた。


『ぼくを助けるためなのに、りんごちゃんがいつもわるものにみたいに先生にしかられてる。ぼくが、あいつら自分でやっつけられたら、りんごちゃんがしかられなくていいのに』

『気にするなよな、きりひと』


 おかしな話だが。あたしは、霧人を守ることに使命感を感じていたし、充実もしていた。これは自分だけの特別な役目だと、いわゆるお姫様を守るナイトのような気分になっていたわけだ。

 だから霧人の話を聴いて、ちょっと困ると思ったのだ。だって。


『きりひとがつよくなって、あたしがいらなくなるほうが困る』


 霧人が自分で悪ガキと戦えるようになったら、あたしはお役御免だ。あたしはずっとこのままがいいのだ。自分勝手な感情だが、あたしはそう思っていたわけだ。


『だからきりひとはよわいままでいいんだ。あたしがずっと助けてやるんだからな』

『りんごちゃん……』


 そんなあたしの言葉に。果たして霧人は、どう思ったのだろうか。




 ***




 別に、男の子が女の子に守られたら恥ずかしいなんて、そんなことはないと思うのだ。

 ましてや小学生のうちは、女の子の方が成長が早くて力が強いことも多い。四年生になったうちのクラスでも、圧倒的に男子より女子の方がパワフルなのが現実だ。男子にも一人だけ背が高い奴はいるが、そいつもまだひょろひょろだし、男女混合で背の高い順に並べば前の方は全部女子になる。綱引きを男女混合でやったら、同じ人数なのに女子の圧勝だったほどだ。

 男が必ず女を守らなければいけない、なんて時代錯誤である。女の方が強いなら女が男を守ったっていいし、料理とか裁縫みたいな細かな作業が得意なら男がやったっていい。小学生ながら、あたしはあたしなりにジェンダーってものを真剣に考えていたというわけである。

 でも。

 今、あたしの傍に霧人はいない。久しぶりに同じクラスになれたのに、あたしは意図的に霧人から距離を取っていた。今のあいつが好きにはなれなかったからだ。


「何で好きじゃないの?」


 お昼休みの時間。親友の桜が、きょとんとした顔であたしに問う。


「話聴いてると、幼稚園の時の林檎りんごちゃんと霧人君って結構良い関係だったように見えるんだけど?だって、霧人君が大事だから守ってあげてたんでしょ?」

「……そのつもりなの、あたしだけだったみたいだからさ」

「どういうこと?」

「あたしは、あいつに強くならなくてもいいって言ったんだ。あたしの傍にいたいならそうしろって。でも、あいつ、久しぶりに会ったらさ……」


 小学校に入ってクラスが違ってしまうと、どうしても顔を合わせる機会が減ってしまう。あたしが住んでいるマンションと霧人が住んでいるマンションは通学班が分かれてしまっていたから余計にだ。

 久しぶりに会った霧人は、あたしが思っていたよりずっと“男の子”になっていた。サッカークラブに入って、本格的にサッカーを始めたからというのもあるのだろう。

 ボブカットくらいだった髪がすっきりしていて、背もあたしほどではないけれど高くなっていた。サッカーをしているからか腕はともかく足には綺麗に筋肉がついていてちょっとだけかっこよくなっていた。

 幼稚園の時はすぐかけっこで転んで泣いていたくせに、今は体育の授業で短距離走をやると、自分より体の大きい男女をするすると抜いていく。

 極め付けが、この間階段の下で見た出来事だ。


『てめえ!カントクに褒められたからって調子乗ってんじゃねーぞ!』


 かつて、どこかで見たような光景。霧人が体のでっかい六年生に絡まれていた。文字通り胸倉を掴まれて、一触即発といった様子である。

 会話の内容からして、同じサッカークラブの子なのだろう。今回こそあたしの出番だ、助けてやろう――そう思った次の瞬間。


『それこっちの台詞。人の足引っ張っといてからんでんじゃねーよばーか!』


――え、今の、霧人が言ったの!?


 あたしはきょとんとしてしまった。あんな風に怒鳴られたら、いつも泣きながら謝り倒していた霧人が。自分よりずっと強靭な男子に向かってガンつけたあげく、その頬に見事な右ストレートを入れたのだった。

 それがあまりに鮮やかな流れで、一瞬見惚れてしまったのが悔しい。でもって、そこからはお互いにボコボコとなぐり合って、あたしが我に返って止めるまで喧嘩が続いてしまったのだが。


『あ、危ない真似すんなよ馬鹿!怪我したらどうすんだ、相手はお前よりずっとでけーんだぞ!』


 あたしが注意すると、霧人は擦り傷だらけになりながら笑った。


『平気。俺はもう強いから。林檎に守ってもらわなくても大丈夫なんだぜ』


 その笑顔を見た時、あたしはうまく言えないけれど心臓が破裂しそうになって、ばっと彼の手を離してしまった。勢い余って霧人が尻もちをついてしまうのも厭わずに。

 何なんだ今の感覚、と思った。そしてその答えを考えるより先に怒りが来た。林檎に守ってもらわなくても大丈夫、とはっきりこいつはそう言ったのだ。それってつまり。


『……つまり、あたしはもういらねーってわけか』

『は!?え、そ、そうじゃなくて』

『もう知らねえ!お前はあたしの半径3メートルに近づくんじゃねーぞ、ばーかばーか!』


 で、距離を取ってしまい。今に至るというわけである。

 あのバカは想像以上に律儀だった。授業とかで必要な時を除き、本当に半径3メートル以内に近づいてこなくなったのだから。

 いや、先にあいつから離れたのはあたしだけれど、それでもモヤモヤする。何か言いたいことがあるならはっきり言えと思うし、そのくせあたしから距離を取っている状態なのに他の男の子とや女の子とは楽しそうに話している。

 イライラ、イライラ。そうあいつを見ていると、イライラしっぱなしだ。だから。


「あたしは、本当は霧人のことが嫌いだったんだ、最初から。そういう結論が出た」


 のんびりしていて聞き上手。あたしとは正反対な性格の桜には、何でも相談してしまうし愚痴ってしまう。


「嫌いだから、あいつを見ていると苛々するしムカつくし、殴ってやりたくなるんだ。近づくと妙に胸がざわざわして落ち着かなくなるんだ。きっと本当は幼稚園の時から嫌いで、でも仕方なく守ってあげてたのにそれを反故にされて……だから腹が立ってるんだと思うんだ」

「……うーんと」


 ひとしきり吐き出したところで。桜は何故か、ものすごーく微妙な顔をした。どこか明後日の方向を見るような、困り果てたような。

 なんだその、餅でも喉につまったような反応は、と思っていると。


「林檎ちゃんってさ」

「うん?」

「結構、鈍い?」

「はあ!?」

「いやあ、知らなかったな。ていうか、林檎ちゃんにも結構女の子なところがあったんだなー。これは新しい発見だ。うん、興味深い」

「それはどーゆー意味だよ!」


 あたしのどこが女の子っぽいというのか。スカートは履かないし、あぐらは掻くし、喧嘩すると口より手より先に足が出るし、喋り方は乱暴だとしょっちゅう注意されるし、おしとやかじゃないし、料理も裁縫も苦手だし。

 あたしがクエスチョンマークを飛ばしまくっていると、桜が察したのか“そういう意味じゃないよ”と続けた。


「あのさ、イライラするのって相手が嫌いな時だけじゃないんだよ。好きな相手が、自分の思った通りの行動してくれなかった時もイライラするの。ていうか、林檎ちゃんが霧人君にイライラするなーって思うようになったの、その喧嘩シーン見てからじゃないの?」

「そうだけど、それが?」

「一番腹が立ったの、霧人君は自分はもう必要ないって思ったのが悲しかったからじゃないの?」

「そ、それは向こうがあたしの気持ちを無視して一人で喧嘩しやがったからで」

「で、霧人君ってさ、わりと思ったことなんでもはっきり言うタイプだと思うんだけど……その霧人君が何も言わないで律儀に3メートル離れたまんまなの何でかなって。……向こうも、これ以上林檎ちゃんに嫌われたくないからじゃないの?」

「え」

「霧人君のことが本当に嫌いなら、離れてくれてたらすっきりするはずなのに。林檎ちゃんはいっつも霧人君のことを気にしてるし見てる。自分から離れたのに、離れてるのが辛いみたい。で、霧人君が他の子と楽しそうにしてると、余計イライラするみたい」


 それってさ、と。

 彼女はにっこり笑って、爆弾を投下したのだった。


「それって、嫉妬してるってことじゃないかなあ」




 ***




 ふざけんな、と思う。桜の奴、他人事だと思って面白がりやがって、と。

 それでも結局あたしが、彼女に促されるまま霧人を探した理由は一つ。あたし自身、いつまでもイライラしてるのが嫌だったからだ。

 その原因を、ちゃんと突き止めて解決したかったからだ。


「おい、霧人!」

「え」


 そして、下駄箱で靴を履き替えようとしていた霧人を見つけて呼び止めた。あたしは霧人を睨みつけて“ちょっとツラ貸せ”と言った。すると霧人と一緒にいた別の友達の方が震えあがった。――今のあたしはそんなに怖い顔をしているのだろうか。


「ごめん、ちょっとまっちんは先に行ってて」

「う、うん。霧人、生きて帰れよ」


 おいそれどういう意味だ、とあたしは腐りたくなる。死亡フラグも同然の台詞を吐いて、霧人の友達はどっぴゅー!と逃げるようにグラウンドに走り去っていった。

 後には霧人とあたしだけが残される。


「……3メートル離れろじゃなかったのか。今、結構近いけど」


 霧人がおそるおそるといった様子で言う。なんだその探るような眼は、とあたしはますます腹が立った。


「今だけはいい。……あたしはお前に文句を言いに来たんだ」

「はあ?俺、林檎が言う通りにずっと離れてたじゃん」

「それでも駄目だったから困ってるんだ。お前が離れてるのに、お前を見るといっつもムカつく!お前が一人で喧嘩して、あたしのことなんかもういらねーみたいに言ったのもムカつく!」

「はああああ!?」


 そのまま。あたしは桜に話したのと同じことを、霧人にマシンガンのようにぶつけた。ずっと我慢していた分、ダムが決壊するかのような勢いだった。きっとあたしと同じように霧人もイライラし始めるだろう、とそう思っていたのである。

 ところが。


「え、えっと……」


 霧人の方は。話せば話すほど、なんか顔が赤くなっていくような。何故だ。


「その。俺、お前が必要じゃないなんて言ったつもりはないんだけど。……幼稚園の時、お前ばっかり先生に叱られるのが嫌だったから。だから、お前じゃなくて自分が叱られるようになるためには、お前に迷惑かけないためには自分で強くなるしかないと思っただけで……。その、お前が助けてくれるのが嫌だとか、そういうわけでは」

「え」

「本当は格闘技やりたかったけど、反対されたから。体を鍛えるためにサッカー始めたんだ。運動神経良くなれば、その……俺が、お前を守ることもできるかもしれないし、だから。そっちで一緒にいられた方がかっこいいかなんて思ってたんだけど、も」

「……あたしのため?」


 何だそれ、とと呆然とするあたし。霧人の声が、どんどん小さくか細くなっていく。


「……嫌われたくなくて、言う通りにしてたけどやっぱ嫌だ。その、林檎が嫌だってならもう一人で喧嘩しないから、だから」

「うん」

「だから……3メートル、解禁してもらっちゃ、だめかな」

「…………」


 あたしなんかより、お前の方がよっぽど恋する乙女みたいじゃん、とツッコもうとした。

 ツッコもうとして言えなかった。言うのが恥ずかしかった。その瞬間、あたしの中でも答えが出てしまったがために。

 いや、本当はとっくにわかっていたのに、見て見ぬフリをしていただけだったのだろうか。


「……あのさあ」


 彼と離れた理由。

 それは嫌いだったからじゃなくて、あたしが彼を嫌いだと思い込んだからで。


「お前、馬鹿じゃん。……あたしもだけど」


 じゃあ、彼と近づく理由は。

 もう一度そうする理由があるとすれば、それは。


「……仕方ないから、一緒にいてやる!霧人が可哀想だからな!」

「……何言ってんだよ、泣きそうな顔してるくせに」

「うっせ!」


 幼稚園の頃よりも強い力で、霧人の額にデコピンをかましてやった。

 また心臓が破裂しそうになったけれど、今度はなんだか甘い痛みだった。

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