三三〇ノ葉 いつまでも、こどもじゃない


 聖縁は深呼吸を二回。再び構えを取る。先から何発喰らったかしれない。全身痛いけど立ちあがって構えるのは今の自分に負けて逃げに走りたくないから。一発ごとに聖縁は死ぬ。それを乗り越えて再び挑むのは今より未来の自分への挑戦。相手が誰でもいい。


 たまたま強い義弘が相手をしてくれているだけで自分への挑戦に変わりないのだ。


 しばらくはどちらも動かなかった。が、義弘が不意に肩のこりをほぐすような仕草で腕をまわしたことで緊張が走る。だが、結果的にそれは杞憂だった。聖縁にとっては。


「今日は触りばい。こんくらいでよか」


「俺はっ」


「まだまだばい、聖縁どん。が、筋は悪くなかとよ。気鬱せず明日に備えんしゃい」


「……はい。ありがとうございます」


 正直、礼を言うのは癪、というほどのことではなかったし、けじめだったが、なんとなく負けた気分だった。でも稽古をつけてもらったのだ。礼儀を通さねば闇樹が怖い。


 その闇樹は義弘が道場をでてすぐ聖縁のそばへ現れ、心配そう手当てしてくれる。


 よく冷えた手拭いで聖縁の頬や鼻を、腕など露出している箇所を冷やしてひとまず応急処置をしてくれ、そのあとは聖縁の外れた肩関節を遠慮気味に、でもしっかりとはめてくれた。グきッ! 人体にあるまじき異音。悶えるくらい痛かったが聖縁は強がった。


 まあ、闇樹なのでもろバレなのだろうが。


「平気?」


「いろんな意味で全然、かな」


「聖縁様――」


「……なんで、葉がそんな顔するんだ? これは俺が望んだことでなにがあっても自己責任なんだ。やめてくれよ。甘えちゃいそうになるだろ? そしたら俺、弱いままだ」


「聖縁様、我、わ、れ……っ」


「大丈夫だよ。多分、平気、さ。俺だってな、いつまでもこどもじゃないんだ、葉」


 呼びかけて聖縁は闇樹をそっと抱きしめる。甘える意味あいのない、ただの伝達。


 己の体温で、力で、存在で以て伝える気持ち。いつまでもこどもじゃない。こどもじゃいられない。いちゃ、いけない。わかっていた。なのに、今、はじめて思い知った。


 義弘という強者のその胸を借りることも、できないほどの厳しさで。聖縁をしごいてくれる義弘ひとは闇樹にこんなことをしていると知ったら甘ちゃんだと言うかもしれない。


 だが、それでも、伝えなければ、それは一向に伝わらないものなのだ。闇樹だから特にしっかりと伝えなければ伝わらない。そして、余計な心配と気遣いをさせてしまう。


 そんなの、いやだ。闇樹が心痛めるなんてすごくいや。それこそしちゃいけない。


 してはならないことをすることは罪であり肉刑以上の惨い刑罰を受けるに値する。


 だから、伝えなければならない。大丈夫で、心配しないでほしい、と。伝わるまでどんな手を尽くしてでも伝えなければ……。それが主として、上に立つ者としての義務。


 怠れば必ず先々で後悔する。主人失格だと自己への嫌悪を深めて自分を嫌い、憎悪していく。そんなわかり切ったことをしたくないし、するなんてまっぴらゴメンだった。


 これからは血反吐を戻すような厳しい稽古が待っている。なので、今のうちに伝える心配無用。これくらいしか、聖縁にはできない。闇樹に余計な気を遣わせないように。


 けれども、闇樹なので聖縁の考えなどお見通しで心配を陰ながらしっかりしそう。


「? 聖縁様?」


「ううん。なんでも、ないよ」


 想像してつい、くふっと笑みが漏れてしまった。陰からこっそりハラハラおろおろドキドキそわそわしている闇樹の、図。どうしよ、すごく可愛いし、健気さが愛らしくて優しくて悶死しそうだ。ただまあ、そんな死に方したら嘆かれるに留まらないだろうが。


 聖縁は闇樹の頭を頭巾の上からそっと撫でる。闇樹はきょとんとしているが、主がしたいのならお好きに、とばかりじっとしている。そして、優しい時間はすぎていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る