三六二ノ葉 とりあえず、一息


「ぶはー……っ」


「聖縁様、お疲れ様。……平気?」


「うん。大丈夫。でも思っていたのと全然違ったな~。これなら島津殿のがいやだ」


 いやだ、と口にした聖縁だが口元には笑み。なので、闇樹も咎めない。サツマでの決闘もある種の恐怖であり、いい思い出になったようだったので。そうしたものは宝だ。


 ひとの一生、生涯で手にえられるものはごくわずかなモノに限られる。そうしたのは最高の宝で人生の潤いの匙加減。それこそ謙信が出会った信玄という最高の好敵手のよう。他のなにかでは代替が利かないモノ。聖縁にとっての闇樹がそうであるように――。


 かけがえのない者であり、存在。あるのとないのとではまったく違う人生にすらなりうる。恐ろしいことに。松寿丸にとっての杉大方。聖縁の闇樹。最大の弱みで、強み。


 そういうものを持っている人間は、ひとは強く弱いからこそ強くなろうとする。聖縁がそう在るように。松寿丸がそう在ろうと努力していたように。闇樹が体現するよう。


 だからこその今がある。七年前の運命的出会いが今の聖縁をつくっている。闇樹という闇であり光をえたからこその逞しさ。優しさ。厳しさ。温かみ。すべて揃って聖縁。


 それもこれも全部闇樹に教わったものばかりだ。彼女には感謝してもし切れないほどにいろいろなものを教えてもらったし、与えてもらえた。愛情でさえも、惜しみなく。


 ――ちりん。りん、りん。


 与えてもらってばかりだな、と聖縁が思うと同時に涼やかな音がした。綺麗な澄んだ鈴の音。聖縁が見上げると闇樹がいて薄く微笑んだ。まるで、聖縁の心を察したかのように聖縁、大事な主からいただいた鈴を鳴らしてみせた。自分ももらった、とばかりに。


「優しいなぁ、お前ってやつは」


「否。普通。ごく一般的」


「……。ああ、非凡な方の普通、な?」


 聖縁の言葉に闇樹も聖縁もくすくす笑う。今日も仲良しの主従である。与えられるばかりじゃない。どのような形であれ、形すらなくてもひとは与えただけは与えられているものであり、それが普通ですよ、と言える闇樹はやはり聖縁よりずっと大人びている。


 いつかは並びたい。叶うなら支えてあげられるようになりたい。真っ黒な闇の中に立つ樹木のように。しるべと在る闇樹の世界は真っ暗だ。そんな彼女の光になってあげたい。


 聖縁の最大目標。立派な国主、だなどと誰にでもできることじゃなくって。ただひとりの為の自分自身になりたい。闇樹。盲であるが為に実母に捨てられ、伯母に拾われ、忍の道を与えられてそこに在るコ。聖縁にたくさんのモノをくれて、教えてくれた女の子。


 いつか忍という存在を失くし、闇樹を忍役にんえきから解き放つ。そして、普通の女としての幸せに出会えたならばそれは聖縁にとっても幸福なこと。例えそれを闇樹が望んでいないとしても、ずっと影として在りたい、と望んだとしても。広い世界を望んで、と求む。


 見えないからこそ多くのものを見てきた闇樹。それが故に、捉えすぎるあまり見落としている自らの幸福。その在り方を教えてあげたい。忍で在るだけがすべてじゃない。


 忍里に生まれた者にそんなことを説くのはアホ臭いだけかもしれない。それでも。


 それでも、忍という狭い世界だけでなく、ただひとりの女としての幸せを、豊かな生活を、幸福を掴んでほしい。そう願ってしまうのは、聖縁、自分の我儘なのだろうか?


 闇樹は自分に相応しくない我儘と言ってしまうだろう。だが、この世に生まれ、幸福の切符があるのだ。すぐそばに、望めば届く位置にあるのだから掴んでみてほしい。掴んでそして気に喰わなければ破り捨ててもいいのだから。生ある者の権利、なのだから。


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