三五七ノ葉 酒のお誘い


「はーい謙信公~。あんまりうちの若旦那を脅かさないでください。肝小さいんで」


 聖縁が謙信の笑っているのに笑っていない笑みにドン引きしている、てか漏らしていい? と思っていると以外なところから助け船がでました。楓がやんわり諫めている。


 そう、あくまでもやんわり。じゃないとその時点で楓の寿命が切れる。絶対切れるに決まっている。いかに楓が戦闘狂でも軍神、とまで呼ばれて誉を受ける御人に敵うとは思えないってかさすがに無理無茶無謀だと思えてならない。いや、絶対に無理。危ない。


 流血沙汰が目に浮かぶ。くっきりと。それこそ他に類を見ないくらいくっきり浮かびすぎて今夜眠れるか今から超不安。……いや、そもそも泊まるの? 宿の方が気兼ねなくていいけど、謙信のこの様子からして泊っていけ、と言われそうな気もしなくもない。


 なので一応確認に訊いてみることにした。


「あの」


「はい?」


「今日はもういい頃ですし、城下町で宿でも探そうと思うのですが、町はどの辺り」


「そうご遠慮なさらず。部屋を用意させますのでぜひ泊まっていってくださいな?」


「……あ、はい」


 聖縁が全部言い終わる前に潰した謙信がことさら怖い聖縁だが、なにも言えない。


 おっかないにもほどがある。先読みがよすぎる。怖い。ひたすらに怖い。だが、なにも言えないもどかしさとそれによる上乗せの恐怖。さすがは戦国の軍神。威厳が違う。


「時に、聖縁殿はいける口ですか?」


 謙信公マジ怖い、とか考えているとその謙信が新しい質問を寄越してきた。いける口かと言われても……。多分おそらく謙信が言う酒と聖縁の好きな酒は違うと思われる。


 なにしろ梅干しを肴に大きな盃でいけるほどの見た目に似合わぬ酒豪だと闇樹情報で知っているので。どう答えたものか、と思っている、とこれまた意外なアレが答えた。


「俺もいいです? 若旦那の好きな酒は謙信公には物足りないというか甘すぎると思うので。謙信公のお好きな酒は俺がお付き合いしますよ。まあ、よかったら、ですが?」


「おや、そうなのですか?」


「そうなんですよ。いつまで経っても葉ちゃんの蜂蜜酒が好きで愛飲しているんで。まったくこども舌で困ったもんです。こんなんじゃあこういう機会にも困るだろうにさ」


 何気なく躱せるようにしてくれたのはいいが、余計なのが一言も二言もあって聖縁は内心で「こんにゃろう……っ!」状態だ。これはあとで闇樹が制裁をくだすだろうか?


 いやまあ、危機一髪を回避させてくれたので多分ない。しかし、「多分」を多用しまくりである聖縁だが今はどうでもいい。とりあえずここまでは順調に話ができている。


 やはり、いろいろと経験を積んだのが活きているのかもしれない。ただ、敬語に関しては本で自習した。闇樹の簡潔すぎる喋りと時たま飛びだす自覚なき暴言ではまずい。


 そこは見て見ぬフリというか、聞かないフリをして、一応の敬語、最低限の礼儀作法を身につけているつもり。ただまあ、これもつもりなので、怪し~いことこの上ない。


 ……大丈夫、だよね? とこっそり不安になっている聖縁であった。謙信は相変わらず優しい目で聖縁を見つめていたが、緑茶のおかわりを持ってきた女中さんに客間を二部屋、聖縁と闇樹、楓に一部屋ずつ用意するように言いつけている。ああ、お泊り決定。


 いやなわけではないが、普段のアレなボロがなにか、謙信の琴線に触れやしないか心配すぎて緊張過剰状態なだけだ。ボロ、と言っても普段の、素の聖縁である。別にいいとは思うが今後の外交を思うと秘密にしておく方がいいと思われる。だって、ねえ……?


 まあ、もう一個ほど楓がバラし腐ったが。普通の酒は酒精が強すぎて量をそんなに飲めないので宴会の席などで困る。だからいつも闇樹の蜂蜜酒。どんな時でも蜂蜜酒だ。


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