三五六ノ葉 過去を振り返って、でも
「……それはそうと、聖縁殿」
「?」
「もうずいぶん前になりますが、お父上は残念でしたね。お辛かったことでしょう」
唐突に謙信からされた話題振りに聖縁は一瞬だけ辛さが、悲しみがこみあげたが、なんとか微笑んで首をふるふると横に振っておく。大丈夫だが大事なことを伝える為に。
「辛いって言っても救いの手は伸びません。高みから見下ろす神様はここにいない。だから平静を演じ、平静平穏にすごすって決めているんです。いつまでも悲しめません」
「……お強いのですね」
「そうでもないですよ。どうしてもって時はうちの忍に甘えさせてもらっています」
「そう、ですか。葉殿はあなたにとってのまさに影。辛苦も一緒に受けてくれると」
「はい。私にとってなくてならない者。それが葉です。葉と一緒なら例えどんな厳しい試練でも乗り越えていける。そう、思わせてくれるコ。ただの忍じゃない。大事な影」
大事な影。いつもそばに寄り添ってくれる影。そばにいて隣に、背に、陰の中に。
だからこそどんな困難も辛苦も越えていける。一緒に戦ってくれるから。いつか風に還ってしまうとしても。それでも、いい。いれる間一緒に在ってくれればそれだけで。
聖縁の答に謙信はとても優しい顔をした。柔らかく優しく、慈しむかの如き笑み。
謙信の笑みに聖縁も気づいているがなにも言わない。これ以上の自慢は要らない。自分の中に留めておく想い。闇樹を大事に想う心。恋ではなく、親愛。親しき仲の愛情を惜しみなく注いでくれる闇樹のことが聖縁は大好きだ。聖縁のことを闇樹も愛している。
愛おしむべき御人だと思ってくれている。なので、いつも厳しいことを言ったり、させたりもする。ただ好きなだけではしない。そこに愛があるからこその厳しさで以て。
獅子が自分の子を渓へ突き落すように。闇樹も聖縁にいつも、いつも、常にいろいろな試練を与えてくれる。愛が故だというのがわかるから聖縁も全力でその試練に臨む。
今回の旅行でもいろいろな試練があった。思いだすとちょっと、アレだが、吐きそうになるが、いい思い出でもある。日常に在っては経験できないことばかりだったから。
松寿丸の下克上然り、弥三郎との楽しい鍛練の日々、サツマでの命懸けた決闘も。
全部が今、聖縁の血肉になっている。今の聖縁をつくっているすべては尊い。二度と経験できないすべての出来事。尊く愛おしい。義弘との決闘はもうごっつぁん、だが。
でも、すべての思い出が眩しく輝いて煌めいているように感じるのはきっと気のせいではない。それくらい大切な出来事で思い出たちだったのだ。だから大切。心の宝物。
けっして触れられない宝物庫の中身。それでもいい。そこに在る。必ずそこに在ると聖縁が思っているうちは忘れ去られることない愛しさが今もずっと聖縁の内側で輝く。
「羨ましいですね」
「え?」
「そんなにも想い想われている関係の者がいるというのは羨ましいものです。ないものねだりに違いないでしょうが、それでも、わたくしにもあれば……ひょっとしたら違う道もあったかもしれません。上杉謙信、戦国の軍神でないわたくし、というわたくしが」
「今にご不満があるようには」
「ええ。満たされています。信玄と出会って、刃を交えあい、お互いを尊重しあえる
「はい。……といっても私はあまり詳しく知りません。七年前に一度、シンシュウへ遊びにいった時にはじめて知ったくらいのもので。塩攻めの時、お世話をした、とか?」
「ああ、懐かしい話ですね。あの時は先を越されて腸煮えくり返るかと思いました」
……。あれぇ? なんだろう。なにかとんでもないこと言った気がするこのひと。なんだろう? 腸煮えくり返る? えぇ、それってつまりそういうアレですかね謙信公?
「わたくし以上に信玄と親しき者がいるなど。それも戦の手助けを即決できる者が」
「あの、もしかしてお爺様に恨みを」
「まさか。信玄によき友がいるのを喜んだ、筈。当時のわたくしに訊いてください」
無茶だ。どうやって過去に遡れと? てか、絶対根に持っている。根に持っているよこのひとぉおおおおお!? おぼぼぼ、怖い。満面の笑みがむちゃんこ怖いんですが。
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