三六四ノ葉 のろけまーす


 たしかに謙信に比べると矮小な器の、それも次期国主だ。だが、だからといって先達者の前で恥ずかしい思いをさせられるのは我慢ならない。ええ、ええ、そうですとも。


「なんだろ、若旦那、だんだん葉ちゃんに似てきた? そうと思わない暗黒冗句が」


「? そ、そうかな~?」


「……ねえ、なんで嬉しそうにするわけ」


「俺ね、葉のこと大好きなの」


「……。あー、はいはい。のろけをどう」


「できればもーちょい近くへいきたいね」


 聞いちゃいねえ。楓のもう結構です、を遮ってのろけ続行の聖縁はもうちょっと闇樹に近づきたいと言っている。これには楓の目がくたばってしまう。今でもうすでに妹に似て冷厳無慈悲なアレがちらり、ちらっ! なんてしているのにこれ以上に、だなんて。


 聖縁が闇樹化する日がもしかしたら楓が思う以上に近いかもしれない悪夢。過激な罰を行使するのはひとりで充分間にあっているというのに、なにがどうしてこうなった?


「それとも、俺じゃあ、無理なのかな?」


「ん?」


「俺が一歩進む間に葉は十歩も百歩も進んでいる気がするよ。んで、そのまま……」


 聖縁の声に影が落ちると同時に楓の隣でひとがごろんと寝っ転がる音。聖縁は天井を見上げているのになにも見ていない。暗く沈んだ声で続きを吐きだす。ため息と共に。


「俺の手が届かないところに、いっちゃうのかな。もう、二度と触れられないモノになっちゃって二度と声も、姿も、温度もなくなって、消えちゃうのかな? ねえ、楓?」


「若旦那」


「俺が我儘なのは知っているつもり。葉が望んでいないのを希求しているってのも」


「……」


「でもさ、俺、葉に忍、辞めてほしい。これ以上自分を犠牲にしてほしくないんだ」


「あのさ、それは好きってだけじゃ」


「通らない。わかっているって、そんなの。だから苦しいの。なんの力もない、一切及ばない自分が情けない。不甲斐ない。葉はそんなことないって言うかもしれないけど」


 隣で寝転がっている聖縁を見る楓の目に憐れみが浮く。忍をそのお役目からほどくにはそれ相応の「力」が必要になる。里長に直接掛けあい、どうか、というのが一般的。


 ただし、それは体の機能などに故障がでている場合に限ったこと。そういう場合に限って役目を終わらせられる。そして、新しい忍をその里で買う。それが両者納得の図。


 闇樹に重大な故障はない。故障はないが特大の枷がある。だが、それでもいいからと買わせてもらったのが今となっては痛い。重大な枷を込みで雇いたい、と願ったのだ。


 なのに、いまさらになって忍としてではなく、などと蟲のいい話であるのは明白。


 わかっているからこそ聖縁も楓もなにも言えない。闇樹の枷を重々承知で雇い入れたのだ。なのに、大切になりすぎ、大事なひとになりすぎてしまった。その為に役目を終わらせてほしいなどというこどもの我儘は通らない。理解している。でも、現実が痛い。


 闇樹。重大な枷を背負っていても忍と在る女の子。その主の切なる願いを彼女は知っているのだろうか。忍としてではなく、ひとりの女の子としての生涯を送ってほしい。


 そんな切なる願い。聖縁の心からの望み。


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