三六三ノ葉 なんか、アレだなー


「ねえ、あのね、葉」


「?」


「……大好きだよ」


 聖縁の唐突な言葉に闇樹はだがひとつ微笑んで、こくり、と頷いてくれた。自分も大好きだ。という合図。それだけで聖縁にとっては充分。彼女がどんなに忍として優秀であり、影に徹して災害級の能力ちからで聖縁を守ってくれるとしても。そんなもの、要らない。


 ただ、この儚くて優しい微笑みがあればそれだけで満足だから。強大な神の御子としての力などなくていい。つるぎでも盾でも、ない。ただの闇樹で充分以上、幸せになれる。


 忍でない。ただの女の子。それでいい。


 きっと周囲は呆気に取られて「はあ?」と言う。闇樹ほどの忍を、彼女ほど忍として完成して、恵まれている者を忍から解放し、ひとりの女にする。頭がおかしくなったと思われるかもしれない。気が狂ったとか、脳味噌が没したとか……散々に言われるかも。


 でも、聖縁は耐えることができない。闇樹が忍である限りつきまとうのは、戦死という末路。戦の捨て駒にされるかもしれないことに恐怖する。聖縁を生かす為に。そうすることに対し、闇樹は躊躇いを持たない。ゾッとするほど呆気なく頷いて死んでしまう。


 恐ろしく、悪夢のような結末。寿命で死ぬならばいいかもしれない。まだ、いい。けれども、戦で聖縁の為に散るなどと誰かが、世界のすべてが望んでも聖縁は望まない。


 そう、例え闇樹の切なる願いであっても。そんなもの絶対に容認できない。忍もひとならひとをひとと見ないひとでなしになりたくない。我儘でもいい。手前勝手でも。だが、どうしても闇樹が悲しいのはいやだ。自分のことのようにいやだ。絶対、譲れない。


 闇樹の幸せは聖縁の幸せ。ただひとりの女としての幸福を掴んでくれればなおのこと幸せなのだ。きっとこう言えば闇樹も少しだけ考えを改めるかもしれない。自らの犠牲精神が聖縁を悲しませ、不幸にしている、と知れば。知ってほしい。時間がかかっても。


「失礼いたします」


「邪魔すんぜ~、若旦那」


 例えどんなに時間がかかっても教えてあげたい、思っていると声が聞こえてきた。


 女性の声と聞き知った男の。襖が無許可で開かれて男――楓がずんずか無断入室。


 したと思ったら麗しい横っ面に棍棒が即行で速攻をかまして、楓さん、盛大に吹っ飛んでまった。部屋の外で控え、返事を待っていた女中さんの顔が青ざめてひきつった。


 もしも、一緒について入っていたら……、というのを考えているものと思われる。


 当然ダヨネ。無断入室の罰がごん太棍棒の強烈無比な一撃とか、きっと謙信だってしない。もっと穏やかな罰? 折檻で済むに決まっている。やはり過激らしいね、闇樹。


「えーっと、なにか?」


「は、はいっ!? あ、あああの、葉殿に夕餉のお味見をしていただきたいと思い」


「ん」


 女中さん、衝撃が抜けないらしく声がひっくり返っているが用向きを簡単に伝え、闇樹は一言返事をして部屋の隅で伸びてしまっている楓の尻に千本を投擲。ぷすり命中。


 痛みで飛びあがった楓に不機嫌そうな顔を向け、楓が闇樹を見たと同時に聖縁に顔を向け、頷いた。その意、聖縁様の護衛を少しの間代われ。である。ああ、本当にお兄ちゃんへの敬意がない。もういっそ清々しいほどに一切ない。ここまでくると気持ちいい。


「にい」


「はい。宣誓します。余計なことを言ったりしたりもしません。殺されるので絶対」


「ん。聖縁様、失礼」


「え? あ、ハイヨ」


 態度が違いすぎるのでついうっかり片言になってしまったが、闇樹は気にせず、むしろ気づかなかったフリをしてくれて女中についてくりやに味つけの指示へ向かっていった。


 部屋に残った野郎ふたり話すこともなく、楓に向けられた闇樹の脅しが故に迂闊に話せずで気まずい沈黙がただようが、ある一定時間がすぎて楓が口を開いて深呼吸した。


 妹の地獄耳でも届かない位置に妹がいったのを察し、安堵の息を吐いたが正しい。


「いきなりお仕置きが厳罰化? 鬼化しているんですけどどうしてどういうこと?」


「それこそ常日頃の行いのせいじゃね?」


「それにしたっていきすぎでね? 危うく頭部変形するところだったんですけど?」


「さっき下世話さをお下品にしようとした分も含めてとかそんな感じじゃねーのー」


 ぶっすー、と膨れている楓に聖縁は適当に返しておく。まあ、闇樹の考えが時々謎なのはそうだったけどいきなり兄貴への罰を厳重化するにしても棍棒振り抜いたのはちょっと当たりどころが悪ければ死ぬ、死んでまう危ねえ罰。罰にしてもたしかに、きつい。


 どんだけだよ。と突っ込みたい気持ちはあるが、謙信の前で辱められそうだったのだしそれを考慮すると妥当な罰だったのかも。闇樹は私怨で厳罰を科すことはない。いきすぎ罰はいつだって聖縁を思って、聖縁の為に、聖縁の恨みを晴らす為に、であるので。


 よって、聖縁の中に楓へ対する慰めの言葉は生まれなかった。生まれませんとも。


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